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72. 匿名 2014/12/18(木) 15:20:37
安倍譲二。
祖父は造船技師で、東京帝国大学で夏目漱石や正岡子規と同期。日本郵船に勤務していた父安部正夫、母玉枝の次男(4人兄姉の末っ子)として東京市に生まれた。父の転勤に伴い、ロンドンやローマで育つ。
第二次世界大戦が始まる前に日本へ帰国。東京池田山(現・東京都品川区東五反田)の母の実家に育ち、森村学園幼稚園に通う。
戦争中は熱海の祖母の別荘に疎開。
軍属としてシンガポールに出征した父の残した本箱にあったシェイクスピア全集や漱石全集、世界文学全集、プルターク英雄伝、名将言行録などを国民学校(現在の小学校)低学年にして片っ端から読破。東京都港区立麻布小学校では神童と呼ばれた。
私立麻布中学校進学→中学生の時にヤクザの弟子になる→イギリスの寄宿学校に→
南ロンドン地区の少年ボクシング大会のライトウェルター級選手として優勝
→入寮から4ヶ月後イタリアから留学中の女子生徒と全裸で戯れていたのを舎監に発見され退寮処分を受ける。
→16歳のときカメラマンのアシスタントとしてオランダに渡り、ロバート・ミッチャムと売春婦を巡り殴り合いをおこなったことがある
→慶応義塾高校に入学→暴力団に入る
→退学になり、6つの高校を転々とする
→逮捕歴を持ったのち、JALに就職。パーサーまで務める
→JAL退社した後は、新宿の暴力団にヘッドハンティングされる。同時にキックボクシング中継の解説者、ライブハウス経営、プロモーター、レストラン経営、競馬予想屋などの職を転々
→1966年から刑務所で服役。1974年9月から半年間、ボリビア政府軍の砲艇の航海長として革命軍の村を掃射する任務にあたったこともあるという。また、1975年には南ベトナム政府軍御用達のフランス製メタンフェタミン25キログラム缶を安価に入手すべく、陥落直前のサイゴンに潜り込んだものの、一度は1500万円で購入したメタンフェタミンを群集に争奪され、命からがら脱出したこともあるという。
1975年に拳銃不法所持や麻薬法違反で実刑判決を受け、同年秋から府中刑務所で4年間服役。府中刑務所収監中に知り合った囚人の中に赤軍派(後に日本赤軍)活動家・城崎勉がおり、安部の著作によると、ダッカ事件が起きる直前、(既に獄外の日本赤軍と連絡を取り合っていた)城崎にオルグされかけたことがあったという。
刑務所には行ったり何度も結婚離婚を繰り返したり、最終的に作家になりましたが、凄い人生だと思う。
またこういう人が意外と愛猫家であるというこぼれ話にもずっこける
(*WIKIより詳細を引っ張ってきました)
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