「思いやりの心」(他者への想像力)が芽生えるのが他の子供より遅かった人
123コメント2019/10/04(金) 05:46
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88. 匿名 2019/09/30(月) 17:01:33
>>71さんのような方の参考になればと思ってトピを立てました。
長文になりますが、興味のある方だけお付き合いください。
思いやりの前段階として、「他人にも心がある」と理解するきっかけが小4の時にありました。
(私は意地悪ではなく、本当にこれを理解していませんでした。
頭の中はもやがかかったように、自分が興味あることにしか目は行かず、
両親や他人の言葉も、興味がないことは頭に定着しませんでした)
ある日、クラスの中でも人一倍大人びていたNちゃんと言う女子に「音楽室一緒に行こ!」と声をかけたら
「主ちゃんとは一緒に歩きたくない」と言われました。
(私という、この世界の主役である唯一の人間に対して、モブ=「優しいクラスメイト」をあらわす記号、セリフのない端役に過ぎないはずの)
Nちゃんが予想外の「発言」をした事にびっくりして「え!なんで?」と聞いたら
Nちゃんは申し訳なさそうに「主ちゃん、よくバンバンて叩くでしょ。痛いから嫌なの」と言いました。
(私には何も考えずに笑いながら友達の肩をバシバシと叩く癖がありました)
これは、当時の私にはものすごい衝撃でした。
「私以外の人間も、叩かれたら痛いの!?」
「私以外の人間も、何かされて嫌だと思うの!?」
私はその時に初めて、Nちゃんという子の顔を見た気がします。
今なら、Nちゃんも私と同じ人間で、Nちゃんを大切に思う両親がいて、
Nちゃんにも意志と感情と思考があることがわかりますが
当時の私は、Nちゃんや他のクラスメイトは「私の生活」という映画の
「学校」という場面に登場する「クラスメイト」という役のお人形のようなものだと認識していました。
その認識は明らかに歪んでいましたが、誰にも話したことがなかったので、誰にも訂正される事はありませんでした。
続きます。+33
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