契約終了に絶望…親戚は宮本浩次に明るく告げた「あんた、もっと売れ線を歌いな」
94コメント2021/01/13(水) 02:45
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1. 匿名 2020/12/19(土) 17:10:26
「あんたも、もうちょっと分かりやすい曲作れば良かったのにね」。年末、テレビを見ながら親類が明るく言った。「両親もおばちゃんもみんな、売れ線のものを歌えってさ。でも僕らまだ若かった。次の音楽的な道筋も見えて来てたんだ」
考え方を変えた。斜に構えるかっこよさは横に置き、ヒットを飛ばす歌手らの曲を聴きあさった。小沢健二やスピッツ、Mr.Children……時代の主流の音を吸収し、力を蓄えていった。
新たなレコード会社との契約にこぎ着け、96年に「悲しみの果て」をシングル曲として発表。「涙のあとには 笑いがあるはずさ 誰かが言ってた」と、苦しみの中でこそ見える希望を素直に歌い、多くの人の心をつかんだ。+160
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38. 匿名 2020/12/19(土) 18:27:22
>>1
この写真、加工してなくてこの足の長さと毛量だからね+35
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73. 匿名 2020/12/20(日) 08:50:45
>>1
親や親族の助言にイラつくこともあっただろうに、ちゃんと吸収出来たから今があるんだろうね。+11
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宮本がボーカルとギター、そして作詞・作曲を担うバンド、エレファントカシマシは1994年のアルバムを最後に、いったんレコード会社との契約が切れた。眉間にしわを寄せて言う。「やっぱり、その頃から意識し始めた。売れなきゃ話に