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8557. 匿名 2019/02/13(水) 18:51:52
>>7279
>学歴ロンダリングやら
わーい>>8402の続きの出番だ!
雅子さまは学歴ロンダリングなどというどこかの宮家の世界からは、はるかに離れた所にいらっしゃいます。
<続き>
1985年6月にハーバード大経済学部を卒業して帰国された雅子さまは、外交官試験にパスしなくてはなりません。
しかし当時の外交官試験は、合格者が年20人前後(試験科目が異なるが、旧大蔵省入省より難関)、合格発表も遅かったため、落ちれば他の官庁を受けることのできない、すべり止めが聞かない試験でした。
なので、ハーバード大学を優秀な成績で卒業した雅子さまですが、お父様のアドバイスに従い、東大生の地位を確保しておいてから受験しました。
つまり、コネを使わなかったから滑り止めのために、わざわざ東大法学部3学年へ学士入学しておいたのです。
万一学士受験に失敗したときのために日本銀行の入社試験も受けてあり、就職の道は既に確保してあったそうです(ハーバード経済学部卒なら、金融業界はどこでも欲しがりますね)。
当時の東大学士入学試験は、卒業した大学の推薦状を提出してペーパーテストを受けるもので、100人中3人の合格者の一人でした。
外交官試験では、同期受験した人の報告で、雅子さまは「分厚い英語のテストをサラサラと解いていた」そうです。
ご優秀なので競争率40倍の外交官試験を一回で合格し、東大は当然のことながら中退し、そのまま外務省経済局国際機関第二課へ配属され、スーパールーキーとしてキャリアの道を進まれました。
同期は「とても優秀な人だと噂だった」と言っています。
どこの官庁でも、優秀な上級職(キャリア)は官費で留学させるシステムがあります。
1988年雅子さまは皇太子妃候補として騒がれるのを避けるためもありましたが、仕事のために外務省から出向の形でイギリスオックスフォードへ留学しました。
そして、皇太子妃候補としては全くふさわしくない「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」(今日も続いている政治的問題)をテーマとして選びました。
雅子さまは、これで皇太子さまとのご縁は無くなったと思って安心していらっしゃったのかもしれません。
それでも寮に報道陣が押しかけるので、教授の知り合いのお宅に住まわせてもらって大学へ通いました。
1988年7月9日~11日には第16回サミット(ヒューストン)で半導体問題担当の海部俊樹議員の通訳の一人として米国に出張しています。通常、外務省の若手エリートが要人の通訳をします。
その後、皇太子様は、宮内庁作成リストの他の女性ともお付き合いし、何度もお会いしてうまく進みそうだった有力な方々もいたのですが、
(1)祖先に台湾総督府総務長官がいることで外交面でマイナスになるという判断が働いたり、
(2)親戚に経済事件に関連して脱税容疑で逮捕されていたり、
(3)マスコミ・政治家関係の娘は好ましくない、
などの選考基準で候補から外されたようです。
どこか上の方で、皇太子のお妃選びが難航しており、政治的に問題のあるテーマの研究は皇太子妃候補としてふさわしくない、との判断が働いたらしく、1990年6月に雅子さまは研究途中なのに、外務省から呼び戻されてしまいました。
担当したチュカリス教授の話「雅子は賢いだけではなく、非常に性格がよく、彼女が私の教え子でなければ、『尊敬』という言葉に値する人物だと思います。…外務省から呼び戻されたため、修論を断念しなければならなかったのが残念です。」
出典:blogimg.goo.ne.jp
教授は、雅子さま結婚後、何かの折にあの研究はかなり出来上がっているから日本で研究して論文にすれば修士を取るには充分なことを伝えたそうです。
すでに皇太子妃となってしまった雅子さまはそのテーマについて触れることすら問題が起こると感じたのでしょうか、その件についてのお返事はしなかったそうです。
多分、教授も事情をわかっていらっしゃって、念のために伝えたのでしょう。
<続く>
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