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89. 匿名 2020/06/02(火) 16:06:52
>>88
違うみたいよ
今年のインタビューだそうだ
「演歌に目を付けたのは『自分が演歌を歌ったら珍しいだろう』という考えからです。それまでポップスを歌っていました。当時の演歌のアイドルは水田竜子さんや林あさ美さんらがいましたが、男の子の枠ならいけるかなと感じました。事務所も大きな所を狙っていてバーニング(プロダクション)さんか広済堂(現長良プロダクション)。芸能界は力関係もあるだろうし、大手じゃなきゃ売れないと思っていました。その辺りは意外と商売人なんです。たぶん、頭が女脳なんでしょうね。16歳の時から家族を養わなくちゃいけないと、本気で考えていましたからね」
―行動も素早かった。
「高校の時には(バーニングの)周防(郁雄)社長や(当時『広済堂』の)長良(じゅん)社長にデモテープ送ってました。そこがダメだったので作曲家の水森英男先生に近づこうと、先生が審査員をしているNHKの勝ち抜き番組に出たんですね。『そこで声をかけられるだろうな』と思っていて、狙い通りに声掛けていただき先生の内弟子になりました(笑い)。そのころは僕、とにかく生意気で『ビクターに入りたい』とか『バーニングがいいんです』とか。『バカ野郎、お前が決めるんじゃないんだ』って先生に怒られていました。僕、門倉有希さんが好きで『こんなロック演歌を歌える陰がある歌手になりたいな』って思っていて(美空ひばりの担当ディレクターで門倉を手掛けた)境弘邦さんにも何回かテープ送っています。もう全部調べていました。結局、みんなに断られました」
―デビューの決め手は。
「僕が3年半内弟子やってきたので、水森先生も最後の賭けで長良会長に直談判したんですね。3曲歌ったら会長が『いけるな。じゃあやるか』って。先生が泣いて『よかったな山田(氷川の本名)』と言ってくれてたのを覚えています。その時に今のマネジャーが『また売れない子を引き取って。結局、ウチは広済堂じゃなくて救済堂だよ』って言ってましたね。今でもそれは根に持ってます(笑い)。でもデビューしてから『私がマネジャーやります』って秘書を辞めてからずっとマネをやってくれています」+6
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96. 匿名 2020/06/02(火) 17:07:09
>>89
なんだ
自ら売れたくて演歌に擦り寄ったんじゃん。
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