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1284. 匿名 2017/04/12(水) 23:42:17
>>1266
知ってる事を書きます。
これはサリーとタローが霞が関の久保講堂で行われたジュリーのフィルムコンサートにゲストで来て話した事です。
………
京都から五人で上京して四谷で合宿生活をした。
メンバー内で
揉めるというか喧嘩するのは、
いつもジュリーとトッポ。ジュリーとピー。
トッポはヒッピー(当時アメリカで大ブーム)に憧れ
裸足で歩いたりする、それを見てカッコ良いと真似するのがピー。(場内爆笑)
遅刻するトッポ、真面目なジュリーはそれを許せない、
的なニュアンスで話して、
とにかく沢田は真面目な男だけど、笑
あんな事をね。笑
(前年の秋.その年の5月の暴力事件の事)
みたいな事を言ってました。
………
昭和44年にトッポが脱退します。
(その後サリーの弟のシローがアメリカから呼び戻され
メンバーに。)
トッポは我儘で協調性が無かったし、
事務所のお人形でいるのは嫌だ!と主張して
事務所の反対を押し切り脱退してしまいます。
その時にピーも「もう続けられないから自分も辞める」とダダをこねた。
それで事務所が、ハッキリ憶えてないけど
「●●月迄我慢したら解散させるから我慢して」、
となだめすかしたそう。
それでいざその時期が来たら、
約束通り辞めると言ったのはピーだけで、
他のメンバーは辞める意思が無かったと知り、
ピーは裏切られたと怒り、
すぐ辞める!と言いだしましたが、
どうか解散コンサートまで待ってくれと
なだめ、昭和46年1月の武道館コンサートで
ついに解散になりました。
ピーはその後、有楽町で打ち上げして、
その足でトラックで荷造りして京都に帰りました。
「二度と汚い芸能界には戻らない!」
と言い残しながら。すぐに中退した母校の夜間に
復学し懸命に努力し、
翌年一般入試で(当時は皆んなそうだけど)
慶応文学部に受かっています。
脱退したトッポは辞めた年に大麻で逮捕されています。
タイガースが昭和42年デビュー、
二曲目から売れに売れグループサウンズの頂点になり、
正に戦後最大のムーブメントでした。
オリコンもない時代に出す曲出す曲大ヒットで、
社会現象でした。
その中心はタイガースでジュリーでした。
当時はあのレベルでも長髪だ!不良だ!
コンサートに行ったら停学だ!と大人達からは
異端児扱いで非難され、
NHKにも出場不可になる程でした。
ですからあれほどヒット曲を出しながらタイガースは
紅白に出る事は叶いませんでした。
タイガースも昭和42、43、44年の前半迄は
凄かったんですが、44年半ば頃から
音楽性もコスチュームも
星の王子様的なポップなものから、
もっと洋楽の影響を受けた本格的な難しいものに
変わって行き、
ティーンエージャーの嗜好からは離れて行き、
人気もお子様仕様のジャニーズのフォーリーブスや
男女のピーターに移って行きました。
昭和45年には千葉真一やにしきのあきら、
フォーリーブスが人気で、
タイガース始めグループサウンズは
めっきり見なくなりました。
だんだん解散するグループも増え、
王者タイガースも遂に昭和46年1月26日、
武道館でビューティフルコンサートと銘打った
解散コンサートを挙行し時代の幕を閉じました。
それから何年も1/26になるとその日を思い、
ファン達が武道館あたりに集まって来たみたいです。
タイガースの解散の直接の原因は、
トッポの脱退からのメンバーの確執と、
ブームの終焉でしょうね。
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