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1881. 匿名 2019/12/24(火) 20:33:53
川嶋孝彦と川辰は血が繋がってないとか池上四郎とイトコ婆さんは血が繋がってないとか言われてるけどなんか根拠あるの?+6
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1923. 匿名 2019/12/24(火) 20:43:56
>>1881
養子縁組だらけなので疑義が前から
あとは池上四郎のほうは古文書解読ガル姐さんが原典資料画像つきでアップしていた
会津設定は訴訟を起こされていると過去トピで
さらに怪しいことに今年11月に総務省統計局の研修所に統計局長だったとのご先祖設定の人物の意味不明な朝鮮労働者の喧嘩をまとめた!という武勇伝や川島か川嶋かとの記述の言い訳を書いたレポートが提出されてる。
+28
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1925. 匿名 2019/12/24(火) 20:44:11
>>1881
士族の娘を自称して明治時代に女学校を出たはずのイトコ婆さんの着付け
食事会でじゅばん左前
出典:up.gc-img.net
知人宅の庭で、じゅばんと着物一緒に着付けし、膝あたりは日焼けして金糸も色が抜けてる
紀子さん母方祖母の紀子(イトコ)さんの系統の墓まいりはもっとひどい。
イトコさんは、息子の川島一家と大阪旅行に行って、昼頃に公園にある(自分の父親であると主張する)池上四郎氏の銅像前で写真撮って、
日が傾いたころに(背ノリ先の)「池上四郎墓」を見つけて墓の前で写真撮って、子孫であることの証明にしたみたいに見えます。
お墓参りにはふさわしくない恰好、お花も水も線香も蝋燭も用意してないし、尻をお墓に向けるように孫を真正面に立たせてる。
祖母と孫(後ろの空き地に有刺鉄線)
アメリカから帰国して一家で転がり込んでいた、和代父の杉本家(静岡駅南の馬渕)の近くへイトコさんが訪問?
家族でパリ
士族出身であの時代の女学校卒の人なら、写真撮るときは絶対に背筋伸ばしているはずですよね。
だらしない着物の合わせは、ネットで「おひきずりさん」と称されてます。
背筋がぐたっとなってるところが、戦前の京都の芸妓舞妓に非常によく似てます。
でも、戦前の京都の芸妓舞妓だと思える写真の襟元を見ればわかりますが、かなりしっかりした着付けをしています。
かなり分厚い襟芯を入れて、後ろの衣紋も抜いてから固定して、と、自分1人ではできない、男師さんの手を借りて着付けてもらわないとできない着付けです。
この着付けと、あの婆さんのグダグダ着付けと、まっっっったく次元が違うそうです。
ガルちゃんコメ
>紫系ばっかりで帯締めが緩くて衿がグズグズの気付なのがミソ
過去トピで花柳界の暗黙慣習が調べられていて
帯締めがはずれるといい男が見つかるっていう幸運だと考えるから
緩くするとか
紫系は粋筋が、いい女でしょうって「艶の色として」
(ケヨワードの”艶やか”つまり”艶事”=行為が巧いアピ)選ぶとか
衿が緩いのはもちろん肌見せだったりとか
いろいろあるんですねーと
・・・イトコさんは芸者ではなく、個人営業のおひきずりさん?+70
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