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21705. 匿名 2021/01/23(土) 19:15:51
>>21261
三島は見合いという話ではなく上司から来い!と言われ出かける話を仲間(超右派の)に打ち明け、仲間より見合いか?とからかわれたそうです。
その頃仲間たちと戦後の成金財界に胡散臭いと常々話してた経緯が分かっています。正田家がまだ手に入れていないのは役人という官位であり三島含め何人かを婿候補と考えていたのではと。正田家以外にも財界に幅を利かせていた新興の商家は挙って役人狙いの見合いが多かった事もあり、それらを嫌っていた仲間たちの説得もあり正田家とのセッティングには出かけていません。当時の仲間より聞いています。試し乗りの件真偽は分かりませんが三島とは2人きりでは会ってはいないと思います。
成金商家は嫌っていたと思いますよ。
一応三島の名誉のためにコメ。
この点だけで自分は小内氏を信じないようになりました。きちんと裏を取っていないと。
ちなみにその後三島の一目惚れで押しに押してご夫人と結婚なされてますよ。
その頃とても珍しい海外へ新婚旅行に出かけたりしてます。
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21713. 匿名 2021/01/23(土) 19:21:42
>>21705
二人の見合いが銀座の小料理屋「井上」で行われたっていうのは、三島の生前から出回っている話ですよね?
もし虚構なら、小料理屋の二階なんて設定にはしないんじゃないかと思うのですが
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21760. 匿名 2021/01/23(土) 20:21:06
>>21705
【三島由紀夫と正田美智子のお見合い】
◆1955年(昭和30年)~1956年(昭和31年)頃、三島由紀夫30~31歳(1925年(大正14年)1月14日生)は正田美智子20~22歳(1934年〈昭和9年〉10月20日生)と
銀座の小料理屋「井上」でお見合いした。
(一説には1957年(昭和32年)三島由紀夫32歳、正田美智子22歳)
銀座の小料理屋の女将「井上つる江」さんが随筆で、小冊子「銀座百景」(銀座の老舗の店先に毎号置いてあった無料冊子で結構有名な人が寄稿してる)に三島由紀夫と美智子さんが井上でお見合いしたことを書いていて、このことは三島側が断ったことを含めて、ミチコ婚約当時から広く知られていた。
巷間知られてる三島評「つまらない女」
「1955年(昭和30年)- 1956年(昭和31年)頃、東京・銀座の小料理店「井上」2階にて、独身時代の三島由紀夫と“見合い”風の対面をしている(同店女将・井上つる江談)。」「週刊新潮」2009年(平成21年)4月2日号
ヤフコメ
>三島由紀夫は、正田美智子と見合いするにあたり、小料理屋の二階で見合いした。
東京なのだから、田舎の小料理屋とは違い、歴史ある小料理屋だったのだろう。
しかし、正式な見合いなら、帝国ホテルでするはずだ。
もちろん仲人になる人が同席するはずだ。
三島由紀夫はペンネームであり、実際には平岡家という名家の御曹司である。
名家に持ち込まれる見合いなら、一流ホテルで、付添人がいるはずだ。
しかし、正田美智子と三島由紀夫との見合いは、そうではなかった。
昭和30年初頭なら、見合いとは結婚を意味している。
しかし、正田美智子は何十回も見合いをしているのに、全て結婚には至らなかった。
正田美智子が、本物の旧家にして名家の令嬢であるなら、何十回もの見合いで結婚できないのは、かなりの異常事態である。
つまり正田美智子は、実は、さほどの娘ではなかったと言えよう。
>待合い?料亭の離れとかで、
隣の襖開けたら雪洞があってお布団敷いてある、みたいな。
>いや、実際敷いてあったんだと思うよ。ふすまの向こうの部屋に。
そうじゃないと「試し乗り」の提案出来ないじゃん。
>三島本人に見合い止めろと話した人たちから聞いた話では
上皇后さまの出自や三島の家系への固執など懸念材料が有り過ぎるとの意見から会うのを止めたと聞いています
官僚一家だったしね 狙われた?と感じたらしい
>お見合いしてるよ。
三島由紀夫の担当だった毎日新聞の徳岡孝夫が書いてる。
観劇して、小料理屋の2階で食事してすぐ別れたと。
どっちが断ったかは明言してないが、
たぶん三島が断っただろうと考えられる書き方。
美智子さんが断ってたらそう書いたと思うしね。
そもそも、三島の方がさきにさっさと結婚してるし。
美智子さんに都合の悪い話を消そうとしてる人がたくさんいますね。
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