身近な人から聞いた戦争体験
1875コメント2019/09/06(金) 11:28
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223. 匿名 2019/08/10(土) 17:42:19
私の父方の祖父の兄弟の奥さんは満州からの引揚者だった。ソ連兵につかまって輪姦されたたらしい。さんざんもてあそばれたようだ。
生還したが帰国後頭がおかしかったらしい。男性を見るとズボンのチャックを開けてお〇ん〇んを握ろうとしたとか。
私の遠い親戚は都内に住んでいたけれど、戦後一面焼け野原の地に家を建て直そうとしたとき、どこからかやってきた朝鮮人に土地を一部掠め盗られたとか言っていた。取り戻すことができなかったらしい。結構大きな敷地だったのに、相当狭くなってしまったと言っていた。
私が若かったころ、大東亜戦争に招集されて外地に派遣され生還した人たちが、定年退職前でまだ働いていた。昼休みなどに戦争体験をよく話してくれた。
外地の飛行場に勤務していた人は、毎日のように米空軍の爆撃を受けた。当然人も死ぬ。死体の片づけが大変だったと。直撃を受け、細かい肉片になってしまった死体は早く片付けないといけないらしい。とても腐りやすく、すぐに臭くてたまらない状態になるらしい。バケツを持ってよく拾いに行ったと。
米軍の捕虜生活をした人は、米軍が捨てた煙草の吸殻がたいへん貴重だったらしい。一服すると美味しくてとか言っていた。数少ない楽しみだったようだ。
都下の中央沿線に住んでいたご老体は、当時中学生くらいだったらしい。軍需工場がたくさんあって動員されて働いていた人たちが、B29の爆撃で大勢亡くなったと言っていた。隣に住んでいたお姉さんとか友人のお姉さんとかが。
川越に住んでいた、農家のあるご老体は、敗戦直後のバラックなどがまだ目立つ新宿などで、蒸した芋を薄く切ってガラスの上に並べて売ると、飛ぶように売れていいお金になったとか。あの頃は生活するのが楽だったなどと…。
母は農家から嫁に欲しいと戦時中言われたらしい。都会は全然食べ物がないので、ご飯が食べたいから行くと祖母に言ったところ、「お前は百姓には向いてない。身体も弱いし」と言ってその縁談を拒否した。母は祖母の判断を今は感謝していると言っていた。+231
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1788. 匿名 2019/08/12(月) 21:47:02
>>223
ご老体って・・・。+2
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