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20085. 匿名 2020/01/06(月) 02:38:44
>>19921
初めて知ったわ。大昔のことは知らないので。雅子さまが病気になられた時、小和田家も軽井沢に別荘があるので、8月だけ静養に行かれたのよ。そうしたら、週刊誌がご静養するなら那須の御用邸とか、色々あるじゃない。自分の家の別荘に行くなんてと批判したのよね。うるさいなあ。心の病だから、気兼ねない実母の所で静養するのが一番いいじゃない。私の唯一見た正田家の写真は皇太子時代、日清製粉の工場に行って社長である父親から説明を受けてる写真。母親が隅に着物に割烹着を着てうつ向いて立っていた。記事には娘が嫁いでから簡単に会うことも出来ないと書いてあった。それを見て、自分の会社に来ても話しかけることも出来ないんだと思ったのよ。なあーに💢この写真、隣同士で座ってるじゃない!+103
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20090. 匿名 2020/01/06(月) 03:03:58
>>20085
美智子さんは正田家の別荘に滞在してたのではなく千ヶ滝プリンスホテルまるごと貸し切って滞在だそうです。それでいて雅子さま叩かれてても知らんぷりってこの方一体どうなってんの!?+113
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20135. 匿名 2020/01/06(月) 08:04:57
>>20085
ヘタクソな画像でゴメンだけど、結婚直後からこれだけ帰ってる
下の画像は、母親をコンサートに呼んでる
こんなの小和田家は無かった+74
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20187. 匿名 2020/01/06(月) 09:08:12
>>20085
小和田御一家は、ほとんど海外在住だから里帰りなんて簡単に出来ない。たった1回しただけで、ものすごく叩かれていた。美智子バーさんは、母親と直電も備えていたし、ちょくちょく会っていた。男の子産んだだけで、こんなに優遇されるのか?今時、男、男と時代錯誤もいい加減にしてほしい。+100
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20486. 匿名 2020/01/06(月) 12:43:04
>>20085
割烹着って演出がオボと被るなぁわざとらしい。しかもオーナー経営者の妻が割烹着でわざわざ会社に行くはずないだろっていうね。
自分とこの丁稚にこんな演出写真撮らせて、朝日記者を裏口から入れてお妃候補の決定過程をスパイさせていたくせにね。
これ撮った丁稚がその後、粉屋の監査役よ。+39
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21782. 匿名 2020/01/07(火) 17:15:58
>>20085
ミテコ実家とのつながり証拠は沢山ありすぎてまとめきれないよ~
ワガママ美智子は結婚前から正田家族とべったりだった!
主な資料は「母・富美子さんと密会のとき」文藝春秋2009年五月特別号(成婚前から正田家に仕えて来た澤田氏(仮名)談)
▶【お妃教育は母親同伴】
▶【直通電話】
婚約発表の直後、正田家に引かれた東宮仮御所との直通電話が、ご成婚後は富美子さんの部屋に移され、その後も使われていたという。
「お部屋にお茶を運んでいくと、お母さまがよく電話されていました。美智子様とお話されているときはすぐわかるんです。にこにこされていますから」 (お手伝いさん)
◆1959年(昭和34年)4月10日成婚(「仮御所」は渋谷の常盤松御用邸)
▶【里帰り】
1959年(昭和34年)4月27日(成婚から17日目)
テロップで(結婚から17日目に実家に帰られた皇后さま)
おじぎ
牧野女官長お迎え
▶【軽井沢】1959年(昭和34年)8月(成婚から3か月)
「ご夫妻は千ヶ滝プリンスホテルにいましたから、南が丘の正田家の別荘には簡単に来れます。来るときの警備員は五、六人ですが、お2人が別荘に入ると、一人か二人が残って、あとはどこかに行きましたね。千ヶ滝から、殿下が車を運転して来られたこともありました。・・・」 「母・富美子さんと密会のとき」
▶【参内】1959年(昭和34年)(成婚直後から両親が動けなくなるまで?)
「電話だけですまないときは、その足で東宮仮御所に向かった。お忍びでも。皇太子夫妻が正田家を訪れるとなれば警察官を動員しなければならないが、富美子さんなら警護も必要ないから東宮も気が楽だったのだろう。」
「仮御所には正田家の車で行っていました。あの頃はBMWだったかな。その前はオペルでした。仮御所へはお一人で行かれることが多いのですが、ときどき英三郎さんと一緒のときもありました」
「仮御所へはよく手作りのスープを持参したという。時間が無いと「銀座の資生堂パーラーに電話して、魔法瓶に入れてもらうんです。美智子さまの好きなコーンスープでした」(お手伝いさん)
「冨美子さんは、子供四人それぞれに育児日誌を付けていたが、浩宮が誕生する直前、美智子妃を育てた時の育児日誌を東宮に持参している。」
とくに頻繁に訪れるようになるのは、浩宮を出産した頃だったという。
「赤ちゃんができると、いろいろ相談したいことがあったんじゃないでしょうか。 女官には頼めないものもあったようで、たとえば『これ、買っておいてね』と、頼まれたこともあったようです」 「母・富美子さんと密会のとき」
▶「ご出産の予定日は三月二日。美智子さまのお母さん正田富美さんは、そのニ、三日前から宮内庁病院へ詰めることができる段取りが決まり、このごろは一週間に一ぺんぐらい、東宮仮御所を訪れ、あれこれと美智子さまの健康に注意されている。」週刊現代(1960年1月 2(1)号)「皇室と“男女平等”美智子妃のご出産を迎える宮内庁」
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