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身近な人から伝え聞いた昔の話

110コメント2016/10/07(金) 18:09

  • 1. 匿名 2016/10/06(木) 13:49:54 

    私は産まれた時には祖父母が他界していたので身近な人から昔の話を聞いたことがありません。

    皆さんのおじいさん、おばあさんが実際に体験した話や、そのまた昔の代から伝え聞いたリアルな話を聞いてみたいです。

    +35

    -0

  • 3. 匿名 2016/10/06(木) 13:52:05 

    天皇は女優と不倫し礼宮(今の秋篠宮)が生まれた。

    +39

    -98

  • 4. 匿名 2016/10/06(木) 13:52:15 

    身近な人から伝え聞いた昔の話

    +56

    -2

  • 5. 匿名 2016/10/06(木) 13:52:21 

    首の話にみえた(笑)

    +3

    -7

  • 6. 匿名 2016/10/06(木) 13:53:08 

    横浜大空襲の時、
    置き場の無い大量の焼死体を集めて来て黄金町の駅前に山積みだったので、
    今でも日本人は演技が悪いとあの辺りには住まないらしい。

    +100

    -5

  • 7. 匿名 2016/10/06(木) 13:55:38 

    箱根山は富士山が噴火してできた?

    +25

    -0

  • 8. 匿名 2016/10/06(木) 13:55:38 

    戦争があったから疎開して地元に来たのよ〜


    とかいう話もリアルタイムでは聴けなくなりつつあるね

    +84

    -2

  • 9. 匿名 2016/10/06(木) 13:55:44 

    昔の海女さんはフンドシ1枚トップレスで仕事してたらしい

    +100

    -2

  • 10. 匿名 2016/10/06(木) 13:55:51 

    「あんたのお父さん(50歳)が赤ちゃんの時はよく川にオムツを洗いに行ってたわ」とばあちゃんが言ってた。衛生的にOKなんだろうか…

    +123

    -2

  • 11. 匿名 2016/10/06(木) 13:58:02 

    本物のハチ公を見た人はご近所に数人いる

    +137

    -0

  • 12. 匿名 2016/10/06(木) 13:58:02 

    地名は昔の環境を表してるから引っ越しの際は気をつける。

    +155

    -1

  • 13. 匿名 2016/10/06(木) 14:00:19 

    今の家が立つ前の家の頃の話。
    時代は昭和。
    アタシのオトンが子ども頃の話(多分小学生、のび太ぐらいだろうか)
    家には、馬がいたとか
    学校ではウサギを飼っていて、夏休みうちに連れてきて世話していたとか
    米俵が家にあったとか
    そういう系の話を聞きます。

    +42

    -3

  • 14. 匿名 2016/10/06(木) 14:00:49 

    昔の女の人はパンツを履かなかったらしい。
    おりものなんて出なかったらしい。
    生理は自分でトイレに行ったら出したり抑えたりコントロールが出来たんだって。

    +194

    -14

  • 15. 匿名 2016/10/06(木) 14:01:42 

    祖母から教えて貰った事です。
    昔の冷蔵庫は大きな氷を入れて飲み物や
    果物などを冷やしていたそうです。。。
    身近な人から伝え聞いた昔の話

    +166

    -3

  • 16. 匿名 2016/10/06(木) 14:02:47 

    >>14
    ホンマなら、羨ましい。

    +72

    -2

  • 17. 匿名 2016/10/06(木) 14:03:20 

    神奈川県の港北ニュータウンの特に都筑区の辺りは曰く付きの土地らしい

    昔、小田急線を引くときわざわざあの辺を通らないように避けたらしい

    後に東急が田園都市線を引いて綺麗な街につくりかえてしまったので最近の人は知らないって言ってた

    +99

    -2

  • 18. 匿名 2016/10/06(木) 14:05:29 

    昔の人、現のおばあちゃん世代かそれ以上上の世代ならわかるだろう。
    砂糖は貴重。
    大量の砂糖を使用した甘い料理(煮物とかかな?)を作る。
    現代人と味覚も違うな。

    +96

    -1

  • 19. 匿名 2016/10/06(木) 14:05:32 

    雅子さまは、創価と韓国の刺客で皇室を乗っ取ろうとしてると聞いた

    +44

    -60

  • 20. 匿名 2016/10/06(木) 14:06:39 

    昔は火葬でなく土葬だったので、死んだと思っていた人が生き返ることがあった。

    +123

    -3

  • 21. 匿名 2016/10/06(木) 14:06:58 

    島原大変肥後迷惑
    長崎で地震がおこって連動して噴火までおきて、その飛び出た土石流が海に落ちて、津波まで引き起こして対岸の熊本に津波が来て合計で二万人ぐらい亡くなった災害
    災害は定期的に繰り返すから、子孫に伝えていかないといけないらしい
    長崎、熊本の人は聞いた事ある人多い

    +83

    -1

  • 22. 匿名 2016/10/06(木) 14:07:19 


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    +32

    -2

  • 23. 匿名 2016/10/06(木) 14:07:27 

    >>10
    川の水はきれいなら大丈夫……
    昔の人はそれくらいにしか捉えてなかったのかな?

    +31

    -0

  • 24. 匿名 2016/10/06(木) 14:08:42 

    >>17
    あざみ野とか都筑区は元々被差別部落民の集落や朝鮮部落があって、
    それを払拭する為に綺麗な名前を付けて再開発したんだよね。

    +88

    -5

  • 25. 匿名 2016/10/06(木) 14:10:06 

    ロバのパン屋さん、昔はロバ(本当は馬らしいですが)が引っ張っていたこと。
    身近な人から伝え聞いた昔の話

    +105

    -1

  • 26. 匿名 2016/10/06(木) 14:10:49 

    おばあさんは白血病
    おじいさんは肺癌
    おとうちゃんは脳出血
    赤ちゃんは難病


    犬もいたらしいよ
    保健所に行ったらしい

    +6

    -26

  • 27. 匿名 2016/10/06(木) 14:10:59 

    祖父は戦時中自分から志願して特攻隊になった
    当時14歳ぐらい
    でも出陣予定が1945年8月20日だったから、戦争が終わるのがあともう少し遅かったら 私はいない
    東京出身なので、大空襲の事とかも話はいろいろ聞いた

    +145

    -3

  • 28. 匿名 2016/10/06(木) 14:11:20 

    1人死ぬと続けて3人死ぬと(合計3人)言うのをオカンから聞いた。

    天国だか天界で人を呼び寄せてるとかいう風な感じで聞いた。

    +63

    -3

  • 29. 匿名 2016/10/06(木) 14:12:06 

    >>26
    >>お姉ちゃんは7歳で死んだ
    さみしい

    +13

    -2

  • 30. 匿名 2016/10/06(木) 14:13:09 

    長崎の原爆投下を有明海を挟んで見ていたおばあちゃんは、空がキラキラ輝いてたって言ってた。

    +87

    -4

  • 31. 匿名 2016/10/06(木) 14:14:18 

    くじら(イルカなのかな?)が打ち上げられたら
    地震が訪れる前兆(前触れ・お知らせ)だと言われているんだって…‥
    ホントかな?

    +61

    -0

  • 32. 匿名 2016/10/06(木) 14:16:03 

    +32

    -6

  • 33. 匿名 2016/10/06(木) 14:17:55 

    >>15
    これ、今でも敢えて使ってる店をテレビで見ました。庫内が適度な湿度で保たれるってのが理由だったかな?

    +31

    -0

  • 34. 匿名 2016/10/06(木) 14:19:05 

    おばあちゃんは、生理の時あて布をしてたらしい。恥ずかしいので洗った布は山奥まで干しに行ってたそうです。

    +91

    -0

  • 35. 匿名 2016/10/06(木) 14:19:48 

    東京大空襲のとき、東京の方の空が真っ赤だったと祖母が言っていた。
    栃木です。

    +80

    -0

  • 36. 匿名 2016/10/06(木) 14:20:12 

    >>34
    むしがつくね

    +6

    -5

  • 37. 匿名 2016/10/06(木) 14:21:30 

    地方なんだけど
    海沿いの土地はいろんな人が出入りするから
    住むのは避けた方がいいと言われている

    元炭鉱町も色んな所から来てる人が定住者しているからあんまり柄が良くないと言われた

    +63

    -2

  • 38. 匿名 2016/10/06(木) 14:23:01 

    おじいちゃんの双子の妹、風邪から肺炎になっ17歳で亡くなったらしい。
    写真館でとったモノクロの写真がすっごく可愛くて、おさげでレトロなワンピース着てて印象的でした。おじいちゃんの部屋に額に入れて飾られてた。

    +102

    -1

  • 39. 匿名 2016/10/06(木) 14:23:42 

    岩手県民です。雫石の飛行機事故について職場のおばさん、学生時代の先生、父、いろんな人から聞いたことがあるのですが、空が一瞬ピカッと光ってキラキラと何かが落ちてきたと聞きました。職場のおばちゃん曰く、ドガーン!とものすごい音がしたそうです。ちなみにそのキラキラは人だったと聞きました。
    岩慰霊の森の前の道路を昼間にたまたま通ったことがありますが、そこだけ異様な空気でした。遊び半分では絶対に行かない方がいいです。

    文章力がなくてすみません!

    +61

    -4

  • 40. 匿名 2016/10/06(木) 14:25:31 

    >>37確かに。在日多い

    +15

    -1

  • 41. 匿名 2016/10/06(木) 14:26:38 

    うちの父は昔、犬を飼っていたが、近所のオッさんに棒で殴り殺されたって
    (T ^ T)だから、うちではペットを飼えなかった。

    +39

    -9

  • 42. 匿名 2016/10/06(木) 14:27:00 

    祖母の話だけど、生まれてもすぐ死んでしまうかもしれないので、出生届は生後数ヶ月前してから提出したらしい。だから実際生まれた日と役所に届けた誕生日が違っていたそうな。それだけ昔は乳幼児の死亡率が高かったんだね。

    +119

    -0

  • 43. 匿名 2016/10/06(木) 14:27:23 

    >>18
    知り合いのおばあちゃんの砂糖の消費量もすごかったです!1ヶ月で1㎏は軽く使うって言っていました。麦茶にも砂糖入れてた。砂糖1㎏は我が家では半年以上もつので本当に驚いた。ちなみに練乳も大量消費するらしいです。

    +40

    -0

  • 44. 匿名 2016/10/06(木) 14:28:15 

    >>20
    土に埋められて窒息死しないのかな?
    たとえ棺の中でも。

    +16

    -1

  • 45. 匿名 2016/10/06(木) 14:28:33 

    父から聞いた話だけど、昔は物乞い?って人がいて家にご飯下さ~いって来たらしい

    +78

    -1

  • 46. 匿名 2016/10/06(木) 14:29:00 

    祖父が子供の頃は山で普通に水晶が採れてたそうです。


    +27

    -1

  • 47. 匿名 2016/10/06(木) 14:29:17 

    近所の由起子さんが,尻軽で不倫ばかり
    してると聞いた。
    子供同級生~笑

    +8

    -22

  • 48. 匿名 2016/10/06(木) 14:35:37 

    昭和初期でも朝鮮人には近づいてはいけないと教えられていたそうです、すぐ怒るからと。
    今で言う火病ですよね

    +125

    -3

  • 49. 匿名 2016/10/06(木) 14:36:32 

    昔は土葬で当たり前のように火の玉が飛んでいた

    +70

    -0

  • 50. 匿名 2016/10/06(木) 14:43:28 

    亡くなった祖母から聞いた話。
    ※長文です。苦手な方はスルー推奨。

    祖母がまだ幼い頃、朝鮮から出稼ぎにくる若い女の子が多かったらしい。夜になると「オンマー」と繰り返し泣き叫ぶので気持ち悪かったと言っていた、そんな子達の話。

    出稼ぎに来たはいいが言葉も通じないし、仕事(裁縫関係の工場だったかな?)を教えてもすぐに泣き喚く子が多く仕事にならない。
    それに当時の朝鮮にはトイレの概念がなく、道端や田畑などでしゃがみこんで用を足していた。チマチョゴリでしゃがめば見えないからちょうど良かったみたい。
    でも日本でそれは通用しないのでトイレを教えるんだけど、閉じ込められると思うらしく発狂しては、その場から逃げ出してしまうのでやっぱり仕事にならないw

    そんなこんなで普通の仕事がろくに出来ないからお金も貯まらない。本人達はすぐにでも国へ帰りたかったようだけど、故郷へ仕送りするお金もなけりゃ帰るお金さえないので戻れない。結果、自分の身体を売るしかなくなるという。

    時代は世界大戦に突入して、故郷へ戻れなかった女の子達は手っ取り早く稼げる仕事に就いた。

    それが従軍慰安婦という話でした。

    +185

    -7

  • 51. 匿名 2016/10/06(木) 14:43:55 

    戦争中、東京に住んでいた祖母の話。
    祖母のご近所さんが配給を貰いに行くと言って出掛けたが、なかなか帰って来なくて、祖母が見に行ったら、ご近所さんは、空襲に遭い、首から先が無い状態で倒れてたそうです。

    また、戦争中は食べる物が無くていつもお腹を空かせて大変だったことや、排便すると寄生虫が連なって固まった状態で排泄する事もあったと言ってました。

    戦争は、庶民には辛いことばかりでメリットはないし、起こしちゃいけないと思っています。
    武器商人には儲かるのでしょうが…

    +123

    -2

  • 52. 匿名 2016/10/06(木) 14:46:06 

    東京の某市だけど
    昔花火工場の爆発があって大惨事だった事
    現場から2キロぐらい離れた所にいたのに
    衝撃で座っていた椅子から飛び上がったらしい

    現場近くは従業員の遺体が散乱して木に引っ掛かっていたり
    そりゃあ修羅場だったそうな

    +67

    -1

  • 53. 匿名 2016/10/06(木) 14:50:19 

    死んだ爺ちゃんの最初の奥さんは戦前結核で亡くなった。
    特効薬の抗生物質がその頃あったら、私は生まれてこなかったことになる。

    私の知り合いAさんのお父さんは、大阪に出張中に、広島の原爆で妻子を亡くした。
    のちに再婚で生まれたのがAさん。原爆がなかったら、自分は生まれてないと思うと、申し訳ないような複雑な気持ちになるんだって。

    +89

    -1

  • 54. 匿名 2016/10/06(木) 14:54:00 

    お祖父ちゃんが兵隊に行ってたとき、昇級して制服が変わったんだけどその頃の日本軍はもうお金がないから自分で縫わなくちゃいけなくて布だけ渡された。
    そんな時にロシア軍に捕まったんだけど、何が何でも新しい制服は取られたくない!ってお祖父ちゃんは友達にも頼んで自分と友達の体に制服を巻き付けて上から服を着て見えないように隠してたんだって。 でもロシア軍に全部身ぐるみはがされて全然意味なかった。その後シベリアへ連行され抑留生活。笑いながら話しててスゲーと思う。

    +102

    -1

  • 55. 匿名 2016/10/06(木) 14:57:05 

    トピ画のは何?

    +23

    -1

  • 56. 匿名 2016/10/06(木) 14:58:49 

    祖母の生家は昔は藩の御家老だったという比較的裕福な家で、祖母も祖母の姉も
    女学校に通うようなお嬢様で、お手伝いさんに囲まれて育ったらしい。

    けど、空襲で本家が全焼して、当主が亡くなり財産もほとんどなくなって、
    祖母も祖母の姉も、親戚の口利きですぐに名もない農家に嫁がされた。
    (多分、農家に嫁げば食事だけはなんとかできるからと言う曽祖母の親心と、口減し)

    最初に嫁いだ相手は出征が決まっている人で、こちらもおそらく、「死ぬ前にせめて嫁取りだけでも」という親心だったんじゃないかと祖母以外の誰かが言っていた。

    そんな結婚だから、相手の人はすぐに
    亡くなって(戦死)、嫁ぎ先の農家に居づらくなった祖母は、なんとか亡父の友人のツテで軍関係の仕事を紹介してもらい、
    薄給ながら祖母の母となんとか暮らしていた。
    祖母の母も、土地などのめぼしい遺産は夫の弟(祖母の叔父)一族に騙しとられていたけれど、
    別宅に保管されていた着物や宝飾品などはわずかに残っていたので、
    それらを少しずつ売りながら、祖母と二人で食いつないでいた。
    (戦後は、祖母の母が路上で着物を売っていると、やくざ者に「シマを荒らすな」と殴られて、
    追い払われたこともあったそう)
    祖母の嫁ぎ先だった農家も、ほんのたまに、お米などを融通してくれた。

    けど、広島に原爆が落ちて、祖母は被爆し、一ヶ月以上、半死半生の身だった。
    祖母の母は、薬もない中で、せめてもの治療として、必死に、どくだみの葉をつりつぶしたものを祖母の身体に塗り続け、
    どくだみを煎じたものを薬代わりに
    飲ませた。少しでも栄養をつけさせようと、わずかな卵のために手元な残った最後の高価な着物も全部渡して、そのおかげか、祖母はなんとか生きながらえたけど、
    それから亡くなるまで30年以上、原爆症で苦しんだ。

    何年かして、お見合いで結婚した相手が私の祖父らしい。
    二人の子供に恵まれた祖母は、私や従姉妹が風邪をひいたり、遊びすぎて疲れたりすると、「あんたらも、原爆3世だから、無理をしてはダメよ」とよく言った。

    +106

    -2

  • 57. 匿名 2016/10/06(木) 14:59:19 

    1947年〜1948年くらい生まれのハーフの人はいろいろつらい目にあった。とてもハッキリとは書けない。

    +63

    -1

  • 58. 匿名 2016/10/06(木) 14:59:50 

    >>55
    八尺様でしょう

    +7

    -1

  • 59. 匿名 2016/10/06(木) 15:01:41 

    >>18
    母から料理を習う時に、何かと調味料で砂糖を使うから昔は貴重だったって分かるよねと話した記憶があります。

    確かに、砂糖を入れる入れないで全然違うし、家で砂糖を作れないから物質が止まったら困る貴重品だと思う。

    +27

    -2

  • 60. 匿名 2016/10/06(木) 15:06:34 

    祖父は戦時中特攻隊にいた。
    第二分隊として小豆島に滞在中に原爆が投下されて、第三分隊は呉にいたからそっちに配属されていたら被曝していたし父も私も生まれていないだろうと祖母から聞きました。
    随分前に聞いたので分隊の名前など細部は違っているかもしれません。

    +34

    -1

  • 61. 匿名 2016/10/06(木) 15:12:51 

    (母方の)亡き祖父が、言っていたそうなのだが、戦時中の召集令状で
    戦地に行きたくない何人もの若者が、醤油の一升瓶を飲み、わざと身体を痛め、
    召集を免れていたそうだ。当時の醤油は、今と違って害のあるような(?)
    成分が入っていたらしい・・・とのこと。

    +73

    -7

  • 62. 匿名 2016/10/06(木) 15:19:16 

    >>61
    害のある成分=塩だよ
    今も一緒
    一気に塩分取りすぎておかしくなるだけ

    +88

    -2

  • 63. 匿名 2016/10/06(木) 15:22:50 

    三味線は猫の皮でできてる。昔は飼い猫がいなくなると、ああ、さらわれて三味線になったんだなと思ったらしい。

    +60

    -2

  • 64. 匿名 2016/10/06(木) 15:24:20 

    生きてたら90に近い両親。
    20代、東京でサラリーマンをしてた。
    給料日に父が不二家のケーキを買って帰るのが
    おしゃれだったそうです。
    安月給だったのでそれもすごい贅沢な事だった。

    +92

    -1

  • 65. 匿名 2016/10/06(木) 15:41:05 

    大正生まれの婆ちゃんはJRのことを、しょうせん(省線)と呼んでた。鉄道省の電車だから。

    戦前東京には「円タク」(一円で走るタクシー)というものがあって、メーターがないので、どこまで走るかはお客と交渉するんだけど、人数も燃費に関係する。婆ちゃんは同乗する友達を茂みに隠して、タクシー止めて交渉成立後、何人かが茂みから出てきて、乗ってたんだって。

    +46

    -1

  • 66. 匿名 2016/10/06(木) 15:44:41 

    おじいちゃんは八人兄弟で田舎で育った。漫画家になりたかったが反対されて反発して軍隊へ入隊。
    戦争が終わるまで今でいうロシアの捕虜だった。

    死んでたら遺族がお金をもらえるし食べる口が減るので、生きて帰って来たおじいちゃんは疎まれたらしい。それを不憫に思ったおじいちゃんのおばあちゃんは川で自殺して食べる口を減らしたらしい。
    それでもおじいちゃんは養子に出されてしまう。
    おじいちゃんの養子先におばあちゃんが行かされて2人は夫婦に。本当は養子に行くのはおばあちゃんじゃなくおばあちゃんの妹が行くはずだったけど、妹が嫌がったから長女であるおばあちゃんが代わりに行ったらしい。養子先ではいじめられて最終的に逃げるくらい酷かったそうな…。

    普通の一般人の話だけど、青春も何もなく親に全て勝手に決められた人生だったんだなあと。今は楽しそうだからいいけどね。

    +93

    -1

  • 67. 匿名 2016/10/06(木) 15:48:55 

    亡くなったばあちゃんが東京にいた頃(まだ若いころ)、
    戦時中で竹やりの訓練をしたと言っていた。
    なんであんな事をしたんだろうなって当時の事を語ってくれた。

    戦争はたくさんの人の人生を狂わせた。

    +75

    -0

  • 68. 匿名 2016/10/06(木) 15:52:20 

    ばあちゃんの新婚旅行は、同じ県内の別の地域。外国なんて行けない時代

    +29

    -0

  • 69. 匿名 2016/10/06(木) 16:01:26 

    お姉さんが嫁ぎ先で亡くなって、その妹を後妻に貰うって話はよく聞くよね。今の感覚だと、うぇーって思っちゃうけど。

    +81

    -1

  • 70. 匿名 2016/10/06(木) 16:16:25 

    祖母の話です。
    北海道の海辺で育った祖母はニシンの大漁を知っています!

    ニシンがくると海が銀色に染まるそうです。
    カモメが鳴きながら空を舞っていたそうです。

    北原ミレイの何とかっていう歌の世界ですね。

    +47

    -1

  • 71. 匿名 2016/10/06(木) 16:17:29 

    宮崎育ちの祖父が、戦時中や戦後は食べ物がないけど、田舎だから畑に芋ならあったって。
    だから毎日芋ばかり食べてたから、今ではさつまいもとかは進んで食べたくないって言ってます。
    あとこれもよく聞く話だけど、戦争が終わったあとにたまに米軍の人たちがジープみたいなので来て、ほんとにお菓子なんかをばら撒いてたから、そこではじめてチョコレートを食べたらしいです。

    +64

    -2

  • 72. 匿名 2016/10/06(木) 16:20:20 

    あるところ住む人が
    ちょっと前に
    義母に何から何までそっくりな人がいると言ってた。
    その土地は、義母によく似たおばさんが
    小さい頃奉公に行ってた土地と聞いてる。
    義母は会いたいような会いたくない様なと言ってる。

    +7

    -4

  • 73. 匿名 2016/10/06(木) 16:22:18 

    >>66
    おじいちゃんの養子先に行かされたおばあちゃん

    おばあちゃんもどっかからその家に養子に出されて、そこで二人が出会ったってこと?

    +33

    -0

  • 74. 匿名 2016/10/06(木) 16:32:58  ID:1LMliB9MC1 

    戦争体験した国語の先生の話。
    10歳頃、庭で大切に育てていたサツマイモ。早く食べたいけど少しでも大きくなるように焦る気持ちを抑え育てていて、もうそろそろ食べられるかなって庭に出たら盗まれていたって。
    悲しいよね。。

    +72

    -0

  • 75. 匿名 2016/10/06(木) 16:35:03 

    夫婦養子じゃない?
    昔は家の存続や祭祀をとだえさせない
    ことが重要で、血の繋がりも二の次だったとか。

    +11

    -3

  • 76. 匿名 2016/10/06(木) 16:36:09 

    祖父が亡くなった後、押入から戦争当時の軍帽と賞状が出てきた。賞状といってもA4の半分位の小さな紙切れで、命掛けで戦ってこんな物一つかよって思った。母いわく、祖父の背中には銃痕があったらしい。

    +58

    -0

  • 77. 匿名 2016/10/06(木) 16:36:17 

    ひぃおじいちゃんは焼肉が大嫌いだった。
    人間が焼けても全く同じニオイがするそうな。
    戦争中の話は現実味がなくて逆に怖かった。

    +90

    -0

  • 78. 匿名 2016/10/06(木) 16:52:42 

    >>72
    よくわからん
    義母によく似たおばさんが今いる土地(あるところ)と
    そのおばさんが小さいころに奉公に行った土地は違う場所なの?
    そしてそれが義母となんの関係があるの?

    他人のそら似じゃない可能性を義母は感じてるの?

     

    +10

    -0

  • 79. 匿名 2016/10/06(木) 16:58:07 

    悲しい話が多いね。

    今の平和は、昔の人たちがつらい思いをしたからこそ
    なんだね・・・。

    +96

    -0

  • 80. 匿名 2016/10/06(木) 16:59:18 

    >>50

    かわいそうな話だね。
    今は・・・。

    +7

    -0

  • 81. 匿名 2016/10/06(木) 17:00:14 

    戦争に行った大叔父?は味の素が嫌いだった。味の素は人肉を思い出すらしい。アミノ酸の旨味が…とか聞いた。

    +34

    -3

  • 82. 匿名 2016/10/06(木) 17:02:12 

    祖母の家はいなかだけど、戦時中は飛行機に乗ったアメリカ兵が
    農作業中に銃撃してきたと聞いた。
    怖すぎる。 

    +41

    -1

  • 83. 匿名 2016/10/06(木) 17:16:18 

    40代の夫が「恵比寿は昔何もなかった」って言ってた。
    今は住みたくても高くて住めないって

    +19

    -0

  • 84. 匿名 2016/10/06(木) 17:28:27 

    砂糖が貴重だったという話から思い出したけど、
    チクロという砂糖の何倍も甘くなる甘味料が使われて、発がん性があるから使用禁止になったって話思い出した。
    みなさんとは随分後の話になってしまうけど。

    +31

    -2

  • 85. 匿名 2016/10/06(木) 17:57:15 

    戦時中、祖母は犬を飼ってたんだけど、ある日突然いなくなった。
    多分近所の人に食べられちゃったらしい。

    よほどショックだったのか、生前何度も言っていた。

    戦争って、人を狂わせていくものですね…。

    +61

    -0

  • 86. 匿名 2016/10/06(木) 18:03:19 

    祖母の話では戦時中は貴金属類も戦争道具などの何かに利用するって回収されたそう。
    若い娘は米兵に無惨な殺され方されたとかね。

    +39

    -0

  • 87. 匿名 2016/10/06(木) 18:07:10 

    祖父が生きてる頃
    戦争の時、飛行機から撃たれそうになって
    走って逃げて物陰に頭だけ隠した結果無事だったけど
    あれこそ頭隠して尻隠さずだったな〜笑
    ってよく笑い話にしてた

    私が小さい頃だったから現実味なかったし、怖かったしで全然話を聞きたくなくてそれくらいしか覚えてない。今思えばもっとたくさん話を聞いておくべきだったと後悔してる。

    +42

    -1

  • 88. 匿名 2016/10/06(木) 18:58:23 

    何が怖いって、祖父たちも、戦争の被害が本土に及ぶまでは、
    普通に人生設計をしていたんだよね。
    初めから、戦争で人生が狂わされるなんて思いもしなかった。
    きっと普通に受験や就職や恋愛や結婚や
    子育てやお金や生活や将来の心配をして
    生きていたんだよね。

    私たちの何年後、何十年後がそうならない保証はどこにもないんだよぬ。

    +67

    -2

  • 89. 匿名 2016/10/06(木) 19:12:31 

    母が子供のころ、遊び場といえば洞窟?鍾乳洞?に、松明持って奥まで潜って弟妹みんなで探検!
    ・・・だったそうです。

    東北の山奥出身60代の母の話。
    真っ暗闇な洞窟に、大して明るくない頼りない松明って((((゜д゜;))))
    火が消えたらと思うと、怖すぎて私は無理です。

    +23

    -1

  • 90. 匿名 2016/10/06(木) 19:14:57 

    おじいちゃんが、戦争で衛生兵だった。
    なにか、医療的な資格があったの?って聞いたら、
    そんなんない。今日からはい。衛生兵って言われる。
    って、なんじゃそりゃ❗️

    +51

    -0

  • 91. 匿名 2016/10/06(木) 19:45:04 

    >>78
    説明が下手でごめんなさい。
    おばさんは結婚もせず若くして亡くなったそうですが
    奉公していた土地に義母に似た人がいるそうです。

    昔は旦那さんといわれた人に
    気に入られると
    使用人でも
    奥さんも認めるような
    お妾さんになったそうです。

    義母は見栄えがいいので
    似ていたおばさんももしかして
    見初められてたのではと思いました。

    そっくりな人を知っていると言った人には、
    そういういきさつは話してませんが
    不思議だけど声までいっしょだと言ってたそうです。

    +9

    -1

  • 92. 匿名 2016/10/06(木) 20:25:50 

    >>69
    よくあったらしいね。私が聞いたのは、長男が妻子を残して戦死したあと、次男がその妻と結婚して家を継いだお家。
    結婚は個人じゃなく家のためだった。

    +25

    -0

  • 93. 匿名 2016/10/06(木) 20:27:56 

    >>87

    もしかしたら、わざと見逃してくれたのかなとか
    考えちゃいますね。
    現実はそんなに甘くないのかな。

    +10

    -0

  • 94. 匿名 2016/10/06(木) 20:29:36 

    みなさんほど昔ではないのですが…
    母は東北の農家の娘で、5人兄弟の三番目でした。
    祖父も祖母も勤勉な人でしたが、生活は貧しいとは言わないものの非常に質素で、
    おやつはふかしイモや干し柿で、
    ほんの時々、祖父が用事でマチへ出た際に買って来るビスケットを兄弟で分けて食べるのがとても楽しみだったそうです。

    けれど、ビスケットは、下の弟妹に多めに食べさせてあげるので、母や上の兄姉は、
    いつも数枚しか食べられませんでした。
    母は、いつかビスケットを、まるごと一箱食べてみたい!と思い、
    少ないお小遣いや、近所の人の子守などをしたお駄賃を貯めて、ついに中学生の時に、ビスケットを買いにマチへ行きました。
    近所のお兄ちゃんに借りた自転車で2時間かけてマチまで行き、憧れのバタービスケットを買いました。
    家に帰った母は、他の兄弟には内緒で、納屋の二階に上がって、こっそりビスケットを食べました。

    「でもそれがね、一人で食べても、全然美味しくなかったの。みんなで食べれば良かったわ」と母はいつも、笑って言いました。

    +63

    -0

  • 95. 匿名 2016/10/06(木) 20:32:17 

    >>92
    長男の戦死の知らせが届いたから、
    家を継ぐために次男が兄嫁結婚をしたら、
    1年後に長男が生きて帰ってきた、
    というような話も、たくさんあったそうですね。

    私が聞いた話では、結局、お嫁さんは
    元の夫(長男)と再び結婚して、
    次男との間に生まれた子供も長男の子供として育てたそうです。

    +30

    -2

  • 96. 匿名 2016/10/06(木) 20:36:09 

    >>82
    機銃掃射?

    今年のはじめだったか、テレビで見ました。
    アメリカが録画してた映像。
    見た時は、驚きました。
    ドラマでしかしらなかったし。
    記録のためではなく、
    ちゃんと仕事?をしているか、
    あとで上司が確認するための録画だったと
    言ってたかな。

    +24

    -0

  • 97. 匿名 2016/10/06(木) 20:59:49 

    私の祖父は警察官でした。戦後なのか戦時中か忘れたけど、闇米を取り締まる仕事もしてた。駅で列車から降りてくる人の荷物を検閲して警察官が闇米は違法だからって取り上げちゃうの。みんな生きるのに必死だから、祖父は見つけても「早く行きなさい」ってワザと見逃してた。祖父は背が高かったから「今日はあの背が高いおまわりさんだから安心だ」って言われてたらしい。

    +52

    -0

  • 98. 匿名 2016/10/06(木) 21:22:07 

    祖母から聞いたのは
    戦後日本人がゴボウ食べてるの見てアメリカ兵が「可哀想に。木の根っこ食べるなんてよっぽど食べるものがないんだな」と本気で憐れんでたらしい。

    +38

    -0

  • 99. 匿名 2016/10/06(木) 21:38:58 

    >>21
    熊本住みでこの話全然知らなかったけど、昨年くらいにこの夢見た。
    長崎で噴火あってなぜか津波が来て必死に逃げてるの。で巻き込まれた。
    まさか予知夢かなとか思ってたけど昔あった事なんだね

    +10

    -3

  • 100. 匿名 2016/10/06(木) 22:30:43 

    戦争なくして日本の歴史は語れないね。
    私の祖母も戦争の話を聞かせてくれるけれど、本当に今では想像もできないくらい悲惨。

    +31

    -0

  • 101. 匿名 2016/10/06(木) 23:48:49 

    戦前、日本が台湾を統治してた時代に台湾にも教員養成の学校が作られました。そして先生と大喧嘩して学校を自主退学しようとするなど自由人過ぎた祖父は教師だった親戚によってそこに放り込まれたそうです笑 普通にエンジョイしたらしいですが。
    で、そのまま戦争に召集され敗戦で米軍の捕虜になったら部隊に高等教育受けて英語がわかる人がいなくて、毎回上官に祖父が呼ばれて通訳してたそうです。拙い英語でもなんとかなったぞ!ってガハガハ笑ってたらしいですが、祖父は気に入らなければ上役に平気で楯突くくらい肝が据わってたからコミュニケーション取れたような気がします。

    +12

    -0

  • 102. 匿名 2016/10/07(金) 02:53:49 

    こういうトピででもいいから、昔の話はたくさん知りたいよね。
    なのに下世話なトピのほうが活発にスレが伸びていくんだよね。

    +29

    -0

  • 103. 匿名 2016/10/07(金) 03:16:26 

    明治生まれの祖父が、戦後ソ連の捕虜になり抑留されていた時期の話を一番下の孫である私にだけよく話していました。
    80歳を超え、やっと話せるようになったよう。

    抑留されている劣悪な環境の中、弱った者から亡くなっていく。
    皆でせめてお互い最期の事を家族に伝えたいと、食事として出された缶詰の蓋を地道に壁や部屋の隅の石で削り針を作り、
    誰かの持っていた赤い古布をほどいて糸にして
    なくなった方の氏名、生年月日、住所を白いボロ布に刺繍したそうです。
    帰国出来る事になっても持ち物をチェックされれば取り上げられるので、服と裏地の間に縫い付けいて皆で分けて本土へ帰還。
    帰国後、亡くなった方のお宅に知らせて歩いたそうです。

    どうしても見つからず伝えられなかった数人が気掛かりで残念、と刺繍の布を見せてもらった記憶があります。
    何も無く見えても、人は色々作れるし出来る事が有るんだぞってよく言っていました。

    +29

    -0

  • 104. 匿名 2016/10/07(金) 06:40:29 

    どうやら私シンガポールに親戚いるらしいです
    ジャパゆきさんって日本に出稼ぎにきた外国人女性いますよね、昔それの反対のからゆきさんという日本人女性いたそうです
    日本から海外の売春宿に売り飛ばされるんです
    祖母の姉がシンガポールにからゆきさんしてそこで出会った中国人の商人に転売され初め愛人でしたが嫁が病死して繰り上げ妻となったそう
    日本には帰らず向こうで家庭作ったって、その子孫がシンガポール在住です

    +19

    -0

  • 105. 匿名 2016/10/07(金) 07:25:36 

    >>103
    おじいちゃん、そんなに長い期間、人に話せないくらい辛い体験をしたんだね。
    今なら、その刺繍の人の家族が見つけられるかもしれないね。

    +19

    -0

  • 106. 匿名 2016/10/07(金) 07:44:14 

    >>37
    漁師町ってそこだけ
    気質が違うのは不思議だと思ってる。

    魚とかを追ってると気性が
    荒くなったり
    勝気になるのかなとも思ったり。

    何回か越してるけど
    地方の漁師町は同じ市内だけどそこだけ別の地区みたいな呼び方。
    私は明るくてサバサバしてるように見えるけど。

    +9

    -0

  • 107. 匿名 2016/10/07(金) 09:32:36 

    長崎出身だと、やはり原爆の話は小さい頃から耳にします。 祖父母全く語らなかったけど(夏休みの宿題で家の人に聞かなきゃなんだけど一度も話してくれず。辛かったのかも。)
    ひぃおばぁちゃんはいくつか話してくれました。
    原爆が落ちて逃げている時、前を歩く見知らぬ母親の背負う赤ちゃんには首はなく、爆風で頭が飛ばされたのか、ひぃおばぁちゃんが声をかけると必死に首のない赤ちゃんにおっぱいを飲ませようと押し付けていたこと。
    闇米を買いに行く際、近所の奥様方と話し合い、妊婦のふりをして米を買いに行く為列車に乗り込み闇米を買いに行ったこと。

    今ひぃおばぁちゃんは老人ホームに入っているのですが、精神的にきていて、ひぃおばぁちゃんの中では時代は戦時中で月に何度か面会に母と行くと当時の話を昨日のようにしたりホームで出される食事をこれを食べたら連れていかれる罠だ。と食べないし。食べていいんだよと、時間をかけて説得して食べてもらっても、食べた後に涙浮かべていたり。。
    私も何年か前に病気になって今も治療でお薬飲んでるんだけど、もしかすると原爆三世だからそれが原因かもと言われて調べてみたり。。

    日本全国、歴史を辿れば憎いことや辛いことあると思う。私は祖先も私も長崎に産まれて育ったから原爆の話や写真や映像は幼い頃から触れる機会が多かった分、今も原爆は終わっていないんだ。憎い憎すぎる。憎んだところで。。と思っても憎いものです。

    +25

    -0

  • 108. 匿名 2016/10/07(金) 11:51:54 

    >>102
    ほんとにそうですね。
    学校では習わない、教科書に載らない事実をたくさん聞きたい。
    スレ終了まで、もし過疎ってても思い出した話がある人はたくさん書いて下さい。

    +18

    -0

  • 109. 匿名 2016/10/07(金) 13:37:02 

    亡くなった祖母の話です。やっぱり学校の宿題で戦争時代の話を聞いたの。
    防空壕は作ってあったけど、潰れるのが怖くて、裏の山に空襲警報が鳴ると隠れていたそう。
    ある日、山から飛行場(基地) が攻撃されているのが見えて、恐ろしくてたまらなかったと言ってました。
    その後、基地後は、病院になっていましたが、病院に行くことはなかったので、前を通るたび、祖母の話を思い出しました。
    数十年後、映画永遠の0のロケ地となりました。
    それをきっかけに後世に、戦争の記録を残しています。

    +13

    -0

  • 110. 匿名 2016/10/07(金) 18:09:08 

    祖父が戦地から帰って来た時、父は五歳。
    畑にいる祖母を呼びに行った父は「 知らないおじさんが、母ちゃんを呼んでいる。」と言ったそうです。
    あわてて家に戻った祖母は、祖父とすぐわかりました、お父さんの顔がわからない父がかわいそうと思ったと言ってました。
    戦地に行く前、家族写真を撮って、残っていたので見せてもらいました。
    いつもニコニコ顔だった若いころの祖父は無表情、祖母と赤ちゃんだった父は微笑んでいました。
    祖母は、お人形を抱いていて、「どうして?」と訪ねると、「三人は縁起が悪いからと、写真屋さんから渡されたから抱っこしたんだ。」って言ってました。

    +10

    -1

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