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2948. 匿名 2019/07/10(水) 19:00:09
士農工商の身分制が一旦破壊された明治時代
困窮した士族が溢れた時代だったから
自称・士族の人も雲霞の如く湧いてきた
狭い村で昨日まで農民やってた男が士族を名乗っても相手にされないけど
一旦都会に出てしまえば今みたいにネットもないから名乗ったもの勝ち
なんで士族を名乗りたがったかというとメリットがあるから
ぶっちゃけ花街に身売りするにしても農民の娘より士族の娘の方が高値がつく
言わば戦勝藩だった長州・薩摩・土佐だと藩士を詐称しにくい(バレやすい)けど
攻め込まれて武士人口が激減した会津なら・・・
ね?わかっていただけるかな+28
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2982. 匿名 2019/07/10(水) 19:34:06
>>2948
中学生の頃白虎隊に興味を持っていろいろ調べ、会津出身の方からも実際にいろいろ聞いたので、あくまでもその印象でのことですが、会津藩の末裔の方々は、その出自を振りかざして利用しようとはしないし、したがらない方達だと思います。
松平容保も日光東照宮の宮司として慎ましく余生を過ごしたし、自刃した白虎隊の生き残りの飯沼貞吉も、当時の記録の生き証人として質問には応じても、名を貞雄に改め喉の刀傷を隠し、自らそれを金儲けや世渡りの手段にしようとはしなかったらしいです。
前の方で南米の方々の気高さを示して下さった方がいらっしゃったように、幕末の会津藩士の愚直なまでの誇り高さを、あのキツネの親父にまんまと利用されていたことに憤りすら覚えます。+66
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