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5095. 匿名 2019/01/29(火) 20:56:52
読売新聞 1989年8月26日
英語は母国語並み ドイツ語、中国語も
スキー本場仕込み テニス、乗馬も得意
川嶋紀子さんは、昭和四十一年九月十一日、母・和代さんの実家に近い静岡市の済生会病院で生まれた。
当時、一家は東京・新宿区早稲田南町に住んでいたが、四十四年、父・辰彦氏の留学に伴って米・ペンシルバニアへ。
紀子さんはここで幼児期(三歳―六歳)を過ごし、帰国後の四十八年、学習院初等科に入った。
紀子さんの英語が母国語同然といわれるのもそのためで、初等科時代の友人は、「日本語にも外国人のような英語なまりがあった」という。
昭和五十三年、紀子さんが初等科五年の時、父・辰彦氏がIIASA(国際応用システム解析研究所)の主任研究員に迎えられたため、
四十八年に生まれた長男・舟(しゅう)さんも含め一家四人は、オーストリアのウィーンに渡る。
紀子さんは現地のアメリカン・スクールに通って英語に磨きをかける一方、ドイツ語も日常会話に困らない程度にまでなった。
帰国したのは、五十四年九月。紀子さんは学習院女子中等科に一年生の二学期から戻り、二年ぶりに日本での生活を始めた。
紀子さんは十三歳だったが、すでに六年近くを外国で過ごしており、語学をはじめとする国際感覚は、ごく自然に身についたようだ。
中等科時代は、美術部に所属、十数人の仲間と一緒に週二回、静物、風景画などを熱心に描いていた。
スキーもオーストリア仕込みで、三年の時に山形県・蔵王で行われた学校のスキースクールでは、一人だけ上級クラスだったという。+0
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