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5326. 匿名 2019/04/02(火) 12:23:32
「白村江の戦い<660年>」で「百済」は「新羅」に破れたので、「百済の上層階級」を初め、多くの「百済人」は「倭国に亡命」した。「百済」から「倭国へ亡命」できたのは、「倭国」はそれまでに「百済人」によって「統率」されていたからである。「司馬遼太郎」は、百済人の亡命のことを「百済人の倭国への引っ越し」と述べている。「百済王朝の亡命者」は「王朝語」を「大和朝廷」にもたらし、「大和朝廷語」として普及させ「宮廷語」として使われるようになった。従って、『万葉歌』は「百済王朝語」すなはち「宮廷語」で書かれたのである。
『万葉歌』に使われている「言葉」のほとんどは、「現在」の「大和言葉」に含まれているので、「大和言葉」は「百済」から持ち込まれた「王朝語」を水源としていることになる。
以下の方々は「現在の日本語」の水源は「百済語」であると主張している。
○ 「記紀」「万葉歌」は古代朝鮮語で書かれている。(松本清張)
○「飛鳥における政治の実権は蘇我氏(朝鮮人)の掌中にあった。このころ
の天皇とは蘇我氏のことである。」 (亀井勝一郎他)
○「飛鳥は日本人の心の故郷と言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮
人であった。」 (井上光貞 山本健吉)
○「飛鳥は朝鮮文化をぬきには語れない。」 (司馬遼太郎 上田正昭)
○「百済から来たばかりの高官 鬼室集斯 が学頭職(文部科学大臣)になっ
たということは、言葉の問題がなかったことを意味している。」
(佐々克明)
○「近畿地方に最初の統一政府をつくったのは渡来人である。」
(小山修三)
○ 「飛鳥王朝と百済王朝は親戚関係にあり、天皇の側近は百済の学者であ
った。宮中では百済語が使われていた。古事記・日本書紀は百済の学
者により吏読表記(百済の万葉仮名)で書かれている。
(金容雲 日韓文化交流会議の韓国側代表)+1
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