-
4245. 匿名 2019/01/29(火) 15:31:23
>>4128
最近の川島関係者は、丁寧な言葉使うようになったみたいですね。
雅子さまの母方祖父にあたる江頭豊氏について、ご存じの無い方のためにコピペします。
・江頭豊氏は、東大卒業後、日本興業銀行(日本産業を発達させるための銀行)へ入行して29年間勤続した、生粋の銀行マンでした。
・その優れた能力を見込まれて、当時大変な問題となっていた水俣病の発生源「チッソ」株式会社の立て直しを頼まれ、1964(S39)年12月から1971(S46)年7月まで社長として問題の対応にあたり、更に1973年5月まで会長を務めました。
・社長就任前の1964年の1月に水俣病の原因がメチル水銀であることを確定する論文が発表され、チッソが1941年から製造していたアセトアルデヒドの製造が水俣病の原因物質の発生源として有力視された状態でした。
(なので、水俣湾の魚が危険なことは良く知られており、1964年以降の発病はそれまでの体内蓄積に起因すると思われます)
・水俣市は国策会社だったチッソの「企業城下町」であり、チッソの命運と水俣市民の生活は一心同体でした。
・なので、新社長には、
(1)会社を倒産させず(倒産したら社員が失業して水俣市自体も破産してしまう)、
(2)(公害保証で破産しそうな会社なのに)巨額の設備投資費用を調達して製造工程の変更を行い、
(3)被害者も救済する、
困難な任務が課せられました。
・江頭社長の尽力の下、設備改修費用をなんとかして調達し、できる限り早く新しい工程へ移行するために設備を改修しました。
・1968年5月に水俣工場でアセトアルデヒド製造が中止され、1971年3月には水俣工場で少量の有機水銀を排出していた工程の稼働が中止され、水俣病の発生源を完全に封じました(江頭氏の社長任期中に達成)。
・水俣病患者の認定は(江頭氏社長就任より5年も前の)1959年に開始され、1971年環境庁次官の通知で「疫学条件(原因食品の摂取)といずれかの症状」による認定が開始されました。
・補償内容は1973年に患者と原因企業間で締結された補償協定により、水俣病の認定は、国(環境省)の認定基準にしたがって、国からの委託を受けた熊本県および鹿児島県(チッソ関係)ならびに新潟市(昭和電工関係)が行っています。
江頭氏は、みなが嫌がる困難な仕事を断ることもできたのに、世のため人のため、あえて引き受けてくださった人です。 当時も「男の中の男」と評されたそうです。
江頭氏の重い決断には、後年、優秀な孫娘がなさった、別の種類の重い決断と共通するところを感じます。
雅子さまは、外務省事務次官や駐米大使への道が開けているのをご存じだったし、天皇家の内情も色々耳に入っていらっしゃったのに、皇太子さまとご一緒になる道を選ばれた、素晴らしいかただと思います。
・最近話題になっているユージン・スミスさんへの暴力事件は、千葉県市原市五井チッソ工場で1972年1月ですので、江頭氏の社長退任後のことです。
・新潟の昭和電工の「創業者」一族の直系には、美智子さんの妹さんが嫁いでいます。そちらの家は第二水俣病発生に対する、注意義務を怠った重大な責任がありますね。おまけに、公害発覚後に嫁がれているのですから、創業者一家にとってこの婚姻はかなりメリットがあったでしょうね。現に、新潟第二水俣病に関しての報道はあきらかに少ないですから。
+27
-4
削除すべき不適切なコメントとして通報しますか?
いいえ
通報する