ガールズちゃんねる
  • 564. 匿名 2017/01/25(水) 14:02:36 

    続き
    2012年の9月、池永は唐突に「留学する」と言い残してアメリカへ旅立つ。ロサンジェルスに親戚が住んでいて、そこから語学学校に通ったのだ。 アメリカ滞在中、池永はSさんの別れを惜しむ気持ちにつけ込み、裸の写真を何枚も送らせる一方で、彼女に冷たく当たった。 現地で知り合った女性と交際し、スカイプでSさんにそのことを話したり、パソコンを通して彼女に挨拶をさせたりしたのだ。たった3カ月で帰国したにもかかわらず「一時帰国」と偽ってSさんと会い、「別れよう」と切り出したこともあった。 この池永の言動は、幼児が母親の愛情を確かめるために悪戯をするのと同じ「愛情のためし行動」だったのだろう。Sさんの気持ちはそれらの行為によって冷めていく。2013年初頭、Sさんは告げる。 「私、気になる男性ができたの」 池永は激しく動揺し、Sさんを思い留まらせるために、ポルノ画像をつかって恐喝をはじめた。バラまかれたくなければ自分と会え、と。話し合えばやり直せると考えていたのである。 3月、Sさんはクッキーを持って大阪の池永のアパートを訪れた。だが、池永は彼女のよそよそしい態度に不安になり、映像を削除するふりだけして、Sさんに手錠をはめてレイプをする。 この一件後、Sさんは二度と会わないと池永に告げた。池永はフラれた怒りから、SNSを通してSさんの動向を調べ、新たな恋人ができたことを知って殺意を抱くようになる。 「彼女が別の男性と交際していることを知り、己の状況がすこぶる悪いことに気がつきました。体重は10キロほど落ち、アトピーもひどくなりました。ここから抜け出すには、殺すしかないと思うに至ったのであります」 Sさんはその後も池永から脅しを受けつづけたことで、6月には両親に相談。両親は電話で池永に近づかぬよう告げた上で、警察に通報。登下校も同行するなどしていた。 しかし池永の殺意は時を経ても消えることがなかった。 9月28日午前6時、池永は友人とともに長距離バスで上京する。その後、ペティナイフを購入。井の頭公園などで野宿をしながら三鷹にある彼女の自宅へ通い、殺害の機会をうかがった。ポルノ画像67点(後に児童ポルノと認定されたのは13点)をアダルト投稿サイトにアップロードしたのは、その間の10月2日のことだ。

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