ガールズちゃんねる
  • 8562. 匿名 2019/02/13(水) 18:52:52 

    >>8557
    <続き>
    1990年に帰国された雅子さまは、エリート中のエリートが配属される北米局北米第二課(アメリカ、カナダの経済に関する外交政策)へ配属されました。将来は駐米大使を目指す出世コースです。
    国連英検特A級の資格を持ち、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語を駆使して、USTRとの日米半導体協議などの仕事をし、トップ間会議の同時通訳を勤め、アメリカ側からも、その能力の素晴らしさを称賛されました。

    1991年(平成3年)3月、スウェーデン首相イングヴァール・カールソンの歓迎夕食会に通訳で出席。
    1991年(平成3年)3月11日には外務省飯倉公館で行われた米国国務長官ジェイムズ・ベイカーと当時の外務大臣渡辺美智雄、竹下登、中曽根康弘の会談の通訳など、語学力を生かして幅広く活躍していました。圧倒的な学力で日本の政治家達は驚かれたそうです。
    1991年日米半導体交渉外務省としてMOFA(Ministry of Foreign Affairs of Japan=外務省)の席についていらっしゃる雅子さま

    竹下首相と三塚通産省大臣の補佐「週刊新潮2001年12月13日号」

    三塚博・通産省大臣とカーラ・ヒルズ通商代表部USTRの通訳をなさっている雅子さま



    1989年11月に通商代表部USTRカーラ・ヒルズ代表が後藤法務大臣へ申し入れた「アメリカ弁護士事務所への日本市場開放要求」日米交渉で米側アドバイザーには、テレビコメンテーターとして知られる湯浅卓弁護士(麻布→東大法→UCLAローLL.M.取得→コロンビア・ロー→、ハーバード・ロー、NYとワシントンD.C.の弁護士資格)がついていて、日本側で働く雅子さまの有能さを間近で体験したそうです。

    美しく聡明な雅子さまの仕事ぶりを見て、「是非ともうちの息子の嫁に」と言った閣僚の逸話もあります。
    元総理大臣のスピーチ原稿を草稿する役目をした時、雅子さまが最後に追加しておいたエピソードが印象的で素晴らしかったそうです。
    これらは全てマスコミ報道されています。

    一方、1992年ごろには宮内庁のリストに有力な妃候補がいなくなってしまい、最後に宮内庁長官が皇太子様のお気持ちを聞くと「雅子さんではだめでしょうか?」のお尋ねがありました。
    そこから、一気呵成にお二人の結婚へ向けてお話が進んだのです。

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