【ドロ沼騒動】やしきたかじんさん「殉愛」映画化も消えた
993コメント2015/03/12(木) 12:53
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250. 匿名 2015/02/13(金) 12:04:33
早すぎる時間
2011年3月11日 7:14:04
「2011,3,11」
もう、一年になるんですよね。
イタリアにいて、遠く離れた国のCGのような映像を見て、できることを出来る形でやってきて・・・早や一年。
これは実際に被災した人じゃないから言えるんですよね。
本当に未だに大変な生活を強いられている方からすれば、「まだ」一年。
風化させちゃいけないし、当たり前のことができる幸せを、もう一度「感謝」して、またできることを探し続けたいです。
「当たり前」は、誰でも、いつ、どんな時に失うかわからないというのを、いま実感しています。
ブログに書くかどうか、ずっと悩んできました。
一つ前に書いたような、訳のわからない方もいて、プライバシーをどこまで書くべきか、アメンバーや存じ上げている方限定でもいいと思っていました。
それが、ありがたいことに何百人と読者の方が増えてきていて、お会いした事がなくても、とても久しぶりなアップでも気にかけてくださり、すぐに心配してメッセージやコメントくれたり。。だから、同情されたいからとか、話題づくりだとか湾曲して捉えずに、分かっていただけたらと思い、アメンバー限定にせず書きます。
さて、今回の帰国中に色んな出来事がありました。とてもバタバタしていました。
その中で最も大きかったのは、帰国予定日近くに父に癌が見つかりました。
『家族は元気でいるのが当たり前。あたしの父は元気、まだまだ若い』なんて思っていたのは、本当に間違い。近くにいる妹には赤ちゃんが生まれたところなので、迷惑かけたくないとポソッと話した父の背中が小さくなった気がして、今は手術までに、そばにいてできることをしています。
アップできなかったのは、この一ヶ月忙しいもありましたが、一人の方から、わざわざ何度も、夫をイタリアに残してとか、実家に帰りすぎで甘えてるとか書かれました。母がいない中で、病気の自分の親を優先するのが間違いでしょうか?
また、夫婦で話し合い、今の形を納得して、毎日連絡して話しているにも関わらず、実家で甘えてるとか、ブランド好きを批判しますが、買ってもらってるわけでもなく、実家ではなく自分のマンションに暮らして、看病の中で気分転換も兼ねているのも知らずに、批判できる権利が誰にありますか?
自分が持ってる『当たり前』が、必ずしも、他の人に当てはまるとは限らず、皆さん目の前に見えることだけじゃない色んな事情を抱えて、毎日を頑張ってると思います。どこまでを誰に相談するか、またブログに書くかはその人それぞれ。自由なはずです。
批判する方にも、何かあると思います。自分のことを明かさず、人をネットを使い批判すればスッキリするかもしれませんが…そんな方が書くこと、正しいと思うわけもなく。。
今回出会った病院の先生が、震災を振り返り、“日本人は言わなくても、耐えて、黙って頑張るんです。だから、医師として必ず助けたいんですよ”と仰ってくださいました。
あたしは、あたしのやり方で、この方には一切返信もせず、元気に頑張り、乗り越えて行きたいと思いやってきました。
これからも、楽しいオシャレなアップも、時間を見つけてしたいと思います。
また、ご家族の看病を経験されている方、流動食や嚥下機能が低下している人への食事などのアイディアがあれば、ぜひ教えてください!
ご心配して頂いた方々、本当にありがとうございます。
これからも読んでくださる方、どうぞ気長によろしくお願いします。(^-^)
都会っ子ブログから
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