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1911. 匿名 2020/03/26(木) 02:41:28
ところで、信長の側室の一人の「御ツマキ」とは何者だろう?
『兼見卿記』や『多門院日記』では、「光秀の姉(または妹)」と記されているけど、実は「義理の姉妹」ではないかなと思う。(「姉・妹」が「義理の姉、または妹」とも解釈出来るけど。)
光秀の姉妹ならば「明智」と付くだろうし、「ツマキ」ならば妻木家出身の煕子の姉妹か、または従姉妹と考えるのが自然だと思う。
いずれにせよ、『多門院日記』によれば御ツマキが亡くなった時の光秀の落胆はひどかったとの事だから、肉親か、または愛妻の姉妹だから悲しんだと解釈出来る。
ひょっとして…伝説の域を出ないけど、煕子が疱瘡で顔にあざが残った時に身代わりとして妻木家が光秀と結婚させようとして、光秀にバレたという煕子の妹ではないかと想像してみた。
美談として、光秀が「おや? 私がめおととなるのは煕子殿のはずですが?」と、即座に身代わりだと見抜いたという例のエピソード。+3
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1915. 匿名 2020/03/26(木) 10:26:52
>>1911
利三は美濃明細記や徳川実紀では明智光秀の妹の子供となっている
つまり光秀の甥とされるが後世の二次史料
当代記だと光秀は60代説
しかし光秀には姉妹がいたという当時の跡はこの御ツマキのみ
利三の母は光秀の妹ではなく姉や叔母や伯母の間違いでは?とされる
ただし母は蜷川氏説もあるよ
この御ツマキは義妹では?とも言われている
信長の侍女説もある+1
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