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21779. 匿名 2021/01/23(土) 20:35:32
冨美さん、娘が入内してからバーゲンセールにも行けなくなったとこぼしてたそうですが、ハナっからバーゲン品なんか買う気が無かったと思う。
出典:livedoor.blogimg.jp+32
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21784. 匿名 2021/01/23(土) 20:39:24
>>21779
うっすら笑ってるのが怖い+22
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21787. 匿名 2021/01/23(土) 20:41:54
>>21779
タイトル「妃殿下の母」富美子さんが絶えた「30年の重責」
コピペ
>むかし、たぶん一昔前の話なんだけど
なにかの拍子に皇室の噂話が出て
富美さんが友達となにかの会でおしゃべりしていたら
仲居さんかなんかが来たのでその前と打って変わって
しれっとしおらしい態度になって
そのあとその人(仲居さん)がいなくなったあと
「娘を皇室にやると気が抜けないのよ~」と言ったらしい。
最初その話を聞いたときは大変そうだなぁと思ったけど
あとあと考えると富美さんは上品ぶった行動を
影で笑われていたんだよね。
「結婚から17日目に実家に帰られた皇后さま」
▶1973年〈昭和48年〉4月サーヤ3歳を愛人安西邸すぐ近くの柿の木坂幼稚園へ入園させて、冨美と一緒に出席するマザコンのミテコ
▶1973年(昭和48年)11月14日母冨美と一緒に東京・自由学園を視察
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21824. 匿名 2021/01/23(土) 21:09:43
>>21779の一部抜粋
亡くなった富美子さんは、明治42年生まれで、生家は佐賀県の士族につながる家柄。昭和4年、英三郎氏と結婚、2男2女をもうけた。
英・独・仏に通ずる一方、短歌や源氏物語にも親しみ、明治生まれらしいしんの強さと、西欧流の道理主義をあわせ持った女性だった。
が、長女である美智子さまが「民間から初めての皇太子妃」となるや、富美子さんの気苦労は並大抵のものではなくなった。「バーゲンセールにも行けなくなりました」と親しい人にもらしていた富美子さんは、婚約フィーバーの折にはマスコミを避けるために、外出の際、サングラスをつけることもあった。
夫の英三郎氏も、それまであった政治家とのつき合いを絶ち、夜の銀座に出ることもなくなった。
正田家の一族の中には、美智子さまが聖心出身で皇室内で拒絶反応もあったため、子女をわざわざ学習院に進学させた人たちもいる。
中でも一番辛かったのは、母と娘の交流が一般の親子のようにできなかったことだろう。
皇室に嫁いだ美智子さまは、滅多に「里帰り」することもなかった。まさに「妃殿下の母」として忍耐の30年だった。
こんな両親に対して、美智子さまはかつて記者会見で、「たとえ寂しくても、節度を守っていきたいという家族の気持ちを大切にしなくてはなりません」と、万感の思いをこめて語ったことがある。
通夜、密葬ともすべて神式で執り行われた。「富美子さんは生前、自分はカトリックですとはっきり言っていました。婚約に際して『美智子さまはクリスチャンではないか?』という問題が国会で取り上げられたこともありました。今回、神式で密葬を行ったのは天皇家への気遣いでしょう」(川原敏明氏)
美智子さまは皇室内の慣れないしきたりにぶつかり、何度かつまずきそうになったこともある。そんなとき、常に母・富美子さんの存在が、心の支えとなっていたに違いない。+2
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22251. 匿名 2021/01/24(日) 08:55:06
>>21779
これ、皿さんの母親の葬儀のときの写真?なんでポーズ取って笑ってるんだろう?記事にあるようになかなか会えない中でも互いに思い合うような親子関係ならこの表情にはならないと思うんだけどなぁ。+29
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出典:livedoor.blogimg.jp

