ガールズちゃんねる
  • 303. 匿名 2014/11/11(火) 17:15:02 

    ■芸術性にこそフィギュアの魅力が詰まっている

     羽生選手の闘志あふれる滑りに対する私の感想を述べさせていただこう。私も感動したし、フィギュア選手の不屈の内面を見て、熱いものを感じた。裂傷を負い、体へのダメージも心配される中、それでもリンクに上がる羽生結弦という若者を誇らしくさえ思った。このガッツがあるからこそ、彼は世界を制することができたのだ……と素直に感激した。

     しかし、彼の演技を見終わって手にした感動は、フィギュアスケートが魅せてくれるそれではなかった。ぐるぐる巻きのバンテージ、衣装には血痕が残り、何度倒れても起き上がってくるファイト、それはリンクではなく「リング」を思わせるような感覚で、格闘技を見た後に襲われるような感情だった。

     そして、私は思った。

     羽生選手がフィギュアスケートで伝えたいことは、「これなのか?」と。

     フィギュアスケートの本来の魅力は、美しさであり優雅さであり、スピード感であり高い技術が魅せる安定感であり、トータルに言えば「芸術性」というものにこそフィギュアスケートの魅力が詰まっている。だから出血していたり、衣装に血が付いていたり、頭にバンテージを巻いていたりしていてはいけない競技だと思うのだ。

     ステージ上のバレリーナが同様の状態だったら、どうだろうか? 観客は、とてもバレエを楽しむ雰囲気ではないと思う。

     ここで私が指摘したいことは、この一点に尽きる。

    ■「それでは美しさが表現できない」

     もし、どうしても滑りたいという羽生選手を止めることができたとしたら、「それでは美しさが表現できない」と訴えることだったのではないか。これが唯一説得力のある言葉ではないかと思う。

     この観点からなら、世界一の美しさを誇る羽生選手は、置かれた状態の意味と自分のケガを冷静に判断できたのではないかと思う。

     我々は、羽生選手にすごいものを見せてもらった。それはどんなドラマよりも力強く感動的なものだった。しかし、それは彼が本当に見せたかったものとは違う。そのことを我々はしっかりと理解しておかなければならない。

     どんなことがあっても、羽生結弦のような選手は、それを乗り越えてチャレンジしてくる。しかし、それでは羽生選手の安全を守ってあげることはできない。

     だから、危険と思われるチャレンジを抑止するためには、「フィギュアスケーターは、出血していたり、バンテージを巻いていたり、脳震とうの疑いがあったりする場合は、美しさという観点から、これを止めることができる」というルールを作るべきである。

     そうでなければこの先も、同様の、あるいはそれ以上のケガを押しても、羽生結弦選手はリンクに上がってくるだろう。

    ・・・これ、めっちゃ説得力あると思う。
    リンク貼りたかったけどできるだけ多くの人に読んで欲しかったからコピー。長文ゴメン。

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