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1. 匿名 2015/02/09(月) 21:10:57
建前としての“命は平等”というのはもう外してもいいのかな。現実問題、すでに平等じゃない。救命センターの研修医時代、パンク寸前で受け入れ制限せざるをえなくなったとき、指導医はこう指示しました。
労災は受ける、自殺は断る、暴走族の“自爆”は断る、子供は無条件に受け入れると。僕もそれを正しいと思った。現実的に命に上下は存在すると思っている。
老衰の人に点滴して抗生物質使って、無理やり生かしてどうする? はたしてそれがいいんですかね? 貴重なベッドを老衰患者でずっと塞いでしまうことが。
※里見清一…日本赤十字社医療センター化学療法科部長。1961(昭和36)年鳥取県生まれ。1986年東京大学医学部卒業。国立がんセンター中央病院内科などを経て現職。+423
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自己決定の尊重という大原則が医療現場を、そして患者本人をも縛っている。人間の死と日々向き合う医師がただす大いなる矛盾と、逡巡の先に到達した着地点。『医師の一分』を書いた里見清一氏に聞く。──20年前はタブーだったがんの告知。今はもう当たり前ですね。 (里見氏)1990年、横浜の病院勤務時に、「さすがに言わなきゃいけねえよな」と部長が肺がん患者に告知しました。当時その病院で告知したのは僕らだけ。全員に言うか言わないかどっちかなら、全員に言おうと。同じ抗がん剤打ってれば、告知してない患者にもいずれはバレる。