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素朴な疑問(大昔編)

451コメント2016/08/23(火) 14:51

  • 1. 匿名 2016/08/16(火) 14:40:50 

    平安時代だろうが江戸時代だろうが、人は人です。歯磨きとかまともに出来ない時代の口臭とか、女の人の生理とか、現代人ならではの素朴な疑問を感じたコトありませんか?皆さんの疑問やマメ知識含めた回答をお話し出来たら嬉しいです!
    素朴な疑問(大昔編)

    +473

    -2

  • 2. 匿名 2016/08/16(火) 14:42:03 

    トイレットペーパーはどんなの使ってたんだろう?自然乾燥?葉っぱ?

    +641

    -10

  • 3. 匿名 2016/08/16(火) 14:42:15 

    生理用品ないと思うから何を代用していたのか気になる

    +855

    -4

  • 4. 匿名 2016/08/16(火) 14:42:28 

    庶民は毎日お風呂に入れなかったから毎日お風呂に入れるいいところのお嬢さんがモテたと

    +584

    -8

  • 5. 匿名 2016/08/16(火) 14:42:29 

    たしかに昔の女の人って何かと大変そう

    +631

    -2

  • 6. 匿名 2016/08/16(火) 14:43:00 

    一番最初に女性の〇〇に〇〇を入れようと思った男は誰なんだろう

    +943

    -29

  • 7. 匿名 2016/08/16(火) 14:43:16 

    昔の母乳が全くでなかったお母さんは
    どうやってミルクをあげてたのか疑問
    あの頃から粉ミルクってあったのかな

    +424

    -135

  • 8. 匿名 2016/08/16(火) 14:43:20 

    夏も十二単なの?暑そう

    +549

    -14

  • 9. 匿名 2016/08/16(火) 14:43:24 

    江戸時代はもっと浮気が多かったらしいけど、避妊とかどうしてたんかな
    けっこうしれっと産んでたのかな

    +788

    -7

  • 10. 匿名 2016/08/16(火) 14:44:17 

    結局邪馬台国はどこにあったの??

    +408

    -8

  • 11. 匿名 2016/08/16(火) 14:44:59 

    昔の人は経血をコントロールできたという話を聞いたことがある

    +790

    -38

  • 12. 匿名 2016/08/16(火) 14:45:11 

    そもそも1日何して過ごしてるんだろ

    +732

    -5

  • 13. 匿名 2016/08/16(火) 14:45:15 



    脇毛どうしてたんだろ。毛の事が気になる

    +638

    -3

  • 14. 匿名 2016/08/16(火) 14:45:25 

    >>6
    本能です

    +292

    -5

  • 15. 匿名 2016/08/16(火) 14:46:13 

    生理用品ない時代は、お腹に力を入れて溜めて、トイレで出してたって聞いたことある。

    +686

    -33

  • 16. 匿名 2016/08/16(火) 14:46:23 

    >>7
    貰い乳してたんじゃない?

    +601

    -3

  • 17. 匿名 2016/08/16(火) 14:46:36 

    >>7
    母乳出る人があげてたんじゃないですか?

    +633

    -2

  • 18. 匿名 2016/08/16(火) 14:47:32 

    >>7
    乳母 貰い乳 とぎ汁

    +549

    -5

  • 19. 匿名 2016/08/16(火) 14:47:34 

    生理用品がないから何か布みたいなのを挟んでいたと何かで読んで
    驚いたのが当時の人はインナーマッスルが鍛えられていて
    生理の血を止めておける事ができた。そしてトイレに行った時にまとめて出していたらしい
    (現代の人よりも血の量も少量だったと推測されている)

    +670

    -20

  • 20. 匿名 2016/08/16(火) 14:47:43 

    出産時の会陰。
    今は医師が切開して産後に縫うけど
    きっと自然に任せてたんだろうなぁ。
    自然に裂けちゃって、ほったらかしで自然にくっつくの待つ感じ⁉︎
    あ〜〜痛い!

    +667

    -3

  • 21. 匿名 2016/08/16(火) 14:47:48 

    >>15
    スゴ!
    その技身につけたい!

    +269

    -6

  • 22. 匿名 2016/08/16(火) 14:47:54 

    >>7
    知り合いの赤子持ちに分けてもらうんじゃなかった?

    +289

    -4

  • 23. 匿名 2016/08/16(火) 14:48:04 

    出産する時はやはり今で言う助産師さん
    のような方がいたのかな?

    +243

    -14

  • 24. 匿名 2016/08/16(火) 14:48:06 

    >>7
    よく乳の出る近所の人に飲ませてもらったり、米のとぎ汁を代用したと聞いたような

    +344

    -5

  • 25. 匿名 2016/08/16(火) 14:48:26 

    虫歯になったらどうしてたんだろう? 痛いの我慢するか全部引っこ抜いたのかな? 麻酔なんてなかっただろうしこれだけでも現代に生まれて良かったと思うわ

    +506

    -7

  • 26. 匿名 2016/08/16(火) 14:48:28 

    生理もですが、出産直後のお股の処置
    出血も酷いだろうし…

    +428

    -0

  • 27. 匿名 2016/08/16(火) 14:48:36 

    みんな手洗わなかったのかな?

    +115

    -7

  • 28. 匿名 2016/08/16(火) 14:48:51 

    歯がきたなくてもお歯黒してたらわからないもんね!
    発想の転換!

    +461

    -8

  • 29. 匿名 2016/08/16(火) 14:48:57 

    平安時代の髪を洗う頻度が気になる
    お香を焚いて誤魔化すにも限度ありそうだし、痒そう

    +527

    -3

  • 30. 匿名 2016/08/16(火) 14:48:58 

    生理の時は汚らわしいから、馬小屋みたいな藁を敷き詰めた場所に閉じ込められてたって聞いたことある。そこで垂れ流し。

    +489

    -12

  • 31. 匿名 2016/08/16(火) 14:49:19 

    私すぐ下痢しちゃうから、もし十二単を着てたらいつも脱ぐの間に合わないと思う。

    +548

    -7

  • 32. 匿名 2016/08/16(火) 14:49:48 

    女の人も男の人もみんな体臭が凄そう、、、
    毛もボーボーだろうし不衛生そう

    +538

    -2

  • 33. 匿名 2016/08/16(火) 14:50:16 

    時代劇とか見てて思うけど、昔はカミソリとかないから眉毛ボーボーだよね?

    +235

    -18

  • 34. 匿名 2016/08/16(火) 14:50:41 

    >>2
    ロープみたいやつに跨がってお尻拭いてたって聞いたことあるよ

    +184

    -10

  • 35. 匿名 2016/08/16(火) 14:50:44 

    ・江戸っ子は湯屋が好きで、1日に何回も行っていたから肌は乾燥していた
    (高温でサッと入るのが江戸っ子流)
    ・火事がおきると隣近所に燃え移る。それを最小限に食い止める為に火事がおきると、まだ火が燃え移っていない家でも火消しによって破壊された

    +391

    -8

  • 36. 匿名 2016/08/16(火) 14:51:01 

    原始時代まで遡っていい?髪の毛は伸ばしっぱなしだったんだろうか。刃物は石ぐらいしかないよね。あと爪も。

    +337

    -15

  • 37. 匿名 2016/08/16(火) 14:52:57 

    >>25
    お金持ちの人は医者に抜いてもらう事ができたそうですが庶民は
    まじないや神頼みだったらしいです…

    +294

    -4

  • 38. 匿名 2016/08/16(火) 14:52:57 

    >>6 ホモサピエンスがホモサピエンスとして
    独立する遥か以前からだから個人という意識のない名も無き一匹あるいは同時的に複数ののオス。分化じゃなく最初に生殖器官で交尾して次世代を生み出した生物から、でしょう。

    +94

    -14

  • 39. 匿名 2016/08/16(火) 14:55:04 

    >>31脱がないよ。箱みたいおまるのようなのにしてた。それをお付の方がポイって捨てに行く。だから見られてたし、それを見て体調を確認してた。

    +226

    -1

  • 40. 匿名 2016/08/16(火) 14:55:46 

    平安時代の高貴な女性は、お風呂は入らないし外に出る事もなく
    ずーーーーーーっと家の中で暮らした
    トイレも部屋の中にあり、済ますとお手伝いさんのような人に捨てに行ってもらっていた

    +354

    -6

  • 41. 匿名 2016/08/16(火) 14:56:40 

    生理は、垂れ流しだったって高校の歴史の先生が言ってた。

    +219

    -9

  • 42. 匿名 2016/08/16(火) 14:56:51  ID:3a1fnhLDJX 

    >>10
    いまだに解明されてはいません。
      奈良の箸墓などいわゆる畿内説が今は本命有力説。

    +64

    -3

  • 43. 匿名 2016/08/16(火) 14:57:23 

    >>29占いをして吉日にしたから占い次第ではだいぶ間が開いたり。

    髪長いから洗うと乾くまで時間がかかるし、乾くのに身体の熱を奪われるから病気になりやすかった。髪を洗うのも命懸け。

    +243

    -5

  • 44. 匿名 2016/08/16(火) 14:57:50 

    >>33
    カミソリは飛鳥時代には日本に伝来してたよ

    +148

    -7

  • 45. 匿名 2016/08/16(火) 14:57:55 

    聖徳太子は実在したのかどうか

    +129

    -3

  • 46. 匿名 2016/08/16(火) 14:58:00 

    直毛のイメージが強いけれど、癖毛の人はいなかったのかな?

    +648

    -2

  • 47. 匿名 2016/08/16(火) 14:58:14 

    >>3
    生理用品ないと思うから何を代用していたのか気になる

    ↓こんな感じらしいよ




    +558

    -4

  • 48. 匿名 2016/08/16(火) 14:58:34 

    >>30
    戸川純の玉姫様という曲を思い出した。

    ♪ひと月に1度 座敷牢の奥で
    玉姫様の発作が起きる〜

    +190

    -4

  • 49. 匿名 2016/08/16(火) 14:59:27 

    臭いに関しては現代よりも寛容だったんだろうね
    体臭をよしとする文化というか

    +351

    -6

  • 50. 匿名 2016/08/16(火) 14:59:40 

    コメント読んでるとさ、
    いまの時代に生まれてヨカッタと思うわ。
    自分も相手も臭いのなんて嫌だよ…

    +400

    -3

  • 51. 匿名 2016/08/16(火) 15:00:25 

    >>46いたよ。何かの絵で見た。天パはブスと言われてた。

    +230

    -3

  • 52. 匿名 2016/08/16(火) 15:00:54 

    >>25
    虫歯→敗血症で亡くなる方もいたみたい。新撰組の永倉新八も確かその一人。

    +190

    -2

  • 53. 匿名 2016/08/16(火) 15:01:50 


    女のひともふんどしなの?

    +4

    -18

  • 54. 匿名 2016/08/16(火) 15:02:13 

    >>33江戸時代はちょんまげにしたり、既婚女性は眉毛剃ったりしてたよね。

    +78

    -5

  • 55. 匿名 2016/08/16(火) 15:02:42 

    平安時代の貴族は洗髪は何日かに一度。十二単の襟首は脂で薄汚れていて体臭を誤魔化すためにお香を焚きしめていたらしいよ。雅な文化の裏側は酷いもんだね。

    +280

    -4

  • 56. 匿名 2016/08/16(火) 15:04:27 

    優雅なのは貴族だけだよ。平安時代は貧富の差が激しくて、貧民の生活は惨くて飢餓に苦しんで、極端な例だと赤ん坊の脳味噌を食べるような事もあったとか…。大学で習ったことあります。

    +253

    -17

  • 57. 匿名 2016/08/16(火) 15:04:48 

    ブラが出来るまでは皆ノーブラだったの?

    +183

    -4

  • 58. 匿名 2016/08/16(火) 15:05:11 

    避妊。
    やっぱり外出しとかだったのかな?

    +237

    -7

  • 59. 匿名 2016/08/16(火) 15:05:42 

    >>46
    お金持ちは付け毛を使ってたんだって。さらに、現存してるのはイメージ図なので、理想的に描かれすぎているから5割引きくらいで想像すれば良いみたいだよ。

    +154

    -7

  • 60. 匿名 2016/08/16(火) 15:06:23 

    てか女性は和服を着る時は履いてなかったよね?
    だから火事の時に高い場所から降りられなくて何人も亡くなったとか?

    +222

    -15

  • 61. 匿名 2016/08/16(火) 15:06:33 

    結婚の血縁問題。
    昔は異母兄妹だったら結婚できたけど、この血縁関係はだめだとかやっぱり近親婚を繰り返して体験してわかってきたのかなぁと。
    江戸時代とか明治くらいまで叔父姪婚とかあったしイトコ婚とかね…。
    飛鳥時代では異母兄妹はokだったの見たけどその前は…とか文化人類学が興味ある。

    +184

    -7

  • 62. 匿名 2016/08/16(火) 15:07:29 

    >>9
    江戸時代都市部の浮気は少なかったけれど
    農村部になると夜這いとか色々あって避妊しなくても
    旦那の子として産んで育ててたらしい

    因みに古代ローマなんかは
    ローマ帝国末期になると浮気が当たり前になり浮気でできた子は
    みんな知らん顔で産んでみんな捨て子で捨ててたらしい
    で捨てられた子はみんな奴隷として売り飛ばされたとか

    で面白いもので浮気が増えると
    夫が誰の子かわからない事を恐れて子供を作らなくなって
    出生率が低下して何千年も続いていたような名門貴族がどんどん断絶
    最終的にローマが滅んだらしい

    ローマの文化
    ローマの文化www.geocities.jp

    古代ローマの文化、市民の生活を概観

    +256

    -5

  • 63. 匿名 2016/08/16(火) 15:07:33 

    避妊…魚の浮袋とか何かで目にした事があったんだけれど
    全く想像できない…

    +166

    -8

  • 64. 匿名 2016/08/16(火) 15:07:51 

    >>4逆で庶民はおふろによく入ってたけど、貴族とかは髪の毛とか服の問題もあって、蒸し風呂とか香で匂い付けしてたから実はくさかったって聞いたことあるんですけども…

    +192

    -7

  • 65. 匿名 2016/08/16(火) 15:08:10 

    平安時代はお風呂に入らなかったけど肉食は食べない、気温も寒冷だったので香で誤魔化せたのかも

    +285

    -5

  • 66. 匿名 2016/08/16(火) 15:08:17 

    高齢者社会の現代ですが、昔も寝たきりのお年寄りとか、いたと思うんです。オムツはどうしてたの?

    +162

    -6

  • 67. 匿名 2016/08/16(火) 15:08:41 

    >>58
    昔の避妊法が凄まじいwww - NAVER まとめ
    昔の避妊法が凄まじいwww - NAVER まとめmatome.naver.jp

    日本の江戸時代、古代ローマ・ギリシャの避妊法がかなり豪快だったのでまとめてみた


    +48

    -6

  • 68. 匿名 2016/08/16(火) 15:09:18 

    >>3
    昔の女性は経血をある程度コントロール出来たって本で読んだことがあります。トイレに行ったその時に貯めてた分を出すんだって。

    +81

    -10

  • 69. 匿名 2016/08/16(火) 15:10:20 

    時間はどうやってわかったの?

    +131

    -7

  • 70. 匿名 2016/08/16(火) 15:10:31 

    高校の歴史の先生が教えてくれたけど、生理の時、江戸時代では
    半紙を折って挟んでいたんだって。

    +95

    -4

  • 71. 匿名 2016/08/16(火) 15:11:54 

    >>46
    清少納言がちょい癖毛で悩んでいたよ。
    皆、月1くらいしか洗わないし油塗って髪型整えるから流石に現代の癖毛レベルに目立ちはしなかっただろうけど。

    +165

    -0

  • 72. 匿名 2016/08/16(火) 15:12:23 

    前にテレビで見たんだけど昔の人って和紙みたいなの一枚持ち歩いててそれでトイレットぺーパー替わりにしてたみたいだけど、う○この時絶対一枚じゃ拭ききれないよね
    あともっと言うと、お風呂も毎日入ってなかったみたいだし、たぶん肛門まわりう○こくっついてると思うんだけど、その体で行為に及んでたのかなって思うと‥

    +305

    -6

  • 73. 匿名 2016/08/16(火) 15:13:05 

    昔の男の人に「おっぱい星人」は存在しなかったらしい
    「胸?そんなもの夏になれば透けて見えるじゃねーか」
    と言うくらい有難みのない部位
    巨乳が好まれなかった時代があったのね

    +322

    -4

  • 74. 匿名 2016/08/16(火) 15:13:21 

    キスっていつからあるの?

    +67

    -7

  • 75. 匿名 2016/08/16(火) 15:14:15 

    いまの人は知らないかもしれないけど、むかしは女性も立ちションしてたね。

    +120

    -1

  • 76. 匿名 2016/08/16(火) 15:15:41 

    >>61
    レビィストロース(分化人類学者)とか面白いですよ。近親婚の禁止は、障害や遺伝病など生物学的あるいは医学的理由ではなく、他村との交流がなくなるのを避ける為、など経済学的理由で定着していった、みたいな。

    +169

    -3

  • 77. 匿名 2016/08/16(火) 15:15:58 

    >>8
    夏には部屋着として、下に袴を履いて、上には体がすけすけなほど薄い着物を着るスタイルがあった。
    清少納言も枕草子の「みぐるしきもの」でこのスタイルについて触れている。
    これは再現写真だけれども。
    素朴な疑問(大昔編)

    +244

    -1

  • 78. 匿名 2016/08/16(火) 15:16:32 

    >>75
    そうなの!?
    ビッシャビシャにならなかったのかな?
    そこも昔の女性はコントロールできたとすると
    昔の女性って…すごい!

    +127

    -7

  • 79. 匿名 2016/08/16(火) 15:17:01 

    >>69
    24時間という概念はなかったかもしれないけれども、1日の周期はわかってた。

    猫の目の大きさで「卯の刻」とか言ったり。

    +141

    -2

  • 80. 匿名 2016/08/16(火) 15:17:07 

    >>2
    ある時代は縄だったらしい

    +17

    -2

  • 81. 匿名 2016/08/16(火) 15:18:49 

    江戸時代の人間がいちばん小柄だったんだよね
    肉食の習慣がほとんどなくなって米とたくあんだけ
    みたいな食事が一般化したからかな

    +180

    -2

  • 82. 匿名 2016/08/16(火) 15:18:52 

    >>80
    な、縄??痛そう……

    +71

    -2

  • 83. 匿名 2016/08/16(火) 15:18:54 

    >>74
    犬や猫でもするから、多分人類が猿だったときから。

    +84

    -3

  • 84. 匿名 2016/08/16(火) 15:19:53 

    出産後に胎盤出てこなかったらやっぱり昔も手突っ込んでとったのかな?

    +122

    -7

  • 85. 匿名 2016/08/16(火) 15:21:23 

    高貴な女性の象徴である紫式部みたいなロングロングヘアーはドライヤーなんてものは勿論ないので自然乾燥
    数日じっとして乾かすようで、働かなくていいから成せるわざらしい
    洗髪は一か月に一回
    あの長い髪は引きずって歩いてるから実は埃とかめっちゃついてて汚い

    そのあとの時代に結髪が多いのは髪が汚くて不衛生だから肌に接触しないようにという意味もあるらしい

    +259

    -2

  • 86. 匿名 2016/08/16(火) 15:21:43 

    >>77
    あーあさきゆめみしで見たけどここまでスケスケなんだ。
    そりゃお姫様がこの格好でうたた寝したらお父さん叱るわ。

    +261

    -3

  • 87. 匿名 2016/08/16(火) 15:22:54 

    >>69
    >>79
    今のような時計がなかった時代は、日の出日の入りを基準にしていたから、季節によって時間の1単位の長さが違っていた、
    すみだあれこれ/すみだの大名屋敷/江戸時代の時刻
    すみだあれこれ/すみだの大名屋敷/江戸時代の時刻www.sumida-gg.or.jp

    すみだあれこれ/すみだの大名屋敷/江戸時代の時刻  現在は一時間を60分として24時間をきっちり正確に割り振っていますが、 昔は違います。 明るさの基準となる日の出と日の入りの時刻を「六つ時(むつどき)」と決めて、朝を「明六つ(あけむつ)」、夕を「暮六つ...

    +44

    -1

  • 88. 匿名 2016/08/16(火) 15:23:28 

    >>73
    昔は巨乳は下品だと思われてたんだよね
    着物が似合うのが貧乳で品がよくていいとかって言われてた

    +201

    -3

  • 89. 匿名 2016/08/16(火) 15:24:22 

    江戸時代の遊女は、紙を詰めたり酢で洗浄したりして形ばかりの避妊をしていた。
    妊娠してしまったら、服毒したり(ホオズキが効くとされたらしい)、冷たい川に何時間も浸かったりして中絶を試みていたそうです。
    母体も危険だっただろうなぁ…
    相手が金持ちのお得意さんだとそのまま身請けしてもらうこともあったそうですが。

    +293

    -6

  • 90. 匿名 2016/08/16(火) 15:24:38 

    >>40
    平安時代の女性の顔は、余りに動かないからむくんでああなったとネットで見た。
    本当の所はどうなんだろうね。

    +107

    -3

  • 91. 匿名 2016/08/16(火) 15:25:20 

    昔の美女、イケメンって、どんな感じだったんだろう。時代によってかわるだろうけど

    戦国武将が今イケメンアニメ風に描かれるけど、絶対あんなんじゃないし!
    素朴な疑問(大昔編)

    +189

    -5

  • 92. 匿名 2016/08/16(火) 15:25:43 

    >>46

    絵画には美人しか描かれていません。

    ブスは絵画に不要の時代。

    +116

    -3

  • 93. 匿名 2016/08/16(火) 15:25:58 

    お歯黒って虫歯予防になったんだよね

    +184

    -2

  • 94. 匿名 2016/08/16(火) 15:27:09 

    >>69 


     鉄砲伝来の頃には日本にも機械式時計は伝わりました。それをもとに和時計が作られます。

     それ以前からも世界中に様々な時計は存在しました。古代から時間を測るモノは存在しましたね(日時計など)
    各家庭に設置したり個人で持ち歩けるようなものではなく、時刻の測定、広報は役所の仕事でした。一定の時刻毎に鉦を鳴らす、など。
    時計の歴史 | 時と時計のエトセトラ | 日本時計協会 (JCWA)
    時計の歴史 | 時と時計のエトセトラ | 日本時計協会 (JCWA)www.jcwa.or.jp

    人間と時の関わりは長く、文献によると10,000年以上前から時刻を計測する道具として日時計が使われていたようです。その後、水、ローソク、油など様々な素材を用い「時」を計る時計が作られました。人類が自然界の鼓動である時を測る道具としての時計の精度向上や小...

    +15

    -5

  • 95. 匿名 2016/08/16(火) 15:28:21 

    出産の出血や産後の傷からばい菌入って亡くなる人も多かったろうね

    +244

    -3

  • 96. 匿名 2016/08/16(火) 15:28:33 

    産婆さんに来てもらったとか、お腰がショーツ代わりだったとか、聞いた事がない世代が大半になってしまってるんですね。

    +90

    -3

  • 97. 匿名 2016/08/16(火) 15:28:35 

    >>77
    スケスケすぎだろう!!(笑)

    +208

    -1

  • 98. 匿名 2016/08/16(火) 15:30:12 

    体臭は今みたいに揚げ物とか肉も食べていなかったと思うからキツくないと思う。
    排気ガスとかもないしね。

    +273

    -2

  • 99. 匿名 2016/08/16(火) 15:34:23 

    >>93
    まきの?

    +2

    -12

  • 100. 匿名 2016/08/16(火) 15:35:05 

    >>36

    旧石器時代、縄文時代、弥生時代時代くらいになると、ちゃんとホモサピエンスで道具も作ってましたから、石はちゃんと研いでナイフにしてる。

    でも、髭とかは剃ってないと思われるので、男は全員サンタクロース状態。


    +62

    -3

  • 101. 匿名 2016/08/16(火) 15:35:07 

    私が一番謎なのは昔の時代劇にでてくる芸者?が顎から下だけ白粉塗ってるやつ。
    なんで首だけ?
    正面から見たらすごいまぬけだよ?

    +102

    -4

  • 102. 匿名 2016/08/16(火) 15:36:15 

    >>91
    明治時代あたりにはもう美女コンテストみたいなのあったらしい
    写真今見ても綺麗だし割と美的感覚変わらないんじゃない?
    この写真の人は明治の時日本一の美人と言われてたらしい

    +334

    -2

  • 103. 匿名 2016/08/16(火) 15:36:42 

    やっぱコメントにもあるように衛生面が気になるよね
    当時はそれが普通なら気にならないのかもしれないけど
    現代の習慣と比べたら驚く事がたくさんありそう

    +162

    -1

  • 104. 匿名 2016/08/16(火) 15:36:56 

    今じゃ考えられないけれど
    ビールは温めて飲んでいた

    +53

    -4

  • 105. 匿名 2016/08/16(火) 15:37:52 

    >>23
    産婆さんが駆けつける時は、大名行列の前を横切ってもおとがめなし。

    +278

    -4

  • 106. 匿名 2016/08/16(火) 15:38:26 

    平安時代のお姫様って、十二単着て1日中ほとんど
    動かないなんて、肩こりや腰痛はなかったんだろうか…。

    +223

    -2

  • 107. 匿名 2016/08/16(火) 15:38:32 

    >>77
    清少納言的には、これは見苦しいものだったのね

    「みぐるしき」の意味が違うのかな?

    +108

    -0

  • 108. 匿名 2016/08/16(火) 15:42:21 

    >>83
    人間は猿の進化型ではないんだよ。
    トカゲ型宇宙人が類人猿をベースに創り出したもの。

    +6

    -22

  • 109. 匿名 2016/08/16(火) 15:45:17 

    >>107
    いえいえ、清少納言は痩せて色黒な人がこの生絹の単のスタイルをするのが見苦しいと言っています。
    今で言う、足太いやつのミニスカートって見苦しいよねーって感じでしょうか。

    +260

    -5

  • 110. 匿名 2016/08/16(火) 15:46:30 

    昔のイケメン?
    昔の人は絵が下手だったのか?
    素朴な疑問(大昔編)

    +195

    -5

  • 111. 匿名 2016/08/16(火) 15:47:40 

    >>102
    あら、かわいい♪

    +85

    -2

  • 112. 46 2016/08/16(火) 15:48:36 

    >>51さん
    >>59さん
    >>71さん
    >>92さん
    お答えありがとうございます。
    やはり、癖毛の人も存在したのですね。

    +61

    -1

  • 113. 匿名 2016/08/16(火) 15:48:57 

    大昔は洗髪は月1だったとか‥
    しかもシャンプーないからうどん粉とか布海苔というもので汚れを浮かせて流してたらしい
    たぶんシラミなんかも湧くから目の細かい櫛で鋤いて除去していたもよう

    +172

    -2

  • 114. 匿名 2016/08/16(火) 15:49:15 

    帝王切開できない時代、出産は命懸けだよね……

    +208

    -1

  • 115. 匿名 2016/08/16(火) 15:50:51 

    昔は「出っ尻」といって、グラマスな体型は好まれなかったらしいね。

    西洋的な美人じゃなかったんだろうな。

    +134

    -3

  • 116. 匿名 2016/08/16(火) 15:51:06 

    お風呂に入れないから、香をたいて着物に染み込ませて匂いでごまかしてたって聞いたけど、よけい臭そう
    それで行為におよぶの?ムリだわー

    +147

    -3

  • 117. 匿名 2016/08/16(火) 15:51:48 

    >>106
    単衣を本当に十二枚近く重ねるのは正式な儀式の時だけで、日常では2~3枚ぐらいの重ねだったらしいです。

    +179

    -5

  • 118. 匿名 2016/08/16(火) 15:51:54 

    トピ主です!
    初採用で嬉しいです₊(ˊᵕ͙ૣᴗᵕ͙ૣˋ)ˈ·˚*
    さらに素朴な疑問の内容も、感じる事が皆さんと似ていて嬉しいです!
    雑学として参考になります、コメント下さってありがとうございます♩

    +169

    -2

  • 119. 匿名 2016/08/16(火) 15:54:04 

    >>114
    考えてみれば医学がそこまで発達していないから、高齢出産は難関だったろうね。

    だから婚姻も早いよね。昔のほうが。

    +165

    -3

  • 120. 匿名 2016/08/16(火) 15:54:12 

    >>30 アフリカのどこかの村では今でも1週間木に座って吸わせるそうですよ。生理の経血。


    +182

    -3

  • 121. 匿名 2016/08/16(火) 15:54:32 

    >>110 
    ふくよかさは裕福、安定の象徴だったので、
     ふくよかさな顔つきなんかは貴族らしい望ましい顔つき(つまりイケメン)だったんではないでしょうか。

    +132

    -6

  • 122. 匿名 2016/08/16(火) 15:56:06 

    >>116さん

    高級遊女は伽羅のお香の香りを身に纏ったそうです。

    +105

    -5

  • 123. 匿名 2016/08/16(火) 15:57:08 

    >>101
    あれは夜鷹って最底辺の遊女の化粧。
    白粉代よりも安い金でしか客取れない年増や病気持ちなんで顔にまで白粉使う余裕ないのと塗っても皺が隠せないから塗らなかったらしい。
    実際は頭から手拭い被って醜い顔はあまり見せないようにしてたんだってさ。                                                                                                                         

    +140

    -3

  • 124. 匿名 2016/08/16(火) 16:00:08 

    >>7
    乳母がいたんじゃない?

    +26

    -2

  • 125. 匿名 2016/08/16(火) 16:00:31 

    >>119
    近代になるけれど、そのせいか高齢出産の子どもは恥かきっ子みたいな扱いだったらしいです。夏目漱石とか。

    +139

    -3

  • 126. 匿名 2016/08/16(火) 16:01:18 

    >>74 遊女の話ばかりですみません(>_<)口吸いがいつから始まったのかはわかりませんが、遊女は口吸いを「おさしみ」と呼んでいたらしいです。昔は冷蔵庫がなかったのでおさしみが生ぬるくて、キスの感覚に似ていたからだそう。

    +169

    -8

  • 127. 匿名 2016/08/16(火) 16:01:54 

    医学がまだ入ってきてない大昔は健康な人はぽんぽん産んでたんじゃないかな。子供のうちに亡くなる子が多いし大人だって50ぐらいが寿命だった。避妊する必要がなかったと思う。

    +190

    -3

  • 128. 匿名 2016/08/16(火) 16:03:51 

    >>123
    その白粉も当時のものは鉛がかなり含まれていて、歌舞伎役者を中心に鉛中毒になって、手足が麻痺したり黒ずんで壊死しそうになっている人も多かったそうです。
    ローマ帝政末期も白粉中毒で貴族たちの出生率が低下したそうです。

    +155

    -2

  • 129. 匿名 2016/08/16(火) 16:04:52 

    寿命が短いよね
    大奥では40歳くらいは
    もうお婆ちゃんでしょ?

    +197

    -5

  • 130. 匿名 2016/08/16(火) 16:07:47 

    風呂もまともに入らないから行為前にも入らないよね?
    チ○カスだらけのちんこ突っ込まれて性病なりそう(>_<)

    +233

    -9

  • 131. 匿名 2016/08/16(火) 16:08:43 

    >>116

    みんな臭いからいいのかなとも思うけど、香で誤魔化すってことはやっぱり臭いんだ・・・って思う。

    +137

    -3

  • 132. 匿名 2016/08/16(火) 16:09:30 

    農村とかは、生まれた子供を間引いていたらしいね。

    こんにゃくを使ったりとか・・・

    +57

    -2

  • 133. 匿名 2016/08/16(火) 16:11:57 

    皆忘れてるけどくさいのは人体だけじゃなかろう。
    トイレはボットンの時代だよw

    +179

    -3

  • 134. 匿名 2016/08/16(火) 16:12:17 

    昔、人物画は抽象的にしか書けなかったと聞いた事がある
    高貴な人は嫌がったのかな?
    「私こんなブスじゃないし!」みたいな感じで機嫌を損ねたら大変だもんね
    そして、平安時代の人は大声を出す事をみっともないとしていて喧嘩しても大声は出さなかった

    +115

    -0

  • 135. 匿名 2016/08/16(火) 16:16:09 

    >>91
    二種類のイケメンがいたんじゃないでしょうか。
      貴族的なおしょうゆ顔でおだやかそうな一重の殿様的イケメンと、野性味溢れるソース顔的イケメンと。安定下、貴族的文化下では農民的な野性味溢れるタイプのイケメンはただの卑しい身分の象徴ですし、下剋上的な時代が揺れ動く
    関東武士が活躍する時代なら、成り上がり的なギラギラした野性味溢れるオス感丸だし的なソース顔的イケメンが頼もしく感じるだろうし。
     権力奪取して代を重ねていくと、安定、洗練な貴族文化になるので、高貴なお殿様顔が喜ばれる、とか。

    +18

    -5

  • 136. 匿名 2016/08/16(火) 16:16:15 

    夜這いの文化はすごい気になるな。
    女性は拒否は出来たと言うけど、好きな人がくるとは限らないしどうだったんだろう

    +191

    -1

  • 137. 匿名 2016/08/16(火) 16:16:55 

    >>130
    不衛生なのと避妊具のなかったためか、遊郭通いの男性のなかには梅毒や淋病に感染してしまう人も多かったとか。
    梅毒なんか症状が悪化すると鼻が膿んだりしたらしいけれど、それも男の勲章的な感じで川柳に歌われていて、色々と怖い時代だなと思う。
    近代に入っても旦那さんの遊郭通いで奥さんが性病に感染して、子どもが産まれない、それゆえに離縁とかあったようです。すごーく理不尽な話だと思う。

    +263

    -6

  • 138. 匿名 2016/08/16(火) 16:17:49 

    >>128
    江戸幕府で正室の子ほど育たなかったのも白粉原因で。
    次期将軍様に素肌のまま乳を吸わせるのは恐れ多いって乳母は乳房にまで白粉塗ったから。

    +193

    -2

  • 139. 匿名 2016/08/16(火) 16:19:03 

    平安時代も貴族は毛皮着ていたって。

    +21

    -3

  • 140. 匿名 2016/08/16(火) 16:21:06 

    平安時代の人はエコノミー症候群にはならなかったのか?

    +85

    -2

  • 141. 匿名 2016/08/16(火) 16:21:25 

    >>129
    30歳すぎたら「お褥すべり」で、そういうことは大奥ではもっと若い人にさせたとか…寵愛されていたら別でしょうが。

    +77

    -4

  • 142. 匿名 2016/08/16(火) 16:25:11 

    >>141
    厳しい時代だ…
    その後女性たちはどうするんだろう
    寵愛もなく歳だけ重ねたら
    出家くらい?

    +87

    -4

  • 143. 匿名 2016/08/16(火) 16:25:14 

    >>140
    運動不足、日照不足、ビタミン不足から脚気(かっけ)になった人が多かったとか。
    あと、麻疹が度々流行しています。
    藤原道長は、飲水病(水を飲みたがる病)と呼ばれた糖尿病で亡くなった。

    +141

    -2

  • 144. 匿名 2016/08/16(火) 16:25:16 

    うばすてやま……ってほんとに、あったのかな

    +113

    -1

  • 145. 匿名 2016/08/16(火) 16:26:16 

    おっといよめじょ……という恐ろしい悪しき習慣を聞いたことがありますが、全国的にあったんでしょうかね?

    +28

    -2

  • 146. 匿名 2016/08/16(火) 16:26:45 

    >>136
    親やコミュニティの友人達に協力してもらって
    好きな男に夜這いしてもらうように、お膳立てして貰ったりとかもあったそうですよ。

    +134

    -1

  • 147. 匿名 2016/08/16(火) 16:27:02 

    >>144
    何歳くらいで連れていかれるんだろう

    +70

    -0

  • 148. 匿名 2016/08/16(火) 16:28:27 

    >>136
    電気とか無いし、ロウソクとか月明かりでは誰が誰かわからないのも多かっただろうね

    +89

    -2

  • 149. 匿名 2016/08/16(火) 16:29:04 

    >>145
    なにそれ?

    +40

    -3

  • 150. 匿名 2016/08/16(火) 16:29:07 

    >>142
    庶民のあいだではも25歳すぎたら大年増と呼ばれていた時代ですから、30過ぎたら大奥でキャリアウーマンとしての道を極めるか、将軍が変わると寵愛されていた側室たちは出家するのでそれにつき従って出家するか、親族が持ってきた縁談で後妻に入るなどしたそうです。

    +122

    -1

  • 151. 匿名 2016/08/16(火) 16:30:11 

    大昔は産まれたばかりの新生児のオムツとかないだろうから、、どうしてたんだろうね?

    +79

    -5

  • 152. 匿名 2016/08/16(火) 16:30:26 

    >>142
    その後はまさにお局さん(笑)

     派閥争い、新人虐め、 権力争い等、
    に精を出す。

    +61

    -2

  • 153. 匿名 2016/08/16(火) 16:31:49 

    >>139
    奥州藤原氏の献上した馬と毛皮が都の人間からすれば豪勢で驚いたみたいな記述があります。
    この毛皮って、狐なのかな?それとも熊?
    源氏物語の末摘花がタヌキの毛皮を使っていたのは覚えているけれど。

    +31

    -0

  • 154. 匿名 2016/08/16(火) 16:39:41 

    >>142
    一度でも将軍と関係持った女は30過ぎたら将軍死ぬまで大奥暮らしで将軍死んだら全員出家。
    たとえ子供いなくてまだ10代の側室でも再婚不可。
    20代のうちに将軍に死なれて出家したら出入りの庭師といい仲になったのがバレて実兄に切り殺された気の毒な側室もいた。

    +166

    -3

  • 155. 匿名 2016/08/16(火) 16:41:25 

    >>137
    加藤清正も梅毒で亡くなったって話だよね

    +35

    -2

  • 156. 匿名 2016/08/16(火) 16:44:55 

    >>150
    >>152
    >>154
    丁寧な説明ありがとうございます

    +18

    -0

  • 157. 匿名 2016/08/16(火) 16:54:59 

    昔も反抗期ってあったのかな?
    私は中学生の頃反抗期だったんだけど昔は15歳くらいで結婚して子供産んでたから反抗期あったのか謎

    +153

    -5

  • 158. 匿名 2016/08/16(火) 17:00:49 

    >>13
    江戸時代の浮世絵で湯屋の風景を見ると
    女性みんな脇毛ボーボーだよ

    +132

    -1

  • 159. 匿名 2016/08/16(火) 17:02:19 

    絵巻物の顔立ちについて。あれは引き目かぎ鼻という、こういう風に描きなさいという形式があったから絵師はああいう顔を描いてただけで、本当にあの顔だった訳ではありません。
    その後も日本では昔から高貴な人の顔をまじまじと見るのは不敬とされていたので、絵師はイメージで肖像画を描いたため、本当の顔とかけ離れているなんでザラだったそうです。

    +143

    -0

  • 160. 匿名 2016/08/16(火) 17:03:00 

    >>157
    反抗期は、庇護されている子ども時代が許された人のみ存在していた感じがする。
    例えば、平安時代の藤原氏とか17歳ぐらいの時にやんちゃなことしているし(下人をけしかけて牛車競争とか、恋情のもつれか何かで法王の車に矢を放つとか)、江戸時代の三代将軍家光も適度に反抗期があったような感じがする。あくまでも感じで申し訳ないですが…。

    +74

    -2

  • 161. 匿名 2016/08/16(火) 17:03:12 

    夏場になるとお股にフェミニーナ軟膏にお世話になるんだけど、お姫様はアソコが痛くならなかったんだろうか??

    +118

    -3

  • 162. 匿名 2016/08/16(火) 17:06:32 

    >>144
    フィクションだけど、楢山節考(1950年代創作の小説)を読むと、姥捨ては、やっぱりあったんじゃないかと思う。
    冷害や耕作地不足が深刻とか、ある一定条件のもとで、こっそり行われていたのではないかと…。

    +78

    -4

  • 163. 匿名 2016/08/16(火) 17:33:43 

    >>72
    たぶん懐紙(かいし)のことだと思うけど一枚じゃなくていっぱい持ってたよ
    ティッシュとしてなんでも使ってた
    鼻かんだりトイレで使ったり
    よくテレビで侍が切った後紙でシュッと刀ふいてたりするでしょ、あの紙だよ
    使った後は火鉢なんかにぽいっと入れてた

    幕末に来た外国人が
    「自分らが一日使いまわすハンカチより綺麗だしエコやんけ!」ってびっくりした

    +181

    -5

  • 164. 匿名 2016/08/16(火) 17:35:09 

    医者がいたろうが、検査なんてもんはなかろうしどこかがガンとか性病とかわからないのに、わけのわからない薬としょうしたもんを飲まされて。。こわいわ!!いまでもわからない病気あるし、当時もいまぐらいの病気沢山あっただろうしね、、、

    +79

    -7

  • 165. 匿名 2016/08/16(火) 17:48:45 

    >>161 何かの葉っぱを擦ったりした薬があったんじゃない?あそこ用でなくても、炎症どめとか。

    +35

    -2

  • 166. 匿名 2016/08/16(火) 17:51:55 

    >>161
    パンツで密閉してないからむしろ今よりマシじゃないの
    腰巻まいてるだけだから股間の通気性はいいだろうし

    +105

    -2

  • 167. 匿名 2016/08/16(火) 17:53:36 

    >>165
    昭和の話で申し訳ないけれど、おばあちゃん曰く「どくだみ」「アロエ」「ヨモギ」は何かと言うと、かぶれたところにはったり、虫に刺されたら使ったそうです。

    +109

    -0

  • 168. 匿名 2016/08/16(火) 17:56:11 

    本当にオカメみたいなのが美人て言われてたのかな?
    どんなに頑張っても、あんな肉付きの顔になるとは思えないんだけど。
    あくまで理想だったんじゃないの?

    +63

    -5

  • 169. 匿名 2016/08/16(火) 17:57:01 

    昔の人は男女ともにアソコをさらすのは恥ずかしいという発想が何処から出たのか?
    差別視するわけじゃないけどヘンピな小民族も素っ裸でもアソコは隠してるよね。

    +144

    -7

  • 170. 匿名 2016/08/16(火) 18:05:25 

    >>169
    恥ずかしいの前に、大切な場所だから保護しなきゃ(隠さないと)まずいって認識が先に出てきたのかも。

    +170

    -2

  • 171. 匿名 2016/08/16(火) 18:06:57 

    昔は今ほど交通手段が無いから、結婚相手は身近で見つける。
    でもそれを繰り返すと村の中だけのDNAしか使い回すことができない。

    そこでお祭りを開催して他の村人を呼んで草陰で男女がヤッて外のDNAを取り入れる。
    村はそれを暗黙の了解として、産まれた子供は自分の子供として育てる。

    村祭りを開く本当の目的はそれらしい。

    +208

    -4

  • 172. 匿名 2016/08/16(火) 18:08:09 

    きっとあと何百年後かには、今は時代の事も「あの時代あんな物使ってたんだぜー」「今の時代で良かったー」とか未来人に言われてるんだろね。

    +267

    -1

  • 173. 匿名 2016/08/16(火) 18:08:59 

    >>171
    旅の行商人が民家に泊まったら娘を夜伽に出すのもあったようです。

    +69

    -4

  • 174. 匿名 2016/08/16(火) 18:10:05 

    >>172
    そう考えると少し怖いかも。モラル崩壊時代とか言われそう…(笑)

    +43

    -4

  • 175. 匿名 2016/08/16(火) 18:40:11 

    >>148
    蝋燭は高級品です。庶民はせいぜい行灯。
    行灯は一個で60分の1ワットだそうです。つまり六十ワットの明るさを得るには360個の行灯が必要だったわけで。

    +43

    -1

  • 176. 匿名 2016/08/16(火) 18:53:48 

    >>157
    反抗期というか旗本クラスの次男三男で養子の話出ないのは若い頃グレるのが結構いた。
    部屋住みって言って仕官も結婚も許可されず内職とか家の大工仕事にこき使われるだけの厄介者扱いされるから。
    遠山の金さんのモデルになった人も父が養子に行って金さんが生まれる直前に養父母に子供出来ちゃったなんて事情で跡取りとして生まれるはずが部屋住みにされてそれでグレて刺青(桜吹雪じゃなく女の生首を彫った)入れて賭場に行ったり若い頃かなり荒れてたし。

    +60

    -4

  • 177. 匿名 2016/08/16(火) 19:02:46 

    車のない時代は集落の人々はどうやって生活した?
    限界集落とまではいかなくても、コンビニまで車で山をいくつか越えて20、30分みたいな場所の日々の生活や教育が気になる

    +17

    -21

  • 178. 匿名 2016/08/16(火) 19:03:00 

    水戸黄門て確か若いころはグレてなかった?
    徳川の家系よくグレてる気がする。

    +21

    -2

  • 179. 匿名 2016/08/16(火) 19:20:06 

    >>177
    基本的には自給自足。何でも自分で作るから百姓。それ以外の物は行商人から。

    +75

    -1

  • 180. 匿名 2016/08/16(火) 19:20:51 

    確かに平安時代なんかは重い着物着て洗髪もあまりできず臭そう…って思うけど、
    脂肪や肉類を摂ってないし、通気性のいい天然素材の着物に、通気性のいい建物(今みたいなサッシとかない隙間だらけ)。
    体臭は今より少なかったかもね。

    江戸時代は下水道も発達してたし、糞尿は売られて畑の肥料になってリサイクル。
    街も清潔で、外国人は驚いたらしい。

    ヨーロッパのベルサイユ宮殿でさえトイレはオマル、パリなんかは街に糞尿垂れ流し、そのせいで香水やハイヒールが誕生!

    日本は進んでたんですよ~!

    +255

    -2

  • 181. 匿名 2016/08/16(火) 19:21:39 

    グレてるといえば傾奇者。
    代表格は織田信長と前田慶次に上杉謙信
    信長はよく時代劇で出てくる茶筅のような髪型とひょうたんをブラブラ提げて縄を巻いた姿。どっちかというとワイルド系。
    前田慶次や上杉謙信は女物の織物を使った金蘭緞子な着物を羽織ってみたり、簪で飾ってみたり。
    今で言うジェンダーレス系。

    +89

    -2

  • 182. 匿名 2016/08/16(火) 19:25:50 

    >>178
    うん、水戸黄門も小さい頃他所に預けられて育った上に世子を幕府に届けるタイミングで兄さん大病、助からないと思った父さんが弟の光圀が世子ですと届けた後に兄さん復活して「俺長男じゃないのに跡取りになっちゃった」って荒れた。
    成人になってから話し合いで兄さんの子供を養子にして水戸藩を継がせ、自分の子は兄さんの養子にして高松藩を継いでって入れ替えて継がせたくらいだからかなり自分と兄の境遇を気にしていたらしい。

    +28

    -3

  • 183. 匿名 2016/08/16(火) 19:26:00 

    >>7
    同じくらいの赤ちゃんのいるお母さんに貰い乳してたんだよ!

    +31

    -4

  • 184. 匿名 2016/08/16(火) 19:31:45 

    まあ、トピ画の眉毛も謎だよね。
    太眉で赤リップて今の流行りか?

    +20

    -1

  • 185. 匿名 2016/08/16(火) 19:32:00 

    >>65
    確かに…肉を食べないと臭くないんだよね。
    病気で1年間完全にヴィーガン生活したことあるけど、オナラも無臭。
    体も臭くない。
    うん◯もあまり臭くなかった。

    +171

    -2

  • 186. 匿名 2016/08/16(火) 19:33:10 

    >>6

    イザナギとイザナミ

    +24

    -2

  • 187. 匿名 2016/08/16(火) 19:35:26 

    ペリーが日本に来た時に、日本が清潔で町も庭園も住居も整っててビックリしたらしいですよ!

    +148

    -0

  • 188. 匿名 2016/08/16(火) 19:40:39 

    >>186
    アダムとイブじゃないの?

    +18

    -2

  • 189. 匿名 2016/08/16(火) 19:48:53 

    虫歯の治療とか手術とか、壮絶な痛みをともなったと思うと、昔の人には申し訳ないけど麻酔のある現代に産まれてて良かった…

    +138

    -2

  • 190. 匿名 2016/08/16(火) 19:52:47 

    >>189
    暴れん坊将軍の徳川吉宗とかは歯が悪いのにすごく悩んだとか。そのくせ甘いもの好きだったそうです。
    古代エジプトのファラオ、ラムセス2世にも虫歯の治療痕があり、虫歯に悩まされていたのがわかっているそうです。
    現代でよかった!

    +73

    -0

  • 191. 匿名 2016/08/16(火) 20:11:39 

    昔の人は家具とかどうしてたんだろう?特に庶民。家具屋さんなんて近くにないだろうし、家は茅葺き屋根だとしても、家の中はやはり縄文時代の縦穴式とさほど変わりなかったのかな。

    +4

    -5

  • 192. 匿名 2016/08/16(火) 20:14:56 

    >>188

    え!日本の話じゃないの?

    +10

    -0

  • 193. 匿名 2016/08/16(火) 20:19:38 

    >>190
    教えて頂きありがとうございます♩

    +6

    -1

  • 194. 匿名 2016/08/16(火) 20:20:33 

    昔は男色が盛んで珍しいことではなく偏見もなかったらしい
    男娼もたくさんいたみたいだけどどうして廃れたのかな?

    +102

    -4

  • 195. 匿名 2016/08/16(火) 20:28:58 

    >>194
    明治維新で欧米との付き合い復活したら同性愛はキリスト教じゃ大罪だからマズいだろって事で禁止になった。

    +126

    -1

  • 196. 匿名 2016/08/16(火) 20:31:41 

    >>194
    明治時代になり、キリスト教の考え方が文化や常識として根付いている西洋化が起こったから。
    もちろん西洋にも同性愛者はいたわけだけど、それは聖書の教えに反しているのでバレたら社会的に破滅する時代だった。その考えが入ってきて、江戸時代に遊郭と並んで平然とあった色子宿みたいなのは次第に廃れていったそうです。

    +74

    -2

  • 197. 匿名 2016/08/16(火) 20:34:58 

    >>194
    家父長制も法律として明治時代に整備されたのも大きかったかも。
    江戸時代からそうだったけど、男が家を継いで次世代に引き継ぐ形式が一般的になったので子どもが誕生しない同性愛は異端視されたのではないかと…。平安時代ぐらいまで(武士が強くない時代)までは日本も母系家族だったようです。

    +32

    -0

  • 198. 匿名 2016/08/16(火) 20:40:11 

    >>191
    庶民に関しては、平安末期ぐらいまでは竪穴式住居に近い家で暮らしていたので、家具もろくになかったそうです。
    平清盛が宋銭を浸透させていくと市井でも商人が増えて、家も貴族や寺院を真似て、床が敷かれるようになり、家具も使われるようになりました。
    それでも江戸時代の長屋は押入れがあるところは少なく、庶民は、着物など、きちんと保存しないといけないものは、あえて使わない季節は質屋さんに入れて保存してもらっていたそうです。

    +51

    -1

  • 199. 匿名 2016/08/16(火) 20:41:57 

    >>191
    正倉院展に行くと、奈良時代の聖武天皇の使っていたベッドや螺鈿細工の椅子があり豪華だなぁと思う。でも、庶民は、土床にムシロが敷いてあるのが精一杯な時代だったと思う。

    +32

    -0

  • 200. 匿名 2016/08/16(火) 21:15:49 

    >>199

    法隆寺が建立された頃の庶民は、竪穴住居に毛が生えたレベルの掘っ立て小屋に住んでたそうですから。

    +26

    -2

  • 201. 匿名 2016/08/16(火) 21:38:23 

    >>20
    産婆さんとかがうまいこと
    広げて傷つけないように(避けないように)
    してたらしいよ
    今も自宅出産とかで産婆さんとかに
    立ち会ってもらって出産する動画を
    YouTubeで見たけど
    えいん裂けてなかったよ

    +73

    -0

  • 202. 匿名 2016/08/16(火) 21:42:56 

    >>178
    すいません
    プラス押そうとしてマイナスに指が触れてしまいました(>_<)

    +13

    -0

  • 203. 匿名 2016/08/16(火) 21:58:39 

    >>1
    昔の人は現代人とは食べてるものが違うからそれほど臭くはないらしいよ

    +25

    -1

  • 204. 匿名 2016/08/16(火) 22:01:52 

    >>169
    ちょっとズレるけど
    胸を出すのは恥ずかしくないけど脚を出すのは恥ずかしいという民族もある
    胸は出しっぱで脚はいつも隠してる

    +74

    -1

  • 205. 匿名 2016/08/16(火) 22:23:26 

    平安時代とか、古文で会話していたのかなあ、何言ってるかわからんだろうなあ。

    +50

    -5

  • 206. 匿名 2016/08/16(火) 22:26:09 

    戦国時代は、戦に負けたら女は全員強姦されたそうですね。

    +5

    -26

  • 207. 匿名 2016/08/16(火) 22:30:55 

    平安時代の体臭ですが、今よりマシと言っても臭くなるのを防止するために香を炊いて匂いをつけていたので、洗濯しない服が臭う位はしていたとは思いますが、
    「したためた香の匂いと女性の体臭が混ざった人それぞれの香りがたまらない」みたいなことを光源氏が言っていたような・・・
    違う話だったかな?
    とにかく、わきがの臭いに興奮する国があるように、その時代では興奮する位の体臭だったのでしょう。

    +93

    -1

  • 208. 匿名 2016/08/16(火) 22:32:20 

    >>205
    「をかし」だけしかわからないかもなぁ~

    +9

    -0

  • 209. 匿名 2016/08/16(火) 22:34:20 

    カミソリなかったら、織田信長も源頼朝も、みんな浮浪者みたいにひげぼーぼーだよ

    あたま剃ってちょんまげゆってたし

    平安時代の女性はまゆを剃ってかいていたのでは?

    +46

    -1

  • 210. 匿名 2016/08/16(火) 22:39:09 

    >>141
    お褥すべりしたら 今度は将軍様と若い子が何をしてるのを見張る係りになるんですよ~。
    将軍様に自分の事とか実家の事とか取り立ててもらうようにおねだりするのを防止するために。
    薄いカヤみたいなカーテンの中で二人がしてる間、カーテンの外でずっと正座で二人に背を向けて座ってなきゃいけない。
    見ることはしなくても、二人の声や動く音でいやらしい気持ちになってしまっで動くことが出来ず、辛かったらしいですよ。

    +83

    -4

  • 211. 匿名 2016/08/16(火) 22:40:38 

    >>209
    原始時代から、石を鋭く削った物でひげを剃ったり髪を切ったりはしていたそーです。

    +43

    -0

  • 212. 匿名 2016/08/16(火) 22:50:11 

    平安時代は裕福な人はご飯がたくさん食べれるからふくよかとされていた。
    ふくよか=貴族の象徴。
    巻物絵なんかにはポッチャリがたくさん描かれているだけで、その時代のイケメン・美女って訳ではない。
    特にお姫様なんかは、男性は家族以外には顔を見せることはしない時代。
    家族でさえ口元にあてた扇子ごし。
    髪の美しさ、次の美しさ、声のはかなさ、琴の上手さetcで美女度が決まってたので、本当に美女と言われてた人がきれいな顔かも分からない。
    それぞれが、それぞれの美女像で美しさを語ってた。

    実際にふくよかな人がもててたかというとそうでもない。
    実際 光源氏も、単の下で単の重さに耐えきれないような華奢な女性がタイプだと言っている。
    回りの女官が光源氏を影でキャーキャー話してる時も一言だってふっくらしてて素敵 とは言ってない。どちらかと言えばシュッとしたイメージで話されている。

    +80

    -0

  • 213. 匿名 2016/08/16(火) 22:51:05 

    >>205
    取りあえず庶民と貴族は会話成立しなかっただろうな。
    「おなら」でさえ貴族特有の言い方(和歌絡みで匂うを奈良、おをつけてお奈良と呼びましょと宮中の女性たちが言い出したのが元でアレがおならと呼ばれるようになった)だったし。

    +47

    -2

  • 214. 匿名 2016/08/16(火) 23:12:42 

    >>205
    そもそも発音が今と違うようだしね。
    奈良時代なんかはハ行は「ぱぴぷぺぽ」と発音していたらしい。
    そこから「ふぁふぃふふぇふぉ」に変化して、現在の「はひふへほ」の発音になったそうな。

    +56

    -1

  • 215. 匿名 2016/08/16(火) 23:13:22 

    私は東京都目黒区に住んでいるんだけど、
    江戸時代にちょっと浅草に芝居を観に行こうとか、吉原で遊ぼうとか、
    気軽にいけたのかな?

    だって、今でも電車で1時間弱は掛かるよ。
    旅のつもりで出掛けたのかしら?

    +65

    -2

  • 216. 匿名 2016/08/16(火) 23:15:40 

    日本人は識字率も世界的に見てトップクラス。

    イエズス会の宣教師たちは庶民まで読み書きをし、文化水準が高いと手紙で報告している。
    今まで布教活動したどの地域よりも優れていると。

    それは、開国後も同じ。庶民までが、俳句や茶の湯、三味線などをたしなみ、本を読む。幕府の通達も文字で伝えている。

    読み書きそろばんが出来て当たり前の日本人に驚愕したのだから。

    第二次世界大戦のとき、捕虜がみんな読み書き算数ができるので、誰が司令官かわからないと報告しているものもある。

    大日本帝国だけだよ。植民地に学校を作って、植民地の人民を教育したのは。
    特に韓国は併合だから植民地でもないので、ハングルをきちんと理論立てて整備して、教育に入れてる。

    日本人エライさ。

    +237

    -7

  • 217. 匿名 2016/08/16(火) 23:19:00 

    新生児って、うんちの量半端ないけど、昔の人はどうしてたんだろう…。庶民なんて布おむつ買えなかっただろうし。気になる。

    +11

    -9

  • 218. 匿名 2016/08/16(火) 23:19:02 

    昔の人は現代人に比べて生理の期間が短かかったみたい。初潮も遅いし、沢山子供産むし妊娠中と授乳中は生理止まってるから。

    +102

    -1

  • 219. 匿名 2016/08/16(火) 23:25:11 

    >>117

    あ〜、なるほど!
    毎日十二単なんて着てたら色々と大変ですもんね。

    ありがとうございました♪

    +15

    -1

  • 220. 匿名 2016/08/16(火) 23:25:57 

    古典専攻だった人が、大学のゼミのみんなで平安時代の生活をしてみたらしい。
    髪はロングにして、月に一度だけ水洗い。あとはお湯で拭いたり目の細かい櫛でとき、食事は野菜と少しの魚。しばらくしたら体質が変わって、髪がサラサラで臭いも消えたそうな。
    ちなみに平安時代の女官は月に一度洗髪休日があって、1日がかりで髪を洗って陽に当てて乾かしてたみたい。

    +96

    -2

  • 221. 匿名 2016/08/16(火) 23:26:23 

    >>205
    そもそも明治以前ははっきりと口語と文語の文体は分かれていたので、いわゆる古文そのままではなく、時代時代の口語で喋ってた。

    +48

    -0

  • 222. 匿名 2016/08/16(火) 23:32:14 

    >>215
    昔の人の歩き耐久力を舐めてはいけない。
    どこでも歩いていった。私も休日は往復30キロまでなら極力長距離ウォーキングのつもりで歩く事にしてる。すっかり休日の趣味になってしまった(笑)

    +72

    -2

  • 223. 匿名 2016/08/16(火) 23:36:17 

    >>213
    私はおならの語源は「鳴らす」だと習ったよ。平安時代の人の日記に「今日、みんなで地面にしゃがんで雑談していたら、その姿勢が悪かったのか誰々中将が高く鳴らした。一瞬、その場が静まり返り、中将は『あな、恥ずかしや』と一目散に逃げてしまった。あの場合、黙らずに何か冗談を言ってあげたほうが良かったのに、何も言えなかった。中将には済まない事をした」って一文があったよ。
    人前でおならをしたことを後世まで伝えられた中将かわいそうだし、昔の人も現代人も同じ感覚なのが面白いw

    +121

    -0

  • 224. 匿名 2016/08/16(火) 23:36:28 

    寿命はどのくらいだったんだろう。
    もしかしたら50歳はお年寄りだったのかも。

    +31

    -3

  • 225. 匿名 2016/08/16(火) 23:50:02 

    人生五十年…

    織田信長

    +56

    -0

  • 226. 匿名 2016/08/16(火) 23:53:28 

    猫はいたよね?
    ペットにしてたかな?
    でも裕福じゃないとご飯与えられないか。

    +19

    -0

  • 227. 匿名 2016/08/16(火) 23:58:15 

    >>223
    どっちも説がある。
    和歌の方は「いにしへの奈良の都の八重桜今日九重(ここのへ)に匂いぬるかな」で「いにし屁」「ここの屁」と2つも屁があってしかも「匂い」ってwという理由でその和歌から屁と言えば奈良、そのままじゃお下品だからおをつけよっかと奈良県が気の毒になるような説w

    +49

    -3

  • 228. 匿名 2016/08/16(火) 23:58:19 

    >>136

    源氏物語とかだと、娘だったか目をかけていた子だったが、むりやり髭面のおっさんに手篭めにされて、そのまま嫁に、なんてこともあったよね。
    源氏も、そうなってしまっては仕方ない…みたいな感じで何も手だしできず。
    やるせないなと思った。

    +62

    -2

  • 229. 匿名 2016/08/17(水) 00:00:37 

    >>136
    前現代でも夜這いがある国に日本のTVが取材に行った番組見たけど
    アレはアレで意外と自由じゃないみたいだった

    取材で密着した男性の場合
    既に相手の女性とは日本で言う(性的関係のない)付き合ってる状態だったんだけど
    それでも夜這いに行ったら相手の女性の家族にボコボコにされて追い帰れてた

    ただそれは何度か相手の家族に追い返されても
    それでも夜這いに行くことで本気だってアピールして相手の両親に認めてもらう
    っていうしきたりだったらしい

    あれ見て思ったのは
    現代人が夜這いって聞くと性的にルーズだったんじゃないかとか思いがちだけど
    アレもアレで実はしきたりとか慣習で現代人が思うより
    厳しかったんじゃないのかなって思った

    まあ普通に考えて女性の父親からすれば大事な娘を守らないわけがないだろうし

    +82

    -3

  • 230. 匿名 2016/08/17(水) 00:03:05 

    >>226
    猫は平安か奈良時代あたりに中国から連れてこられた。
    ネズミがお経や書物かじらないように猫に退治して貰う目的で。
    だから最初は寺や貴族の屋敷でしか飼われない動物だった。

    +49

    -2

  • 231. 匿名 2016/08/17(水) 00:05:12 

    >>203
    トピ主です!ご丁寧に教えて頂きありがとうございます♩嬉しいです(^_^)

    +7

    -1

  • 232. 匿名 2016/08/17(水) 00:06:06 

    >>226
    一般的にペットとしての猫は日本に仏教伝来とともに輸入されたらしいです

    有名なところだと(日本史の教科書にも出てくる)宇多天皇なんかが
    猫好きで日記に猫のことを相当書いてて
    元祖猫ブロガーなんて言われてるくらい猫好きで有名
    【平安時代の】宇多天皇が猫好きすぎてヤバイ【猫ブログ】 - NAVER まとめ
    【平安時代の】宇多天皇が猫好きすぎてヤバイ【猫ブログ】 - NAVER まとめmatome.naver.jp

    平安時代前期の天皇、宇多天皇の猫好きエピソードをまとめました。


    リンク先には宇多天皇の猫ブロガー的具体的内容が漫画化されてる

    +63

    -1

  • 233. 匿名 2016/08/17(水) 00:06:58 

    私、登山やトレッキングが好きなんだけど、速乾性の登山ウェアにGore-Texのシューズ履いてても、汗ダラダラで気持ち悪いし、足裏痛いよ。雨降ったら最悪。
    昔の人は東海道とか峠越えとか、山篭りとか、どうしていたんだろう。時代劇や浮世絵では、着物に傘かぶって草鞋に杖みたいなスタイルだけど、いくら足腰丈夫でもきついだろうな。

    +29

    -0

  • 234. 匿名 2016/08/17(水) 00:07:27 

    >>106
    本当のお姫様は普段十二単は着ていなかったそうですよ。自室では袴に打掛のラフな格好。
    十二単は正装なので、お姫様にお仕えする侍女達だけが日常的に着ていたんだとか。
    勿論、お姫様も自分より身分の高い人の前に出る時は十二単ですけどね。

    +74

    -0

  • 235. 匿名 2016/08/17(水) 00:08:54 

    >>226
    平安時代には、貴族が飼うペットとして猫は定着していた。
    平安末期の武士が台頭してくると、ペットは猫や犬だけではなく狩りに使う鷹や武門の縁起物として猿を飼う家も出てきて、絵巻物に書かれている。
    江戸時代の遊廓では、遊女たちが裸足だったのもあり暖をとるのと、猫=寝子(遊女)に相通じるのもあって、猫はペットとして可愛がられたそうです。

    +31

    -2

  • 236. 匿名 2016/08/17(水) 00:13:34 

    50歳が寿命ならボケたりとかなかったかも。

    +85

    -2

  • 237. 匿名 2016/08/17(水) 00:17:43 

    >>187さん
    今の日本も清潔で整っててびっくりすると外国人が言ってるくらいだから、ペリーは度肝抜かれただろうね。

    +53

    -0

  • 238. 匿名 2016/08/17(水) 00:18:27 

    >>233
    江戸時代の旅装ですが、足はフィットする草履で足首を固定、着物の裾をとられないよう脚絆をする、手首も同じようにして草木から守り、動きやすくするなど、かなり合理的な旅装はしていると思います。
    幕府の意向で、あえて橋がかけられていない大河は渡し守におんぶをしてもらったり、馬や艀に乗るなどして越えたようです。
    そういう意味では、現代から考えれば旅は大変で、だからこそ一生に一度は行きたい、お伊勢参りだったのかもしれません。

    +58

    -0

  • 239. 匿名 2016/08/17(水) 00:19:34 

    >>216

    なんか嬉しいな

    誇りに思うね!

    +50

    -1

  • 240. 匿名 2016/08/17(水) 00:20:24 

    >>236
    痴呆や寝たきりもそうです。
    昔は、そうなる前に病気や怪我であっけなく亡くなっていったと考えられます。

    +90

    -0

  • 241. 匿名 2016/08/17(水) 00:25:47 

    >>226
    結構古くからペットとして飼われてて
    このスレでも出てきた枕草子にも記述があって
    猫大好きな一条天皇は猫に高い官位を与えて可愛がって
    (枕草子でもその猫相手には敬語というか明らかに目上の人扱いの記述)
    その猫に噛み付こうとした犬をボコボコにして島流しにした挙句
    戻ってきた犬を家来を使ってまたボコボコにして追い払った
    (因みに清少納言達がその犬を引き取ったらしい)なんて記述があるくらい
    昔からペットだったらしい

    +37

    -0

  • 242. 匿名 2016/08/17(水) 00:25:59 

    猫は古代エジプトでも飼われていたような

    +32

    -0

  • 243. 匿名 2016/08/17(水) 00:29:10 

    >>242
    人類最古のペットと猫が言われるのは、古代エジプトから飼われていたことがわかっているからです。
    猫の神様が古代エジプトでは崇められていましたし、猫、ワニ、雌牛、犬のミイラが発見もされています。

    +32

    -0

  • 244. 匿名 2016/08/17(水) 00:29:27 

    まず源氏物語で女三宮が沢山猫飼ってたじゃん。

    +46

    -1

  • 245. 匿名 2016/08/17(水) 00:42:09 

    祈祷で病気が治るとか、人を殺めたり出来ると本気で信じるとかも、万国共通で昔からありますよね…

    +23

    -0

  • 246. 匿名 2016/08/17(水) 00:51:24 

    >>53
    生理のときだけふんどしを着用し、普段は腰巻という巻きスカートのような布を巻きつけていただけです。
    下着を着けなかった江戸時代の女性。生理になったときの驚きの処理方法とは | 江戸ガイド
    下着を着けなかった江戸時代の女性。生理になったときの驚きの処理方法とは | 江戸ガイドedo-g.com

    パンツがなかった江戸時代。数百年前の下着事情を振り返るともに、女性が生理になったときの処理方法もご紹介します。

    +23

    -1

  • 247. 匿名 2016/08/17(水) 00:52:40 

    >>74
    「性愛の行為としてのキス」は、
    文献の記述を当たると、少なくとも平安時代まではさかのぼれるそう。
    「口吸い」という名称での記述になりますが、
    ・『土佐日記』作:紀貫之/成立:935年ごろ(?)
    ・『今昔物語』作:不明/成立:平安時代末期(?)

    「口吸い」という行為があったと文献から確実にいえるのは平安時代からですが
    、その前から存在した可能性はもちろん否定できません。

    +19

    -0

  • 248. 匿名 2016/08/17(水) 00:54:23 

    >>194
    このサイトに、廃れた理由が書いてありますよ。

    しかし、かげまのア●ルの開発の仕方も書いてあったけど、エグすぎる・・・
    まだ12、3才の子にしてたらしい。今だったら児童虐待だね。
    江戸のかげま茶屋 : ジャックの談話室
    江戸のかげま茶屋 : ジャックの談話室jack4afric.exblog.jp

    江戸時代の日本には、江戸や大坂、京などの大都市で男性または女性客相手に売春を行うかげま(陰間)と呼ばれる女装の少年を抱える施設である「かげま茶屋」が流...

    +38

    -1

  • 249. 匿名 2016/08/17(水) 00:56:09 

    >>3
    戦前は綿って祖母から聞きました。
    それより前は排泄みたいに溜めてトイレに出していた模様。

    +18

    -4

  • 250. 匿名 2016/08/17(水) 01:00:34 

    >>216

    こういう日本人の誇るべき部分・素晴らしい歴史は教科書であまり扱わないのが悔しい。
    むしろ学生に自虐的歴史観を植え付けてる。
    海外は進んでた、日本が悪い、残虐だの慰安婦だのでっち上げ。

    でもがるちゃんみたいな掲示板をはじめ、ネットがあるし、日本史・戦前戦後の真実を伝える教科書を作ろう!って運動されてる方々もいる。

    日本人は誇りを持とう!

    +73

    -3

  • 251. 匿名 2016/08/17(水) 01:02:13 

    >>141
    ちなみに正確には35才でお褥すべりしてました。
    お褥の監視が決まったのが5代目からです。
    お褥でおねだりする人が増えて問題視されていたための模様。

    +41

    -0

  • 252. 匿名 2016/08/17(水) 01:04:05 

    >>164
    確かに(笑)
    訳分からん薬とか祈祷とか…

    私は食物アレルギーとか昔は無かったのかな?って疑問に思いました。

    +8

    -1

  • 253. 匿名 2016/08/17(水) 01:05:45 

    >>206
    全員はないとおもいます。
    敗将側の高貴な血筋の姫や奥方はむしろ丁重に扱われてました。(血筋を残すため、血筋が欲しいから)
    負ける度に強姦されていたら、お市の方や浅井三姉妹は最低2回は強姦されたことになりますが……実際は丁重に保護されましたからね。

    +66

    -0

  • 254. 匿名 2016/08/17(水) 01:07:15 

    >>215
    吉原は大体泊まりで夕方から開きますし。
    駕籠とかもありますから。

    +20

    -0

  • 255. 匿名 2016/08/17(水) 01:10:53 

    >>252さん

    70代のうちの両親の学生時代、90代の祖母の若い頃、食物アレルギーの人はほとんどいなかったと言ってました。

    アラサーの私が小学生の頃も、給食は全員同じの食べてたな。

    食物アレルギーってここ20年前後で増えた気がする。
    花粉症も急に増えたよね。

    清潔になりすぎたのが原因のひとつかね?
    よく小さい時に土いじりしたり動物触って、いろんな菌に触れた方が耐性つくって聞いたからな~。

    +127

    -2

  • 256. 匿名 2016/08/17(水) 01:11:13 

    >>160
    家光の反抗期は凄かった。反抗期で済まないんじゃないかというレベル。

    将軍ついだのに跡継ぎ作らないで近習と戯れまくり。挙げ句、城抜け出して辻斬りしたりして、伊達政宗に「オイタはいけません!」って怒られていた(史実)

    +49

    -2

  • 257. 匿名 2016/08/17(水) 01:11:42 

    呪術、占い、祈祷、生贄、拷問、冠婚葬祭などの文化が、交通手段もなかった太古の昔から世界中の地域で根付いていたことが不思議。
    世界各地のあらゆる文明の中から、そういった考えが自然発生していき、途絶えてはいけないと伝承していったってことだよね。

    +40

    -0

  • 258. 匿名 2016/08/17(水) 01:13:25 

    >>6
    古事記になりますが……イザナギがイザナミに「私の余っているところ(つまり男性器)を貴女の窪んでいるところ(女性器)に入れてみましょう」という記載があります。なのでイザナギ?

    +66

    -2

  • 259. 匿名 2016/08/17(水) 01:13:54 

    >>205
    こんな感じでしゃべってたみたいですね。
    たしかに奈良、平安時代あたりは何言ってるかわかりませんね。
    室町時代の都言葉あたりから、現代でも聞くことができるみたいです。

    奈良時代の話し言葉・・・
    ぱぱうえつぁまぽら (母上様ほら)
    ディエップディエップんが (蝶々が)
    ちょんでうぃまつぅぃよ (飛んでいますよ)
    でぃよこにディエップディエップんが、ちょうでうぃまつぅの? (どこに蝶々が飛んでいますの?)
    あのつぁつぁのぱのうえに、ちょうでうぃまつぅよ (あの笹の葉の上に飛んでいますよ)
    ぽんちゃうでぃぇつぅね (本当ですね)
    ぴらぴらちょんで、くゎぁいらつぃい (ひらひら飛んで可愛らしい)
    たけしの教科書に載らない日本人の謎 | ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!
    たけしの教科書に載らない日本人の謎 | ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!poyoland.jugem.jp

    たけしの教科書に載らない日本人の謎 | ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!ドキュメント鑑賞☆自然信仰を取り戻せ!テレビでドキュメントを見るのが好き!1回見ただけでは忘れてしまいそうなので、ここにメモします。地球環境を改善し、自然に感謝する心を皆で共...


    ※さまざまな古代語の再現を試みた動画。
    8:02頃より上代日本語、10:00頃より中古日本語。
    11:33頃より琉球語も。
    古代語 From Proto-Indo-European 古代言語音声集 How Ancient Languages Sound Like - YouTube
    古代語 From Proto-Indo-European 古代言語音声集 How Ancient Languages Sound Like - YouTubewww.youtube.com

    Enjoy listening to 24 ancient languages. 8 of them are derived from PIE. 8 are from Semitic. The others were spoken by Asians. Leave comments if you are inte...

    +48

    -0

  • 260. 匿名 2016/08/17(水) 01:16:05 

    >>25
    昔から歯医者はいたみたいで、引っこ抜いたりしてたみたいですよ。日本って割りとすすんでますよね昔から。

    +33

    -0

  • 261. 匿名 2016/08/17(水) 01:18:10 

    >>255
    なんでも除菌じゃダメですよ、小さな間に免疫力をつけるのが大切だと、細菌研究をしている教授の講演を大学生の時に聴きました。
    また、最近は本当にアレルギーを持っている子どもが増えたなぁと思います。
    杉花粉も戦後の禿げ山にすぐ成長するからと、杉をたくさん植えたのも原因の一つと言われるように人災の要素もあるかもしれませんね。

    +59

    -1

  • 262. 匿名 2016/08/17(水) 01:21:05 

    >>254
    吉原に通う時に、あえて船をつかって通うのが通というか、お金持ちのたしなみだったらしい。

    +37

    -0

  • 263. 匿名 2016/08/17(水) 01:25:03 

    >>256
    さすが「生まれながらの将軍」!
    弟の駿河大納言も半端なく暴れん坊でした。でも、どこまで本当だったかは定かではありません。なにしろ家光とは犬猿の仲の兄弟だったのですから。

    +24

    -0

  • 264. 匿名 2016/08/17(水) 01:28:26 

    >>69
    中大兄皇子が日時計を中国から輸入して作ったのが我が国の時計の始まり。
    ちなみにそれを導入した日が6月10日の時の記念日になります。
    後は猫の目の形で時間を知りました(時間の変遷により目の形が変わるから)島津軍が強かった理由は各軍が猫を持ち込み猫の目に合わせて攻撃がスムーズに出来ていたためとも言われます(まあ、あそこはそうでなくても鬼みたいに強いんだけど)

    +22

    -1

  • 265. 匿名 2016/08/17(水) 01:36:06 

    >>138
    あと政治的な理由で将軍の正室は京都の摂関家からもらってくるから、下手に世継ぎを生まれて公家の権力が強くなると困るから、なるべく生んでほしくないというのが本音(ただ箔つけのためには欲しい。)
    江戸幕府は15代続きましたが正室が産んだ将軍は3代将軍家光ただ1人だけでした。

    +37

    -0

  • 266. 匿名 2016/08/17(水) 01:39:24 

    >>257
    私も同感です!!
    ナゼ、祈祷や拷問や人を陥れる事とか、どこの国の歴史でもあるんだろうって。
    笑顔も共通だけど、残念ながら残酷さも共通なのが、人ですかね。。

    +51

    -0

  • 267. 匿名 2016/08/17(水) 01:40:59 

    >>90
    あと白粉塗りたくってて少しでも笑うとヒビ割れ起こしたりして大変だったらしくて、なるべく顔は動かさないようにしていたようです。

    +21

    -1

  • 268. 匿名 2016/08/17(水) 01:49:35 

    人類ができてどんくらいたつのかな?わかんないけど 相当の年数の中 何億何兆の人が生まれた中 こんな便利で何でもある時代に生まれた自分たちってすごい奇跡なんだなって思う笑

    お風呂に毎日入れて綺麗に体を洗えるもの綺麗に頭を洗えるもの、生理用品も充実してて 化粧品や制汗剤などもすぐ買えて、食べ物も充実してる、大体の人は普通に働いてれば 毎日しっかり3食ご飯が食べられ スイーツなども美味しい

    ゲーム、TV、スマホ、洗濯機、冷蔵庫、掃除機、エアコン、電車、車、飛行機何でもある

    本当に素晴らしい時代に生まれてよかった。大昔の人が天国から今を見る事ができたら驚くだろう笑

    まぁ、そんなものはないから不便とかすら感じないのだろうけど。。

    まぁ、snsのトラブルとかは本当にめんどくさいけど 昔の人の不便を思うと この現代に生まれる事ってある意味すごい

    +96

    -2

  • 269. 匿名 2016/08/17(水) 01:57:56 

    >>268
    SNSないかわりに、昔は人と人の繋がりが強いから話の速度が伝わるのが意外と早いうえに延々言われ続けて忘れてくれないから、そう変わらなかったかも。

    +44

    -1

  • 270. 匿名 2016/08/17(水) 01:59:43 

    >>268
    本当にそう思います。
    オリンピックを観ていても、選手の多くが予選から決勝に行っていて、プロのアスリートが世界のなかでも存分に力が発揮できるレベルの練習環境や政治情勢、経済状況が日本は保たれているんだなぁと、しみじみ思います。
    豊かさが全てではありませんが、感謝しないといけないなぁと思います。

    +74

    -0

  • 271. 匿名 2016/08/17(水) 02:04:30 

    >>268
    藤原道長や平清盛も、「こんなに何でも思い通りになる世の中サイコー」って、自分が今生きてる時代こそが最先端だと思っていただろうし、あまり変わらないのかもしれないよ。
    未来の人から見たら、「掃除機でちまちま部屋の埃とってたの?効率悪いなー、ルンバとかw」「ガンの予防接種なかった時代は大変だなぁ」「オゾン層?作ればいいじゃん」なんて時代が来るのかもね。

    +156

    -1

  • 272. 匿名 2016/08/17(水) 02:10:26 

    友達の一族の話。
    千年くらい前に権力争いに負けて、都落ちして数百年間、森の中に隠れすみ、当然存在を知られたくないから近親婚を繰り返して子孫を増やし、もういい加減かつての政敵はいないだろうと表に出てからも、今度は「築き上げた財産を他人にやりたくない」と理由からやはり近親婚を繰り返して、友達の親の代からようやく外部の血を入れ始めた一族がいますが……今考えたら、その一族の遺伝子調べたら純日本人ってこんな感じでござると分かるのではと思ったことがあります。
    あと、友達は近親婚の影響かとある血液の成分が病的に少なく心配した医者に調べられた結果……「数は少ないけれど全く健常者と働きが同じですね。少数精鋭ですね~ハハハハ。」と言われたそうで……近親婚だから、奇形や異常や障害が出る訳じゃないんだなと思いました(一族に障害や異常、奇形の人はいないそうです。あと、羨ましいことに不細工もいません。)
    むしろ外部の血を入れてからの方がアトピーや心疾患など出てきたそうで……どんだけ逞しかったんだと……小一時間。

    +76

    -1

  • 273. 匿名 2016/08/17(水) 02:12:22 

    お風呂のない時代は、エッチの時
    フ○ラやら ク○ニはしてたのかしら?

    汚くても平気で舐めてたのかな?

    +26

    -4

  • 274. 匿名 2016/08/17(水) 02:13:33 

    >>69
    264さんの書かれたとおり、
    中大兄皇子が日時計を中国から輸入して作ったのが我が国の時計の始まりです。

    そして1551年(天文20)宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に機械時計をもたらしました。

    その西洋時計を、日本の時計職人たちは改良に改良を重ね、日本独自の機械時計「和時計」を生み出しました。
    しかし、時計は大名や豪商など一部の特権階級だけのぜいたく品でした。

    時計のない庶民は町中の数箇所に設置された「時の鐘」が鳴らす鐘の音で時間を知りました。
    時の鐘は、まず時間お知らせの事前通知として「捨て鐘」を3つ打って注意を引き、
    それからそれぞれの刻限の数だけ鐘を鳴らしました。
    こうして庶民は町に鳴り響く鐘の音で時間を共有していたのです。
    【写真あり】江戸時代の斬新すぎる時計10個を紹介。時間の数え方も独特だった | 江戸ガイド
    【写真あり】江戸時代の斬新すぎる時計10個を紹介。時間の数え方も独特だった | 江戸ガイドedo-g.com

    1日とは24時間。それが現代人にとっての常識ですが、江戸時代の人は1日のことを「二十六時中」といったのです。江戸時代の時計をまじえながら、今とはまったく異なる江戸の時間の数え方も紹介します。

    +15

    -0

  • 275. 匿名 2016/08/17(水) 02:15:52 

    >>273
    事を致す前に腰湯できれいにしたみたいですよw

    +55

    -0

  • 276. 匿名 2016/08/17(水) 02:17:18 

    >>270
    オリンピックだった忘れましたが……日本が敗戦直後にマラソンに出た日本人選手が足袋を履いて出場して優勝か上位入賞したことがありました。
    広島出身だったことと敗戦直後だったことから各世界メディアがその選手を「アトミックボーイ」と敬意をこめて偉業を称えたそうです。
    それを知った時思ったのが……長距離走っても破れない日本の当時の足袋スゲー&本物の才能に環境と条件ってあんまり関係ないんだなと染々しました。今は置いといて昔の日本人はやはり凄かったんですよ間違いなく。

    +82

    -0

  • 277. 匿名 2016/08/17(水) 02:21:30 

    >>255
    でも山月記で有名な中島敦は、子供の頃から猫と寝ていたけれど喘息悪化して夭逝したので……一概に言えないかも。

    +11

    -2

  • 278. 匿名 2016/08/17(水) 02:21:32 

    >>66
    安楽死もあったようです。うちは古いお寺なのですが、井戸がたくさんあってその水が「死に水」として使われていたと伝わっています。「死に水」は現代では死者の口に水を含ませる「末期の水」として儀式的に行われていますが、昔は違う意味でも使われていたと。(口伝えで伝わっているだけなので断言は出来ませんが)
    イギリスのドラマ「ザ・チューダーズ」でも同じようなシーンがあったので古今東西で行われていたのかなと思います。

    +25

    -1

  • 279. 匿名 2016/08/17(水) 02:24:54 

    ちょんまげの禿げてる部分に、新しく髪の毛生えないのかな。

    +33

    -1

  • 280. 匿名 2016/08/17(水) 02:27:46 

    >>279
    月代(禿げてるというか剃ってる部分)は定期的に手入れ(剃って)してました。

    +44

    -1

  • 281. 匿名 2016/08/17(水) 02:28:47 

    >>279
    もちろん生えてくるので、月代には小まめに剃刀をあてていました。
    時代劇の落ちぶれた浪人は月代にぽつぽつと毛が生えて、だらしなく見えるよう表現されている時があります。

    +28

    -1

  • 282. 匿名 2016/08/17(水) 02:34:16 

    >>274
    264です。補足と解説ありがとうございます!
    ちなみに家康公が愛用していた時計が復元されていて静岡県の久能東照宮の宝物館で見ることができます。動いているので音が聞けたりします。

    日時計は富山県高岡市の高岡万葉歴史館で見ることができます。遣唐使船の復元とかあるので面白いですよ。ちなみに近くの海が本当にキレイです。万葉の歌人の大伴家持の赴任地が現在の高岡市で奈良から随分離れていますが万葉集にもかなり出てきたりして、万葉集の所縁の深い土地でもあり10月には有志ボランティアを募って、当時の装束をきた男女が万葉集全巻にある歌を4日間くらいにわたり諳じるイベントがあります(今上帝、皇后両陛下もご覧になったことがあります)

    +8

    -2

  • 283. 匿名 2016/08/17(水) 02:41:30 

    お歯黒…何なの?

    +11

    -2

  • 284. 匿名 2016/08/17(水) 02:45:26 

    >>283
    虫歯予防とお洒落と結婚してますが何か?というお知らせ。

    +70

    -0

  • 285. 匿名 2016/08/17(水) 02:56:56 

    江戸時代の殺人事件の捜査方法は現代の捜査方法とそんなに変わりがなかった。

    加賀藩(石川県~富山県)では、現在の富山県砺波市で死体が発見された際は、まず加賀藩から役人を呼んで死体を検分してもらい他殺か病死か事故死か判別し、他殺なら聞き込み、傷口から凶器の特定をしていたそうで……やっぱり日本ってすすんでますよね。

    ちなみに、この時代は水泳ができる人が少ないから(水泳できるのは武士か漁師くらい)溺れたらまず助かりませんでした&溺れた人を救ったら間違いなくヒーローだけれど……一発でアイツ絶対余所者か怪しい認定食らったとかなんとか

    +49

    -0

  • 286. 匿名 2016/08/17(水) 02:58:07 

    >>260
    ちなみに江戸時代には入れ歯もあったそうです。

    +25

    -0

  • 287. 匿名 2016/08/17(水) 03:01:51 

    >>263
    駿河大納言は……あれ絶対、家光派に嵌められたような気が今ならします。
    最後は自害したそうですが……相当追い詰められて追い詰められて追い込まれたんだろうなと……。
    元禄事件(赤穂浪士の討ち入り)の時の吉良の孫みたいに。

    +10

    -0

  • 288. 匿名 2016/08/17(水) 03:08:07 

    千利休の茶室や昔の日本家屋見てると断捨離、持たない生活の原点に個人的には思える。

    +49

    -0

  • 289. 匿名 2016/08/17(水) 03:11:10 

    >>287
    やっぱり、そうですよね~
    いくらなんでも祖父である神君家康が定めた狩場を荒らしたり、喪に服す期間中に殺生しまくるとか大袈裟なほど悪として残されてますものね。

    +8

    -2

  • 290. 匿名 2016/08/17(水) 03:22:25 

    このトピ面白い!

    私は小さい頃からずっと、東洋の竜と西洋のドラゴン、こんなにも似ているものがなぜ地球上の異なる地域で言い伝えられてきたのだろうかと思ってました。
    両方とも架空の生物なのにまるで見てきたかのように似てるのは何故?

    +99

    -2

  • 291. 匿名 2016/08/17(水) 03:28:37 

    >>290
    龍もドラゴンも、蛇がモデルとなって想像されたようです。
    蛇は、たくさんの卵を生むことから多産、そして脱皮を繰り返して成長していくさまから生命の神秘があると、昔の人は考えたようです。

    +59

    -1

  • 292. 匿名 2016/08/17(水) 03:32:02 

    >>290
    東洋の龍は神さま、西洋のドラゴンは倒されるべき悪の遣いと、まさに逆なものの象徴とされているのも面白いです。

    +63

    -0

  • 293. 匿名 2016/08/17(水) 03:41:22 

    >>292
    西洋でドラゴンが悪の象徴とされたのは聖書の黙示録にドラゴンと思わしきものが悪魔の使いとして出てくるからではないかと思います。

    +24

    -0

  • 294. 匿名 2016/08/17(水) 03:49:19 

    >>289
    駿河大納言とか、歴史で退場していく人達って割りと悪い人はいなかったんじゃないかと思います。本当に悪い人もいただろうけれど(大量虐殺とか、民族差別排斥は論外)本当にずる賢い人だったら先ず誰かに嵌められるというのはないと思います。相手が警戒するほど優秀で、イイ人だったり 、優しかったり、最後の最後まで相手の良心にかけようとした人達が多かったんじゃないのかなと?甘いといわれたらそれまでですが……それを逆手に取られて滅亡に追い込まれたのかなと。だって今でもイイ人ほど早くに亡くなる、憎い嫌なやつほど長患いしてでもしぶとく生き残るって言いますし……。

    +28

    -1

  • 295. 匿名 2016/08/17(水) 03:50:21 

    平安時代の貴族の高貴なお姫様は立ち上がって歩かなかった。膝をつかってジリジリと移動したそう。


    明治時代になると皇族や、華族などは身体を拭く時上半身用の手ぬぐい、下半身用と分け、お付のものは挨拶の時床に手をついてはいけなかった。(汚らしいとされたから)かなり衛生にはうるさかった模様。

    +26

    -1

  • 296. 匿名 2016/08/17(水) 03:52:43 

    >>293
    大天使ミカエルに踏んづけられている絵がありますね。
    中世の騎士物語でもドラゴン退治は必須事項みたいになっています。
    古代エジプトでは、ファラオを守護するのは火を吹くウラエウス(コブラ)。でも、冥界に下りていった書記の体を食おうとするのは大蛇。
    聖書でもアダムとイブをそそのかして知恵の実を食べさせ、エデンの園追放のきっかけを作ったのは蛇。
    なんだか正義と悪の間を行き来していますね。
    これはやっぱり蛇の毒が、毒にも薬にもなるからそう発想されたのかと思ってしまいます。

    +24

    -0

  • 297. 匿名 2016/08/17(水) 03:59:16 

    >>295
    林真理子の小説「ミカドの女」のなかに、明治天皇に仕える女官が手の位置を上なのか下なのか後輩女官に指導するような場面があった気がします。

    +7

    -0

  • 298. 匿名 2016/08/17(水) 04:05:49 

    元禄事件の吉良、石田三成、平清盛、田沼意次……最近歴史で悪とされていた人物の評価が覆ってきているので、決めつけは良くないんだなと思う。

    +33

    -2

  • 299. 匿名 2016/08/17(水) 04:09:26 

    >>296
    基本的に悪とされる蛇ですが聖書には「蛇のように用心深く聡くありなさい」という記述もあるので、ある意味蛇は一目置かれていたのかもしれません。あの小さい脳ミソで人間ふたり嵌めた挙げ句に神様をマジギレさせましたからね。
    脳ミソって大きさじゃなくて使いようなんだなと。

    +28

    -1

  • 300. 匿名 2016/08/17(水) 04:13:38 

    >>277
    「アレルギー」の適当な日本語が未だにないところを見ると、昔はアレルギーは病気だと思ってなかったんじゃない?
    そば食べて死んじゃっても食当たりだと判断されたり、花粉症もなんだあいつは毎年春に鼻風邪引きやがってしょうのねえ奴だ、てな感じで。
    血液検査なんてなかったもの。

    +63

    -1

  • 301. 匿名 2016/08/17(水) 04:18:41 

    夏だし、時間も時間なので……。

    地獄があったとして、その地獄(日本)に落ちる基準の話。

    人は死後、十王と閻魔大王の裁きを経て極楽、地獄、あるいは転生(人生やり直し)と振り分けられるらしい。

    ある人の前世がどうも戦国時代の武士らしく、今生と合わせると人間の転生は2回目らしい。
    戦国時代の武士なら最低1人くらいは殺していてもおかしくないから、絶対地獄行きだろうと思われたが……人間に転生出来たことから、単に人を殺しただけでは地獄に落ちないらしいということが分かったが……地獄に落ちた人間はどれだけ悪いことをしたんだろうと、この話を聞いて青ざめてしまう。

    +18

    -2

  • 302. 匿名 2016/08/17(水) 06:23:07 

    お盆で、あの世からこっちに来る時は急ぐからキュウリの馬で、この世からあの世に戻るときはゆっくりでいいからナスの牛とか誰が考えたんだろう…
    ちょっと和む。

    +109

    -1

  • 303. 匿名 2016/08/17(水) 06:29:53 

    そんなに昔ってわけじゃないけど、むかしは授乳するときには乳を露わにして行なう人がけっこういたね。バスとかの乗り物のなかでも。

    +27

    -2

  • 304. 匿名 2016/08/17(水) 06:39:56 

    >>302
    きゅうりは、平安時代は体を冷やすから食べてはいけない、貴族たちからは下品な食べ物としてみなされていたそうです。
    確かに体は冷やすだろうけど、瓜と同じだろうと思ってしまう。

    +39

    -0

  • 305. 匿名 2016/08/17(水) 06:46:44 

    >>301
    お盆は「地獄の釜の蓋も開く」ので、あの世とこの世の垣根が低くなるとか。だからお盆休みは海や川遊びはしない方がいい、向こうに引っ張られると、私の田舎ではよく言われます。
    また、お盆中は、先生も休みで少ないし、なにより不吉だからと病院によくみえる、お年寄りの数が、ぐっと減ります。
    文化として、お盆が日本人のなかに、しっかり根付いてると思える話です。

    +68

    -0

  • 306. 匿名 2016/08/17(水) 06:51:51 

    いくら肉食わなかったからって、臭かったとは思うが、自分も他人も臭いのが当たり前なんだから、そういうもんだと思ってスルーだったんじゃないの?

    +28

    -1

  • 307. 匿名 2016/08/17(水) 06:54:31 

    >>303
    食糧事情や短い子ども時代を惜しむためか、戦前まで6歳~7歳になっても、お乳を飲む子どもがいたそうです。小学校から帰ってきて、お母さんにひっつくのは、異常でもなく、ただの甘えん坊として片付けられたそうです。
    そのくせ12~13歳で働きはじめる子も多かった時代だと考えると、親と一緒にいられる幼年時代は、瞬きするほど短くて、だからこそ、しっかり甘えさせたのかもしれません。

    +93

    -2

  • 308. 匿名 2016/08/17(水) 06:59:03 

    平安時代の実態は興味深いですね。
    どこでもドアがあったら平安時代の都に行ってこの目で見て鼻で嗅いでみたい。

    貴族は、お香を焚きしめて、垢は白粉とほの暗さでごまかしたのでは?
    文の香りがずっと残るという事は、パフュームぶっかけレベルの相当の濃厚さとみた。

    江戸時代の大名のお姫様でも今の基準でいったらかなり臭うレベルじゃないかなぁ。頭痒くても簪でかくしかないし。
    絹の着物なんてそうそう洗わない。

    でも、もっと時代が下っても、フランスじゃベルサイユ宮殿のそこかしこにウ○コ、道を歩けば窓から糞尿投棄の有り様だったことを思えば清潔だよね。

    +76

    -2

  • 309. 匿名 2016/08/17(水) 07:07:17 

    人種的に、もともと西洋人ほどは臭くないんじゃないかな?

    西洋人の香水はもう実用品といって良いくらいだったし、それを求めて他の土地へ航海したくらいだから。

    +36

    -3

  • 310. 匿名 2016/08/17(水) 07:08:35 

    >>306
    そういうもんだと思っていたことでしょう。現代流に言うと、鼻が多少バカになっていたのかも。
    前述されている方もおりましたが、その人の体臭と焚き染められた香がセックスアピールになっていたと思います。が、それでも日本人は水や緑が豊富なためか、綺麗好きです。
    16世紀までのヨーロッパでは、お湯につかる、水浴するのは、万病のもと、水は体に悪いと考えられていました。なので、数年単位で風呂に入らない王族もいたそうです。中世の黒死病(ペスト)が蔓延した原因が、当時流行っていた温泉や風呂屋だとされて、そこから水=体に害をなすと、考えられたそうです。

    +42

    -1

  • 311. 匿名 2016/08/17(水) 07:12:17 

    >>308
    平安貴族でも、あまりに香を焚き染めすぎていると、「ちょっと、あの人焚き染めすぎ」「歩いてくるだけでわかるじゃん(笑)」みたいに、からかわれていたとか。
    何事も過ぎたるは及ばざるが如しです。

    +74

    -0

  • 312. 匿名 2016/08/17(水) 07:23:18 

    >>311
    やっぱりやりすぎは野暮なんですね。

    現代でもバブルの頃、もう本人はとうの昔にどっか行ってるのに「あ、あの人ここ通ったんだな」って分かる人いました。
    だいたい男性で。
    皇太子様の御成婚の頃に流行ったラルフ・ローレンのコロンもとんでもなく香りが拡散するやつで、電車やレストランの中でものすごい存在感だった。

    +31

    -2

  • 313. 匿名 2016/08/17(水) 08:17:30 

    着物はともかく甲冑相当臭かったろうなと剣道部の前を通りながら考えた。

    +70

    -0

  • 314. 匿名 2016/08/17(水) 08:59:29 

    洗濯機もなきゃろくな洗剤もない、扇風機すらない時代だからね。いくら都市化温暖化する前だって言ったって、京都が盆地じゃなかったわけじゃないし。

    +31

    -0

  • 315. 匿名 2016/08/17(水) 09:35:46 

    日本はお香を焚いて誤魔化す
    マリーアントワネットが香水で誤魔化すように

    +8

    -2

  • 316. 匿名 2016/08/17(水) 09:43:16 

    昔の日本髪って毛が多くないと結えないよね。
    私は薄毛の猫っ毛だから絶対ムリだわ。現代に生まれて良かった。

    +29

    -2

  • 317. 匿名 2016/08/17(水) 10:09:09 

    昔の人がめちゃめちゃ髪多かったわけではなく、アレはカモジというのを入れて膨らませてるんです。

    +42

    -0

  • 318. 匿名 2016/08/17(水) 10:15:16 

    >>313
    臭かったと思います。なにしろ長時間来て、汗は吸うし、血糊や何やらもかかるでしょうし。
    でも、合戦で打ち合った時に鎧や兜の一部分がすぐに壊れて千切れたりもしたので、合戦が終わる度に修理を繰り返して新しくする部分もあったので、意外と現代よりは臭いが抑えられていたかもしれません。
    余裕がある武将は、鎧兜を納めておく厨子に脱臭効果のある樟脳を入れて、保管していたそうです。樟やヨモギが脱臭効果があるのを随分昔から知っている点がすごいなと思います。

    +37

    -2

  • 319. 匿名 2016/08/17(水) 10:23:19 

    >>314
    洗剤として灰を使っていたそうです。確かに消臭効果は炭と並んであるので、少しは効果があったと考えられます。
    貴族は冬の間に作らせておいた氷を藁に包んで、都に取り寄せて、涼をとったり、かき氷にして食べていたそうです。
    夏の京都は暑く、衛生状態も悪化するので、そのため度々、疫(えやみ)、伝染病が流行りました。
    当時、病は、この世のものではない存在である妖怪がもたらすと信じられていたので、真夏に妖怪が闊歩する時期を百鬼夜行と称して怖れたそうです。

    +32

    -2

  • 320. 匿名 2016/08/17(水) 10:25:52 

    >>317
    かもじは、海藻や人毛から作られました。
    確か枕草子に、わざとらしいほどのかもじは、滑稽で興醒めするみたいな記述があったと思います。

    +30

    -1

  • 321. 匿名 2016/08/17(水) 10:36:28 

    >>290
    私もドラゴンとか神様とか、似たような架空の生き物とかが世界各国に必ずあるのが、いつも興味深かったです!特に神様って仏様やキリスト様とか有名な神様じゃなくても、どの時代にもその国や地域で信じられてきた「神様」っていますし。

    +21

    -1

  • 322. 匿名 2016/08/17(水) 10:48:51 

    >>180
    平安時代の貴族はめちゃくちゃ不潔だったと思うよ。
    垢を取ると毛穴から邪気が入るって信じられてて身体を滅多に洗わなかった。
    だから臭い消しのためにお香を焚いていた。
    ちなみに優雅な貴族とはいえど、偏った食事だったうえに、女性は少食が良い(上品?)とされていたため、酷く栄養失調だったらしい。ふくよかな顔も実は栄養失調による浮腫みだったとか。
    平安時代にやたら平均寿命が低かったのは、極度の不潔、栄養失調、運動不足が招いたものだったかも。
    一転して江戸時代は大衆浴場があったから、清潔だったかもね。

    +38

    -1

  • 323. 匿名 2016/08/17(水) 11:00:26 

    >>321
    その土地で熱心に信仰されていた土着の神様が、後から入ってきたキリスト教や仏教のなかに組み込まれていくのも、そうすることによって親しみを感じてもらい、教えに帰依してもらうための方法のようにも感じるし、また今までの神様を信じたい民意みたいなものを感じます。
    黒いマリア像は、古代エジプトの女神イシスやヒッタイトの女神イシュタルなどの流れを汲んで作られたという話もあります。多神教を否定しながらも古代の大地母神に聖母マリアを重ねるあたりは、それまでの文化を完全に否定することが不可能だと示している例だとも思えます。

    +8

    -1

  • 324. 匿名 2016/08/17(水) 11:04:31 

    ドラゴン退治とかの伝説が世界各国あるように、人間が元々持っているイメージや概念(敵を退治する強いヒーロー、生命を産む女性の神秘性・豊穣母神など)は共通性があるんだって!
    神話は世界共通!面白いよね~。

    これを心理学の側面から発見して研究したのが心理学者で精神科医のユングです。

    ちなみに、日本では柳田邦男って人が民俗学の分野で、昔話・民話などを研究してたけど、
    それも人間の心理が浮き彫りになってて面白くも切ない物語が多い。

    妖怪や狐憑きなんてのも、優しいんだよね。

    誰かが精神錯乱や引きこもり、普通じゃない状態になった場合。
    「あの人は変人だ」「頭がおかしい」とか、その人自身の責任にするわけでなく、

    「妖怪の仕業だ」「狐に憑かれたせいだ」
    というんだって。

    +47

    -1

  • 325. 匿名 2016/08/17(水) 11:16:13 

    >>323
    詳しく説明して頂きありがとうございます(^_^)!参考になりました!

    +1

    -0

  • 326. 匿名 2016/08/17(水) 11:41:30 

    日本人で1番最初に写真に写った人は誰なんだろう。あるならその写真も見たい

    +5

    -1

  • 327. 匿名 2016/08/17(水) 11:47:43 

    将来うんと医療が発達したら、未来人はこんな風に思うのかなー。

    平成って時代は、特効薬も老化防止薬もなかったもんで、寝たきりの高齢者がたくさん病院にいたらしいよ、って。

    +43

    -1

  • 328. 匿名 2016/08/17(水) 11:49:07 

    >>326
    写真は魂を抜かれる、と思われてたから、最初に写った人は勇気ありますよね。

    +17

    -0

  • 329. 匿名 2016/08/17(水) 11:51:53 

    マイナスかもだけど、昔から体でも心でも障害を持って生まれた人はいるよね?
    そういう人達はどういう扱い受けてたのだろう。

    間違ってたらごめんだけど、なにかの本で妖怪は障害を持った人達を神として信仰したもの(?)が多いみたいに書いてあった記憶あって。

    例えば一つ目小僧は、もののけ姫にも出てくるたたらを踏んでた人達がたたらを踏み続けると片目を失う事が多くてその人たちをあらわしてるとか。

    詳しい人いたら教えてください。

    +26

    -2

  • 330. 匿名 2016/08/17(水) 12:16:20 

    >>326
    あれ?坂本龍馬じゃなかったっけ?

    +4

    -5

  • 331. 匿名 2016/08/17(水) 12:25:54 

    >>329
    わかりやすい奇形だと取り上げた産婆がすぐ殺して母親には死産でしたと伝える事もあった。
    盲目とかだとお寺。
    もののけ姫で出てきたハンセン病患者なんかもお寺で保護したりしてた。
    精神異常だと裕福な家だと座敷牢。
    船が難破しないための生き神みたいな感じで船に乗せたりもした。

    +46

    -1

  • 332. 匿名 2016/08/17(水) 12:25:56 

    >>226
    平安時代にはいたよね
    枕草子だったかに天皇の飼い猫「命婦のおとど」のはなしがあった
    官位がないと宮中にはおられないから
    三位というくらいをもらってたんだよね

    +15

    -0

  • 333. 匿名 2016/08/17(水) 12:26:32 

    >>329

    最近の話だと、インドとかの辺りで6本指の子供がいて、神の使い?神に選ばれた子供みたいに神聖に捉えられてたと思う。

    もっと昔だと、おそらく記録に残されてないのかなぁ?

    日本の昔話で、寝てばっかりの息子が、最終的に活躍して幸せになったっていうのがあった気がする(うる覚えですが;)

    どんな人でも役に立つんですよという教訓なのかもね。

    大学教授とかなら、民俗学でピンポイントでそういうの調べてる人いそうだよね。

    +21

    -3

  • 334. 匿名 2016/08/17(水) 12:31:43 

    >>329
    聖と俗のあいだにいた存在と考えられると思います。
    心身障害者は、民間信仰として神さまに近い存在として口寄せの巫女など神と人間の間を取り次ぐ存在として扱われた歴史もあります。
    が、それと同時に見世物として蛇娘(足が不自由だった場合)と扱われたり、琵琶や三味線など旅芸人として何とか食べていったようです。
    江戸時代になると盲人者の互助組織として按摩や鍼灸、琵琶法師などを統括する「座」が誕生したりしました。これは幕府の命令によるもので少しでも盲人者の経済的自立をさせたい狙いがあったようです。(映画「座頭市」の座は、ここからです)
    ハンセン病は、知識がない時代だったので、感染の危険と病状の進行が進むと面相が崩れたりするので独自のコミュニティを山間部に築いたり、家族が存在を隠したりした時代もありました。これは心の障害も同じです。
    もののけ姫に出てくる顔に包帯を巻いている人々は、セリフのなかに「業病」「エボシさまは腐ったわれらの肉に触れて包帯を巻いてくださった」などの部分からハンセン病ではないかと推察されます。
    弱者として虐げられもし、また常人とは違うからこそ違う世界が見える者として畏怖された存在だったのではないでしょうか。

    +32

    -0

  • 335. 匿名 2016/08/17(水) 12:35:34 

    >>329 いつの時代かはわからないけど、どこかに隔離されてたって聞いたことあります…。

    私も質問です!日本人と外国の方が一番最初に結婚したのいつ頃か気になります!

    +14

    -0

  • 336. 匿名 2016/08/17(水) 12:36:58 

    >>333
    多指奇形は、神の使いとしても差別の対象としても扱われる面がある。
    前田利家の証言として豊臣秀吉も指が1本多かったけれど、頑として本人は隠していたとか。真実はわかりませんが、一応、そんな話もあります。

    +21

    -0

  • 337. 匿名 2016/08/17(水) 12:40:11 

    羅生門 に、死体から髪の毛を抜いて集める婆さんが出てくるが、カモジをつくるためだったってことか。

    +38

    -0

  • 338. 匿名 2016/08/17(水) 12:46:43 

    >>335
    明治時代になると、隔離は、政府によって推進されます。
    療養させるという名目ですが、実際は健常者と引き離す、または隠す要素も強いように感じます。
    心の障害の場合は、家族が富裕であれば座敷牢のような形で家の奥に閉じ込めることが認められました。
    苛烈を極めたのは、ハンセン病患者が出た場合です。
    保健所から白装束の消毒隊が来て、家中を消毒してまわるので近所一帯に患者が出た家だとわかってしまったとか。そうすると、嫁いでいた娘が離縁されることもあったそうです。
    施設に入れられた患者は、家の戸籍から名前を抜かれ、別の名前を名乗り、お墓も施設内のものに入らせられました。家族のもとに帰ることは許されず、また強制的に断種手術が行われ、子供が産めないようにさせられました。これが法律として認められていたのですから怖い話です。
    ドラマや映画になった「砂の器」は、ハンセン病差別について取り上げた作品でもあります。

    +20

    -0

  • 339. 匿名 2016/08/17(水) 12:49:01 

    >>337
    そうです、そうです。
    フランス革命の時もギロチンのそばに編み物をするおばちゃんたちが座り込んで、貴族の首が斬られると、奪うように髪をとっていったそうです。残虐極まりない話ですが。

    +23

    -2

  • 340. 匿名 2016/08/17(水) 12:52:58 

    最初じゃなさそうだけど家茂と和宮さんはお互いの写真持ってたような…ドラマの脚色かもしれんが。

    +4

    -0

  • 341. 匿名 2016/08/17(水) 12:55:30 

    >>335
    少なくとも聖徳太子より少し前の時代には、渡来人が多く日本に入ってきているので、大陸出身者と日本の豪族の娘が結婚することはあったと思います。蘇我馬子など蘇我氏も渡来人だと言われています。
    室町時代も交易を通じて、九州などでは国際結婚があったようです。
    江戸時代初期に幕府に重用されたアダム・スミスは領地と一緒に日本人の妻をもらったそうです。ただ、一方でキリスト教禁教令と鎖国が本格化して南蛮人とのあいだに生まれた子供は差別されたり、強制的にマニラ(フィリピン)に送られたそうです。
    江戸末期になるとシーボルトの現地妻、お滝さんが有名です。そう考えると、どのあたりが国際結婚の最初か見定めるのは、少し難しい気がします。すみません、答えになってなくて。

    +23

    -0

  • 342. 匿名 2016/08/17(水) 13:04:28 

    >>329
    たたらは炉の温度管理が重要で、温度が低すぎると純度が下がり、高すぎると炉が爆発する。だから温度計のない昔は職人たちが片目で火の色を見ながら火力の調整をしていた。その結果、歳をとると利き目はほとんど失明かそれに近い状態になった。

    そういった人達への敬意や畏怖といった感情が一体化することで一つ目小僧という妖怪が生まれたと考えられます。
    片目という神聖さ、異形への恐れ+外の技術である製鉄を行うよくわからない不思議な人たちであること。さらにいえば、たたら従事者が住んでいる山や森は境界線の向こう側であり妖怪がたくさん住んでいると考えられていた事もあります。

    +26

    -0

  • 343. 匿名 2016/08/17(水) 13:05:23 

    皆さんのコメントが詳しく&分かりやすくて、本当にためになります♩
    雑学って楽しい*\(^o^)/*

    +48

    -0

  • 344. 匿名 2016/08/17(水) 13:12:25 

    カモジは、量を多くみせるためだけじゃなく、平安時代の絵にあるような長い髪だと、先まで全部自毛ってわけじゃない。足してた。

    +12

    -0

  • 345. 匿名 2016/08/17(水) 13:15:21 

    昔のお店に置いてある福助は確かそういった方だったような…

    +8

    -0

  • 346. 匿名 2016/08/17(水) 13:27:05 

    >>326
    現存している写真では、

    田中光儀。1854年。
     丁度ペリー最来航の時なので、
    同行の外国人写真家が風景や人物を撮ってますから、おそなく名も無き庶民が風景として撮られてるのが最初かも知れませんが。
    現存する日本最古の写真は? : 学びの森
    現存する日本最古の写真は? : 学びの森manabinomo.exblog.jp

    松前町所蔵の「松前藩主席応接使 松前勘解由」、函館市所蔵の「松前藩士 石塚官蔵と従者像」、個人所蔵の「藩士 遠藤又左衛門」が外国人が撮影した現存する日本最...


    +11

    -0

  • 347. 匿名 2016/08/17(水) 13:29:09 

    >>329

    福助人形も身体障害者の人がモデルという説が有力。今で言う水頭症だったのではないかと。
    ただ、愛らしい性格で周りから愛されて社会全体が今より細かい事を気にしない寛容な時代だったのかも。もちろん見世物にされて酷い扱いを受けた人もいるだろうけど


    ↓↓↓
    佐太郎は、成人してからも身長が二尺(約60cm)ほどしかなく、頭が大きかったそうです。
    その姿から、見世物(みせもの・普段見られない珍しい物や品をみせる場所)に出たところ、江戸で大評判となり、佐太郎という名前から福助という名前に変えると、名前が福々しくて縁起が良いとますます評判になりました。

    見世物の見物人の中にいた武士の子どもが「福助を遊び相手にしてほしい」とせがみ、福助はその武士に召し抱えられました。その後、武士の家は幸運が続き、福助はとても大事にされ、武士の世話で結婚もしました。
    結婚後、福助は自分の容姿を模した像を作り売りに出し、福助の死後、流行したそうです。

    +39

    -0

  • 348. 匿名 2016/08/17(水) 13:39:11 

    >>303

    現代はおっぱい信仰だけど、昔は胸はそれほど性的な象徴じゃなかったのよ。

    足とかお尻のほうがエロいの。

    +15

    -0

  • 349. 匿名 2016/08/17(水) 13:55:36 

    知的障害者の方や身体障害の方もいたと思うけどどうしてたんだろう。

    +3

    -1

  • 350. 匿名 2016/08/17(水) 14:05:00 

    >>348
    貧乳で足とケツが汚い私の需要は何時代ですか?(笑)
    未来かな(笑)

    +18

    -0

  • 351. 匿名 2016/08/17(水) 14:06:08 

    韓国の方では、
    日本で言う『飛鳥時代』はナニ時代って言うんですか??

    +3

    -4

  • 352. 匿名 2016/08/17(水) 14:10:01 

    >>350
    先カンブリア紀くらいじゃない??
    時代を超越してんじゃん!!!

    .
    素朴な疑問(大昔編)

    +11

    -3

  • 353. 匿名 2016/08/17(水) 14:13:01 

    >>351
    高句麗、百済(伽耶)、新羅が存在した時代なので三国時代と、世界史の授業で習った記憶があります。

    +6

    -0

  • 354. 匿名 2016/08/17(水) 14:17:11 

    335です!
    >>341さん
    >>338さん
    詳しく教えてくださりありがとうございます!歴史好きなので詳しい話を聞くと嬉しくなります!!



    +3

    -0

  • 355. 匿名 2016/08/17(水) 15:16:54 

    卑弥呼の墓探しは、皇室の御陵を暴き破壊し、失墜させる為の戦後の教育の最大で壮大な嘘。中国と反左翼日と手柄を得たい考古学者が結託している。邪馬台国なるものは中国に朝貢してた一地方豪族にすぎない。金印は中国の王から与えられるもの。邪馬台国が日本(倭国)を纏めてたなら、日本の始まりが中国の属国であったという意味になる。
    同じように、近年聖徳太子が実在しなかった、という流れは有名な『日出ずる処の天子』云々で、聖徳太子が日本は中国と対等の立場を取ると初めて明確な立場を表明し中国に恥をかかせた皇族だから。亡きものにしたい工作。

    +21

    -1

  • 356. 匿名 2016/08/17(水) 15:19:32 

    >>319
    枚方の山の中に「氷室」って地名がありますけど.......
    枚方は奈良と大阪と京都の中間で、淀川にも近く、交通の要衝。(大阪府内でも一、ニを争う、暑い町です)

    +7

    -0

  • 357. 匿名 2016/08/17(水) 15:23:15 

    洗い張りの手間を考えたら、そんなに頻繁に洗ってたとも思えないしな。
    庶民なんて着たきり雀だったんじゃないの?
    エアコンないし、アルミサッシじゃないし、何やるのも人力、肉体労働だから汗かくし、アスファルトじゃないから埃っぽい。
    昔の日本が綺麗だったってのは、あくまでヨーロッパがもっと酷かったって話で、現代の私たちが見てもってわけではない。

    +24

    -0

  • 358. 匿名 2016/08/17(水) 15:33:33 

    平安・鎌倉初期は、ちょうど地球全体は寒冷期に突入中。
    栄養状況や衛生観念が欠如していたのもありますが、寒冷期なのもあって人々もかなり小柄です。
    天を衝く大男、田村麻呂は180㎝ぐらいだったらしいです。

    +14

    -0

  • 359. 匿名 2016/08/17(水) 15:39:09 

    >>356
    氷室という地名のとおり氷を製氷し保存する場所だったと考えられると思います。

    +11

    -0

  • 360. 匿名 2016/08/17(水) 16:35:01 

    >>335
    公式記録では日本初の国際結婚は明治時代で商家の娘であるアオヤマミツコとヨーロッパのオーストリア貴族との結婚が最初とされます。

    今イギリス離脱で話題のEUの基礎理論を提唱したのがふたりの間に出来た息子と言われています。そのためEUも日本とは経済以外でも所縁が深いのです。

    +14

    -0

  • 361. 匿名 2016/08/17(水) 16:39:53 

    写真が出てきたので……写真は入ってきた頃から撮影代が高価で戦後まで庶民の手に届くものではありませんでした。

    なので戦後、一般的に普及する前にそれ以前の写真がアルバム数冊くらいあったりすると、その家は相当裕福であるとされお金持ちの指標とされていました。

    +15

    -1

  • 362. 匿名 2016/08/17(水) 16:44:33 

    >>359
    江戸時代に氷献上で有名な加賀藩(石川県~富山県)では今の湯涌温泉に氷室があり、今も冬には氷室に氷を貯蔵し、江戸に献上するために出発した6月30日には毎年氷室開きを行い氷を出す儀式があります。
    今は単なる儀式ですので、氷室開きは神主さんがしますが、かき氷や素麺にお茶席などが無料で設けられ、ちょっとしたお祭りになっています。

    そして最近、その湯涌の近くで加賀藩の製糸場が発見され現在、鋭意調査中です。新幹線だけじゃない石川県。

    +19

    -0

  • 363. 匿名 2016/08/17(水) 16:57:18 

    >>206
    加賀の一向一揆で一揆側の武将、鈴木出羽守の遺児である娘の二曲姫も敵将の佐久間氏に父出羽守亡き後に手厚く保護されていたので、高貴だったり血筋が良ければそう悲惨な目には遭わないのかも。庶民は餌食になったでしょうが。

    +7

    -0

  • 364. 匿名 2016/08/17(水) 16:59:38 

    生まれ変わりがあるとしたら、あと何回くらい地球に生まれて生を受けなきゃいけないんだろう。
    お釈迦様クラスのレベルになるまで? あと何万回生まれ変わっても無理そうなんですけど。

    +9

    -0

  • 365. 匿名 2016/08/17(水) 17:10:05 

    >>364
    宝石に例えたら、原石から研磨して光輝く宝石になれたらもう研磨の必要がないから転生終了→極楽へ。

    研磨の間に割れたり、売り物にならなかったり、見込みないと研磨中断されたら→地獄へ。

    研磨し続けて、「どんなもんでしゃろか?」『まだ研磨必要ちゃうん?』となったら→一応転生へ。

    かなと?かなり乱暴な答えですが。
    クドカン映画の割にはヒットしているTYTDは7回までらしいですけど。

    ただ地獄に落ちても懲役を勤めあげれば転生出来ますが……1番短いので懲役9000万年らしいので転生させる気ないだろう&転生出来るだけ凄い話なのかもしれません。
    たまに自分より明らかに若いのに妙に人間出来てたり、落ち着いてたりする人は転生数回繰り返してるのかもしれません。もしくは自分より明らかに年取ってるのにどうしょうもなく子供っぽい人は初人生なのかもしれません。

    +11

    -1

  • 366. 匿名 2016/08/17(水) 17:17:32 

    転生が出てきたから……転生否定で有名なキリスト教ですが最初は転生あるよとキリストも言っていたのに、今でこそ聖書は1冊の量になっていますが……昔はかなり膨大な量があり、これは多すぎてアカンと思ったのか当時の聖職者が「これは必要」「これは不要」と聖書に必要、不要箇所を決めて編纂する出来事がありまして、今の1冊の形になりました。
    キリストや神の言葉を、聖職者が不要、必要としたがために聖書に矛盾する箇所が出るのでは……。
    その前に勝手にそんなことするなんて……コイツらこそ地獄行きではと思ってしまいます。編纂から外された箇所は聖書外伝として残ってますので、聖書に矛盾を感じたら、それも合わせて読むと意外と意味が通じるかもしれません。

    +13

    -0

  • 367. 匿名 2016/08/17(水) 17:26:20 

    >>366
    イエスの弟子が書いたと言われている新約聖書のマタイやヨハネの黙示録など、相当、自由に書かれているなぁと思う。
    でも、物語として楽しめるのは旧約聖書でした。中高がカトリックだったので、倫理の時間に新約聖書のことに触れられていても、ついつい旧約聖書の方を読んでしまっていた思い出があります。
    死海文書とか…どうなんだろう。

    +8

    -0

  • 368. 匿名 2016/08/17(水) 17:47:01 

    >>334
    もののけ姫の鉄砲衆はハンセン病がモデルで間違いないです。宮崎監督が実際ハンセン病施設でそう説明されていたので……昔はハンセン病は天刑病と言われて、天罰や前世の罪業からくるものや遺伝子からくると思われており、身内にハンセン病が出ると風評被害を恐れた身内に隔離されたり山に棄てられたり、近世ではハンセン病収容施設に預けたあと、籍を抜くなとが頻繁に行われていました。
    山に良く出ると言われた、一本足や妖怪の類いは棄てられても生き残ろうとした、その人達の成れの果てなのかもしれません。

    ハンセン病に関しては20年前まで差別が根強く残ってましたし……。

    +21

    -0

  • 369. 匿名 2016/08/17(水) 17:59:37 

    >>368
    確か2000年代に入ってもハンセン病だった方が温泉に入ろうとしたらホテル側から断られたみたいな話があり、ものすごい時代錯誤だなと思ったことがありました。

    +18

    -0

  • 370. 匿名 2016/08/17(水) 18:10:39 

    >>360
    クーデンホーフ・カレルギー伯爵夫人ミツコだったかと思います。
    昔、母から借りたマンガ「レディ・ミツコ」を思い出しました。
    現地妻ではなく正式な伯爵夫人。しかも夫は早死にしてしまい、一人、残された子どもを領地経営をしながら育てたそうです。帝国主義、白人至上主義のなか、すごい人です。
    確か香水の名前にも「ミツコ」ってつけているブランドがあった気がします。

    +20

    -0

  • 371. 匿名 2016/08/17(水) 18:23:00 

    >>370
    その反面、子供との折り合いが悪く、特にEUの基礎理論提唱した息子とは嫁が気に入らないからという理由でほぼ絶縁でした。
    ミツコもヨーロッパにきた当初はかなり商家で庶民の出を差別されて苦労した筈なのに……。
    最期はひっそり寂しく生涯を閉じたようです。

    +12

    -0

  • 372. 匿名 2016/08/17(水) 18:26:15 

    >>357
    だから庶民は褌一丁で力仕事してたのかも……事業の絵巻見ると大体褌一丁だから。

    +9

    -0

  • 373. 匿名 2016/08/17(水) 18:38:12 

    >>371
    確かお嫁さんがユダヤ系の女優さんかなにかで身分違いだとミツコは思っていたとか…。
    自分も身分違いだったから苦労するのが目に見えているとか思ってしまったのかな。

    +14

    -0

  • 374. 匿名 2016/08/17(水) 18:40:16 

    >>372
    江戸時代になって庶民にまで綿素材が流通するまでの間は、特にそうだったのではないかと思います。

    +7

    -0

  • 375. 匿名 2016/08/17(水) 18:52:04 

    >>373
    自分も卑しい身分扱いされて、子供はそうならないように教育してきたはずが、つれてきた嫁が卑しい身分で絶望したんでしょうね。

    社交界で「やっぱり半分卑しい身分の血が入ると同じような人選ぶのね……。」みたいに陰口が延々叩かれるのがわかっていたんでしょうね。社交界の陰口は凄いから。

    +18

    -0

  • 376. 匿名 2016/08/17(水) 18:53:18 

    >>373
    結局、息子の方は勘当したらしいです。よほど許せなかったんでしょう。

    +10

    -1

  • 377. 匿名 2016/08/17(水) 18:59:05 

    >>375
    その息子が民族や国籍を越えたEU共同体の提唱者…なにか意味深い感じがしますね。

    +14

    -0

  • 378. 匿名 2016/08/17(水) 19:06:29 

    >>368
    爆笑問題がやっている「探検!バク問」の再放送でハンセン病療養施設の回を見ました。
    やっぱり少し異様だなと思ったのは、お寺、カトリック、プロテスタントなど宗教施設が立ち並んでいる景色でした。
    故郷にも帰れず、先祖代々のお墓にも入れない。せめて宗教ぐらいは個人の信じているもので葬ってあげたいとの思いだったようですが、隣同士に宗教施設が並んでいる様子は不思議な感じがしました。
    こういう歴史があったことは、必ず引き継いでいかないといけないと思います。

    別件ですが、1995年まで北海道のアイヌ民族に関する法律の名前が「旧土人保護法」という名前だったのを年表で発見して、ビビりました。土人て…。

    +14

    -0

  • 379. 匿名 2016/08/17(水) 19:42:15 

    >>377
    ミツコ達の生きていた時代はヨーロッパでは貴族が貴族らしい生活を送れた最後の時代にあたりますから……貴族という身分がなきあとは貴族たちは母はどうやって生活したらよいのか……特に息子はミツコの苦労を間近でみてますから……もしかしたら母をもう終わるだろう貴族社会の呪縛から解放したいという思いもあり提唱したのがEU基礎理論なら……すごく悲しいすれ違いですよね。
    母は貴族社会の裏表を知り尽くしたから息子に貴族としての生き方を願った。
    息子は貴族社会の終焉が見えたから、母を貴族社会の呪縛から解放したかった。貴族として生きなくてももっと自由な生き方はいくらでもあるのだと教えたかった。

    +14

    -0

  • 380. 匿名 2016/08/17(水) 19:47:20 

    >>378
    土人って先住民の意味もありますが……いい言葉ではないですよね。

    +12

    -0

  • 381. 匿名 2016/08/17(水) 19:56:08 

    GUERLAINE MITSUKO
    有田焼の限定ボトル、かわいいなー
    素朴な疑問(大昔編)

    +20

    -0

  • 382. 匿名 2016/08/17(水) 21:09:30 

    雑穀とか歯ごたえのあるものをしがしが噛んで食べてたし、糖質のものを食べる機会がないとそんなに虫歯にならない気がする
    木の枝みたいなもので綺麗にしてたのかも

    +10

    -1

  • 383. 匿名 2016/08/17(水) 21:16:30 

    >>360

    普通に遣唐使の記録に中国の方と結婚した話がありますよ
    きちんと文献に載ってるものでも、明治よりもっともっと昔にあるはずです

    +7

    -0

  • 384. 匿名 2016/08/17(水) 22:34:53 

    >>383
    ハッキリ国家として世界に認識された時代が明治からなので、正式に国として国際結婚と認められたのは明治時代からとなります。
    またきちんと、お互いの国で婚姻関係があると公認されている法律上認められている、一夫一妻制における婚姻という条件を満たさないと結婚とは認められていない部分がありました。
    有名なシーボルトとお滝さんの場合は、悪く言えば現地妻だったので本人たちの認識はさておき両国が認めた結婚の定義には当てはまらないため国際結婚ではないということになります。(ちなみに怪談で有名な小泉八雲ことラフガディオ・ハーンも国際結婚という定義には当てはまらないようです。)
    仰るように、それ以前も外国人と結婚した方はいらっしゃいますが、上記の意味では国際結婚とは認められていないのかもしれません。
    昔は一夫多妻などありましたし、嫁いだ側にはそのつもりはなくても、正妻ではなく側室や妾としての立場で貰われた場合もありますので。
    日本で有名なのが、朝鮮の役の時に朝鮮人を側室として連れ帰ったのが伊達政宗です。

    +10

    -0

  • 385. 匿名 2016/08/17(水) 22:43:35 

    初代征夷大将軍坂上田村麻呂は渡来系だったらしいと何かで読んだが。だからでかいのか?

    +4

    -0

  • 386. 匿名 2016/08/17(水) 22:45:03 

    >>382
    竹を細かくさいて櫛みたいにした物で歯の汚れを取っていたようです。ちなみに歯みがき粉は塩。

    +7

    -0

  • 387. 匿名 2016/08/17(水) 23:01:26 

    >>385
    今でこそ征夷大将軍はそれなりの地位と認識されましたが……田村麻呂の時代の征夷大将軍は

    征→征伐

    夷→朝廷に仇なす大和民族以外の民族(蝦夷等)

    つまりは朝廷が直接手を汚さないで、敵を退けるために用いた武力集団のトップという意味ですから身分は正直な話、下の下です。
    なので、大和民族に制圧された渡来人の末裔や大和民族以外の民族だった可能性もあるとは思います。

    その証拠に田村麻呂は悪路王討伐の最中に、悪路王の妻だった鈴鹿御前に惚れられて夫婦の契りを結んで子まで成します。
    当時の朝敵とされた悪路王や鈴鹿御前は鬼とされていたので鬼=渡来人、外国人の可能性が高く、そんな特殊な民族の女性しかも敵の妻と契れたわけですから、田村麻呂自身も近しい民族の出身だったから偏見がなかったのではないかと思われます。

    結果、鈴鹿御前を得た田村麻呂は悪路王討伐に成功します。

    また、田村麻呂以降の武士は「北面」の武士とされ貴族の用心棒的な立場でしたが

    この「北面」とは北=鬼門=朝廷に仇なすものとなり、貴族や朝廷の防波堤であり直接手を下す汚れ役のため身分は低く

    平安末期に北面の武士であった平清盛が出現し、清盛が大政大臣(関白の下で朝廷では天皇を除けば二番目に偉い)に登り詰め、一門も公卿に、また娘の徳子が平家の血を引く東宮、天皇を生むという非常事態を引き起こし、武士の地位が向上し、武士の世に移行していきます。

    +10

    -1

  • 388. 匿名 2016/08/17(水) 23:03:28 

    良トピですね!
    一日かけて読みふけってしまいました。

    私が前々から疑問なのは一夫多妻制と一夫一婦制です。

    お偉いさんたちは側室を抱える一夫多妻制が長く続いたようですが、庶民はどうだったのか?
    普通に考えて側室を持つ余裕はないから、基本は平安の昔から一夫一婦制、もしくは多夫多妻制(厳密に結婚というルールがない)だったんでしょうか?

    そして一夫多妻制で余った裕福な男性は主に寺に入ってそうですが、庶民の余り者は男性女性どちらが多く、どう過ごしてたのか?

    +5

    -0

  • 389. 匿名 2016/08/17(水) 23:17:47 

    >>388

    平安時代は庶民も通い婚で、嫁さんの家に世話をしてもらって、通わなくなったら離婚みたいなユルいスタイルだったようです。

    まだ貴族は正室は自分の家に住まわせていたので、そこはきちんとしていたのかも。

    源氏物語で源氏が批判されない理由としては、四人の妻を住まわせるために屋敷を建てたり(しかも妻達、一人一人に一つの屋敷を与えて、四つの屋敷をくつつけ、それぞれの屋敷を春夏秋冬に例えた大変華やかなもの)、最期まで何だかんだで面倒見てたからなんです。

    蜉蝣日記とか見てもらえば分かるんですが、通わなくなった夫への不満や無責任さに対する批判が凄いですから。

    江戸時代、町人文化が花開いた元禄時代などは井原西鶴の「好色一代男」で分かるように、裕福な商家の旦那さんたちはお妾さんを別宅に囲い、庶民や農家では一夫一妻のような感じだったようです。

    また、江戸時代の江戸は男性が余っていたようで、嫁取りが中々大変だったようです。
    あぶれた男同士が一緒に暮らしていた(恋愛関係あったかは不明)なんてこともあったようです。





    +12

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  • 390. 匿名 2016/08/17(水) 23:46:44 

    >>329
    日本の障害者の歴史
    ※長いのでわけます

    ①奈良時代
    奈良に都を移した天皇家は、唐を手本に中央集権の国家を創ろうとします。その時の法律に障害者対策が明示されています。

    人数割りで分けた土地から納めさせる米や麦を、障害者がいる場合にはその障害者の障害度によって減らしたのです。
    このような障害者への減免措置が法律に明示してあるのは、この時の他には現代(太平洋戦争以後)まで無かったことと思われます。
    それだけ税の取り立てがきびしかった表われでもありましょうが障害者を1人の立派な公民として扱い、しかも障害度に応じて対応していることは確かなのです。

    この奈良時代の天皇家のスターとして、光明皇后の名があげられます。
    この光明皇后が貧しいハンセン氏病患者の看病をした話が伝えられています。
    ハンセン氏病はこの頃すでに現われていて、障害者で明らかに歴史に現れてきているのは盲人とハンセン氏病者だと言えるでしょう。

    +14

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  • 391. 匿名 2016/08/18(木) 00:04:17 

    ②平安時代
    平安時代は京都が都となり、貴族の時代になります。優美で典型的であることが重んじられた貴族の生活では障害者は好まれなかったと思われます。

    都の西の嵯峨に昼も帳(絹のカーテン)をおろして住んでいる者がいたという話が残っています。都を離れ郊外の別荘で暮らすのが貴族の障害者たちの姿だったのかもしれません。

    また、南の郊外の岩倉には心の病いの姫君が浴びた滝というのがあります。
    この噂が広まり滝参りをする者が増えたのですが、すぐに治る人ばかりではなく近所の農家にあずけられる子供もいました。
    こうしたケースが発展して貴族の精神病児が農家の養子となることがよく行なわれるようになります。

    貴族としては滞在費などの面倒が軽くなり、農家としては土地争いなどが起きた時に守って貰えるという双方のメリットがあったのです。
    あずけられる子や精神障害者にとっても、田園生活に移ることで今でいう開放療法の効果を得られたことでしょう。

    江戸時代の俳人与謝蕪村の俳句に、“岩倉の狂女恋せよほととぎす”というのがあるのもこれと関係あるのでしょうが、岩倉という土地と精神障害者との深い関係はつい最近まで続いていたのです。

    +15

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  • 392. 匿名 2016/08/18(木) 00:06:27 

    トピ主です!
    残念ながら、こんなに皆さんがコメント下さってるのにランキングから外されちゃいましたが(>_<)、最初の方からずっと読ませて頂いてて本当に参考になるものばかりです。とても嬉しい初トピ採用でした。ありがとうございます!!!管理人さん。ランキング復活してくれないかな…笑

    +16

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  • 393. 匿名 2016/08/18(木) 00:12:30 

    >>384


    335の方の質問は単に、 >日本人と外国の方が一番最初に結婚したのいつ頃か、 ということですので、「正式に国として国際結婚と認められること」に限定して書かれているわけではありませんので、近現代における国家の概念や日本の法的な結婚の概念に限定した理解ではなく、歴史的及び文化的に「一番最初に外国に方と結婚した」で十分だと思いますよ


    +8

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  • 394. 匿名 2016/08/18(木) 00:14:07 

    >>389
    江戸時代の江戸は、参勤交代で国許を離れている武士、商家に仕える奉公人や職人など、とにかく男余りでした。
    そのため色子宿も多く、遊廓でも一晩遊女を貸し切りにするのは大金が必要で、遊女は一晩で数人相手をしなければいけなかったそうです。(もちろん遊廓の格や、遊女の位によって変わると思いますが)
    反対に、寺社が多い、京の都は、女余りでした。
    そのため遊女も江戸のように「廻し」をする習慣はなく一晩につき一人ないし二人が通常だったようです。
    東海道中膝栗毛の北さんとやじさんも、ただの仲良しだけでなく昔は念弟として契っていた仲だったとか…婚姻に関係ないネタばかり、すみません。
    平和だと地域差はあるとはいえ、男余り。
    戦国や近代の戦争する時期は、産めよ増やせよの号令をされても、とにかく男が戦争で死ぬので、女余り。
    あと、衛生状態と医療を考えれば、出産で命を落としたり、乳幼児の死亡率も高かった時代であればあるほど、権力者は一夫多妻にして、自分の血統を残そうとしたと考えられます。
    長々、失礼しました。

    +11

    -1

  • 395. 匿名 2016/08/18(木) 00:24:26 

    >>388
    通い婚で複数の妻や腹違いの兄弟がいるのが当たり前の環境で少年期を過ごした源頼朝、
    一夫一妻が常の下級武士の娘として育った北条政子ですが、後年、政子は頼朝の浮気にぶちギレて、浮気相手が匿われていた屋敷を打ち壊すなど悋気を爆発させています。が、都で少年期を過ごした頼朝には、どうして浮気一つで政子がこんなに怒るのか、なかなか理解できなかった節があるようです。
    平安末期から鎌倉初期の結婚の形態が変化する時期ならではの解釈だと思います。

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  • 396. 匿名 2016/08/18(木) 00:24:51 

    >>393
    一理ありますが……公的に認められたのは明治時代からですし、「国際結婚」という言葉が出てきたのもその頃からですし、それ以前の昔は「国際結婚」の概念事態がなかったわけですから。
    きちんとした線引きがあるなら、そちらに従った方が良いと思われます。
    昔だと裏付けも曖昧になりますから、きちんとした裏付けが取れる「国際結婚」という意味で覚えておいても良いんではないかと思われます。

    +2

    -2

  • 397. 匿名 2016/08/18(木) 00:30:04 

    >>395
    後、政子の家はそんなに裕福でも身分も高くないから一夫一妻みたいな環境だっただけで、頼朝の行動が理解できないのと身分が高い女性が正妻になるルールがありましたから、万が一頼朝が自分より身分が高い女性に手をつけて子供まで産まれた日には……自分の立場がない。やっと身分が高い男を手に入れたのに意味がない!と戦々恐々な日々を過ごしていたんでしょうね(多分)

    屋敷を取り壊しは、やりすぎですが……周囲への牽制にはなったかなと……あそこに関わるとヤバイみたいな(笑)

    +9

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  • 398. 匿名 2016/08/18(木) 00:31:07 

    >>394
    やっぱり弥次喜多はデキてたんだ!
    何か怪しい節はあったけど……腑に落ちたわ。

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  • 399. 匿名 2016/08/18(木) 00:32:55 

    >>367
    気になりますよね。最近はユダの福音書が出てきたので……。

    +4

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  • 400. 匿名 2016/08/18(木) 00:34:36 

    >>398
    宮藤官九郎の映画でも、そんな風に描いてあって笑ってしまった思い出があります。

    +8

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  • 401. 匿名 2016/08/18(木) 00:38:33 

    >>400
    あれ、マンガの実写化らしいですよ。
    ふざけてんのかな?と思いましたが……正しい解釈だったんですね(笑)
    劇中の故勘三郎さんの「昼でもアーサー(朝)」は未だに覚えてます。息子の七之助くんがよほど可愛いんだろうなと……個人的には当時は(次期人間国宝がいいんかい……そんな役で……)と思いましたが。

    +5

    -0

  • 402. 匿名 2016/08/18(木) 00:40:13 

    >>397
    政子の命じるままに屋敷を壊した武士は、髻を頼朝に切られたそうです。
    これは、当時としては死ぬほど恥ずかしいことだったそうですが…夫婦喧嘩に巻き込まれて不憫としか言い様がありません。

    政子が浮気を怖れていた理由。よくわかりました。ありがとうございます。

    +12

    -0

  • 403. 匿名 2016/08/18(木) 00:42:14 

    >>396
    国際結婚という言葉ができたかどうかと文化的な意味で歴史的に外国の方と結婚したかどうかは別ですよ
    例えば日本史の研究課題に「平安時代の結婚研究」の分野があるように、現代の社会制度とは無関係に結婚という文化的な営みは存在してるとみなされて歴史研究があり、近代的な法制度沿った意味で外国の方との結婚について質問されてるのではないと思いますよ

    +3

    -2

  • 404. 匿名 2016/08/18(木) 00:42:47 

    >>401
    ええ、ほんと。ちゃんとそういう感じで原作も書いてあって、ただの仲良しじゃないんかい!と(笑)

    +3

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  • 405. 匿名 2016/08/18(木) 00:44:17 

    >>389
    >>394
    >>395
    丁寧な回答、ありがとうございます!

    やっぱり一夫多妻制は多くの妻を囲える者の特権(時に義務)だったんですね~!
    昔は避妊も出来ないから、側室を囲うのも今の不倫よりずっと大変だったろうな…。

    平安や江戸、そして現代は男余りの時代なんですね!
    ふと思ったのですが、太平の世で人口が爆発的に増えると困るから、本能的に出生率は低下するのかもしれませんね。

    お偉いさんも時代や階級で常識が変化していくんですね。
    政子のエピソードは有名ですが、常識の違う頼朝にとってはホラーだったかもしれませんね。

    たくさんの面白いエピソードをありがとうございました!

    +9

    -0

  • 406. 匿名 2016/08/18(木) 00:46:17 

    >>402
    いえいえ。こちらもまさかの政子ネタ楽しかったです(*´ω`*)
    あと頼朝は本当は政子をブッ叩きたかったらしいですが……やっぱり政子が怖いのと周りに止められて(「政子様を叩いたら余計ややこしくなります!命じれたけれどやったのは私なんで!私に罰を!」と打ち壊した下人自ら進み出た話もあります)髷切りで手打ちにしたもようで……諸説ありますが……髷切りした下人には頼朝がコッソリ謝ったという話もあります。どんだけ恐かったんだ政子(笑)

    +12

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  • 407. 匿名 2016/08/18(木) 00:51:50 

    ハーゲンダッツ食べてたから、アイスクリームが日本にきたのは明治で、庶民の食べ物として定着したのが大正、初めてアイスクリームを食べたのが江戸時代に日米通商条約の関係でアメリカにわたった日本人の面々で感想は「大変美味しい」とのこと。

    ハーゲンダッツはアメリカ生まれですが、デンマークの移民の夫婦が始めたもので、ハーゲンダッツのロゴはデンマークの国の形ににているそうです。

    現代に生まれて良かったのがハーゲンダッツいつでも食べられる事かなと個人的に(笑)

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  • 408. 匿名 2016/08/18(木) 00:52:25 

    >>399
    たくさんの秘密をバチカンは隠していそうですが、内容開示を楽しみに待とうと思います。
    胡散臭いけれど、ファティマの予言書もラストのは嘘くさいなぁと思ったりしています。

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  • 409. 匿名 2016/08/18(木) 00:58:56 

    >>403
    歴史的、文化的なという意味なら公文書に残されているものを採用するのがセオリーですよ。
    昔なんて、こちらは結婚したつもりでも実際は奴隷扱いだったり、騙されて売り飛ばされたりとか、結婚の概念も定まってませんからね。
    まあまあ諸説ありということで。
    せっかくユルくいい感じに語り合うトピなんで止めませんか?
    自分の意見に賛同させるための討論の場ではありませんから。

    +7

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  • 410. 匿名 2016/08/18(木) 01:05:27 

    >>408
    クリスチャンですが全て嘘臭い、胡散臭く感じます(笑)
    バチカンは本当に大事な宝物や文書は絶対開示しない、見せないらしいので…開示する、できるものはたいした内容ではないのだろうと。
    マザー・テレサの聖女認定から十数年しか経ってないのに色々出てきてますからね……キナ臭い話。
    こういうの見ると「人ではなく神を見なさい」という意味がなんとく分かります(笑)

    +11

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  • 411. 匿名 2016/08/18(木) 01:16:05 

    >>410
    わかります、その感じ。
    私も気持ち的にはカトリックだからこそ嘘くさいなぁ~でも、それと信心は別だと思っています。

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  • 412. 匿名 2016/08/18(木) 01:16:23 

    昔の見合い……江戸時代にはかなり優秀な見合いシステムが確立していて……年頃になると親と子供の意見を聞きつつ、優秀な近所の遣り手婆辺りが、花見や祭りにかこつけて、お互い条件のあった男女をさも偶然のように出会わせていた。
    お互い「私達、恋愛結婚ね!フフッ」と思っているのは本人たちだけで、ほぼ仕組まれた出会わせ見合い結婚が殆どだった。

    武士は家柄の釣り合いや上役との関係で、ほぼ強制結婚。初夜にマトモに相手の顔を見ることが殆どで(あ、結構可愛い(格好いい)ラッキー)と思えれば、まあまあ良縁だったみたいです。

    +17

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  • 413. 匿名 2016/08/18(木) 01:21:06 

    >>412
    戦前の中国や台湾では、一家の女性たちのもとを出入りする宝石商のおばちゃんたちが仲人さんをよくしていたそうです。
    様々な家を出入りするので、どんな家かわかるし古くからの付き合いがあるから、なかなか良いマッチングができたそうです。
    もちろん産まれた時から婚約者みたいなケースもかなりあったみたいですが。

    +7

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  • 414. 匿名 2016/08/18(木) 01:21:51 

    >>411
    戦国時代の細川ガラシャの自害が実はイエズス会がガラシャの死をセンセーショナルにすることにより更なる信者獲得を狙い、本当は逃げることが出来たガラシャを、イエズス会の息がかかった細川家家老の小笠原に討たせて、バレないようにご丁寧に細川邸を爆破させた話を聞いて……やり方えげつないなぁと。

    だって聖書に「信仰のために死んだ人は天の国に迎えられる」とはあっても「信仰のために死ね」「信仰のために人を殺せ」とは書いてませんからね。信者獲得のためなら信者すら嵌めるイエズス会……エゲツナイ……絶対地獄行きだと思われます。

    +7

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  • 415. 匿名 2016/08/18(木) 01:27:41 

    >>413
    その方が離婚率低そうですよね。台湾にもあったんですね。
    宝石と言えば、中国では正妻には翡翠を贈り、愛人や妾にはダイヤモンドを贈ったそうです。
    翡翠は五徳を含んだ不思議で高貴な石であり、家内をまとめる女主人が持つに相応しい正妻の証だったためとのこと。

    あと冠婚葬祭にパールが用いられるようになったのはイギリスの高貴な身分の女性が葬儀でパールを身に付け、それに貴族たちが倣ったためと言われます。

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  • 416. 匿名 2016/08/18(木) 01:28:37 

    >>409
    >歴史的、文化的なという意味なら公文書に残されているものを採用するのがセオリーですよ

    そういった考え方は歴史や文化研究に関してはまったく当てはまらないのですので、そういったセオリーはないです…
    歴史の研究では詩や手紙、さらに史跡物など、様々なものから社会的な関係性を探ります

    ゆるくいい感じ?議論することはいいことですので、「国とは」「結婚とは」ということについて、書かれているような近現代の社会制度と概念に沿うことのみを外国人との結婚という意見が正しいと思えないですので意見は書きます
    議論に興味が無い方に誰も強制的に答えさすことはできませんので、もちろん勝手に議論から抜けることも、こちらの意見に黙っていることもできますよ

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  • 417. 匿名 2016/08/18(木) 01:29:38 

    >>414
    イエズス会が、そもそも宣教に来たのも、というか修道会の発足理由も、プロテスタントに押されたカトリック勢力を東洋で広げたかったわけですから、その点から、すでに危ない感じしかしません(笑)
    イエズス会とドミニコ会は長い歴史がある分、薄暗さも半端ない気がします。

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  • 418. 匿名 2016/08/18(木) 01:36:23 

    >>415
    翡翠など玉は、やはり古来から特別扱いだったようですね。
    イスラム圏でも翡翠の緑は、神の恩寵を示す意味があるそうです。転じて、エメラルドがオスマン帝国皇帝の額飾りや短剣の飾りにあしらわれたそうです。
    日本は、宝石が産出しないせいか、こういう話は無いような気がします…佐渡の金山ぐらいしか出てこない…。

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  • 419. 匿名 2016/08/18(木) 01:36:26 

    >>318
    あと、直接血をあびるのは足軽や雑兵など下位の武士や農民で、戦が終われば比較的無傷で血を流していない遺体から新しい鎧を頂いたので使い捨てな側面もあったのかなと?

    上位でも、何故か大将なのに先陣きって先頭に駆けていく伊井直政や本多忠勝あたりは凄そうですが……(忠勝は平服と見間違うくらいの軽装で、直政は厳重に着こんで何故かボロボロになって帰ってきて家康に権現印の手製軟膏を塗り塗りしてもらっていたから……相当凄そうです臭いが)

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  • 420. 匿名 2016/08/18(木) 01:41:01 

    >>419
    伊井も本多も熱血漢なイメージが強いですよねぇ。
    伊井さんの関ヶ原合戦時に福島正則を出し抜いて家康の息子に先陣を取らせたのは、すごいなぁと思う。あの福島正則を騙すとか、怖そうだなぁと。

    +5

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  • 421. 匿名 2016/08/18(木) 01:43:03 

    >>418
    日本も新潟の糸魚川の翡翠とか(今は出てませんが)、瑪瑙とか、長野県だと黒曜石の産地として有名ですよ。いかにも宝石って感じではないので存在は薄いですが(笑)
    私も先日、諏訪大社に行くまでは黒曜石の産地として長野県が有名なの知りませんでしたから。
    諏訪大社の下社(秋の宮)の宝物館正面に大きな黒曜石が展示してあります。
    あと、大河ドラマ風林火山関係の武田信玄を演じた現猿之助さんの直筆色紙とか(滅茶苦茶達筆)

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  • 422. 匿名 2016/08/18(木) 01:44:28 

    >>420
    福島さん「ふざけんな!コノヤロウ!」って慌てて駆けていったらしいです(笑)東軍足並み揃わない(笑)

    +5

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  • 423. 匿名 2016/08/18(木) 01:48:13 

    >>417
    ですよね。そもそもなんで宗教改革起こされたか原因はアナタ達にありますよね?みたいな。
    そこで反省すれば良かったのに、反省、内部改革しないで、イエズス会から見たら最果ての地の日本で一般人にまで軽く言いくるめられる始末……お粗末すぎます!
    クリスチャンですが殉教だけはしたくないです絶対に。

    +6

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  • 424. 匿名 2016/08/18(木) 01:49:12 

    >>418
    緑って昔から、やっぱり特別なんですね。

    +6

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  • 425. 匿名 2016/08/18(木) 01:51:18 

    >>422
    そうそう、このバラバラ感で勝利したところが後世の人間からすれば楽しいです。
    関ヶ原合戦時の毛利さん家も個人的に好きです。「これから弁当食べるので退きません!」とか、合戦時に言える吉川広家の神経…。

    +6

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  • 426. 匿名 2016/08/18(木) 02:12:52 

    >>425
    ※関ヶ原に来てるんだが、毛利が弁当喰うから動かない件について


    ●その時の両軍の反応「何しに来たんだ!毛利!」

    ●現在の反応「関ヶ原に弁当だけ喰いに来たのか!毛利!」


    名目は西軍の総大将は毛利なので。総大将がこんなんじゃ勝てる訳がない。

    その頃の島津

    島津義弘「兵も300人になりもうしたし……そろそろ家康の鼻先ば掠めて薩摩に帰りもんそか」

    島津豊久「ついでに大坂に寄って人質になっておる女子衆も連れ帰りましょう!」

    ※家康の鼻先掠めて戦線離脱し、襲い来る落武者狩り平らげ、大坂に寄って妻子取り返し薩摩に帰還。何だかんだ家康を遠回しに脅してお家存続。
    だが、家康の島津存続の判断が260年後に徳川慶喜をマジ泣きさせることになる。
    薩摩にロックオンされたら何100年かかろうが必ず滅ぼされる(恐)
    ちなみに、昭和天皇の皇后である香淳皇后の実家は島津。徳川……現在一般人。
    島津恐るべし!

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  • 427. 匿名 2016/08/18(木) 02:13:46 

    >>421
    古代史に出てきた、糸魚川の翡翠!
    失念していました。日本国内のあちこちから出土していて、当時の交易が広く行われていた証とか。
    黒曜石の槍も確か出土していたんだっけ。
    諏訪大社、一度、行ってみたいものです。
    長野でしたら戸隠神社も古代神話の息吹きが感じられる場所でした。いっぱい歩いたけど。

    +7

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  • 428. 匿名 2016/08/18(木) 02:20:48 

    >>427
    分かります。長野の史跡や寺社仏閣ってやたら距離ありますよね。中とかも広いし。
    諏訪大社……死ぬかと思いました。
    小諸になりますが、今話題の真田丸のこれから出てくるだろう上田合戦の徳川方の居城になる小諸城(懐古園)とか3時間歩いて漸く一周り出来ました。

    +7

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  • 429. 匿名 2016/08/18(木) 02:27:09 

    >>426
    ありがとうございます!
    ここに養子の小早川秀秋くんが裏切らなくて家康に大筒撃ち込まれるとか…距離は離れていても関ヶ原での毛利一族のそれぞれの思惑と行動は、かなりばっらばらで、大変そうです、だから江戸時代も生き残れたとも言えますが…。

    秀吉の甥で、あまり出来のよろしくない秀秋を最初は毛利本家の後継ぎにしようと秀吉は考えていましたが、本家に息子が誕生したからと、素早く自分の家の養子に迎えた、小早川隆景(毛利元就の三男)は、かなりの慧眼の持ち主だったと思う。

    +7

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  • 430. 匿名 2016/08/18(木) 02:29:52 

    >>416
    別のトピ立ててしてくれません?
    横から失礼ですが、貴女の場合、自分の意見否定されたからしつこく食い下がってるようにしか見えないです。そもそも結婚って概念は近代まで統一感がないわけですし、日本でも外国人との初の国際結婚はミツコさんたちが初と言われているんだから、それはそれとして他の方みたいに「そうなんですね。そんなこともあるんですね。」で済ませられませんか?気がつきません?こうやって何回も主張することで空気悪くしていることに。

    +9

    -3

  • 431. 匿名 2016/08/18(木) 02:41:33 

    >>429

    小早川隆景はかなり優秀だったようですね。
    おまけに美形だったとか!毛利は元就の3人の息子たちは皆美形で、男色が原因で奥さんに離縁された大友さんにもかなり気に入られ人質時代も厚遇されたらしいです(それを見越して人質に出したんだろうな……元就……恐ろしいパパ!)

    秀秋も悪い子ではないんですが、寧々の血縁だから、なかなか子ができない秀吉たちの跡継ぎにと思って引き取ってみたものの二転三転、色んなところにタライ回しにされて……最後は精神病んで亡くなったそうですが……基本的に線が神経が細いのに心労重なるところに追いやられて……大谷刑部からは「3年内に祟り殺してくれるわ!」って呪いの言葉までかけられて……。
    どっかデカイ寺の住職に据えるか公家に養子に出せば良かったのかなと。
    ちなみに、元就の長男の隆元が好きです。

    +7

    -1

  • 432. 匿名 2016/08/18(木) 02:43:06 

    >>425
    腹が減っては戦は出来ぬって言葉ありますもんね(笑)

    +5

    -0

  • 433. 匿名 2016/08/18(木) 02:52:39 

    >>430
    逆もまたしかりです
    430さんの意見を否定されたから食い下がってるのですか?議論に興味がないなら抜けるの自由ですよと書きましたし、もし空気が悪いと感じておられるなら「そうなんですね。そんなこともあるんですね。」とおっしゃることもできますよ
    自分は議論は議論として冷静に捉えていますので、むしろただただ「反論してくるな」「別のトピたてろ」と支配的におっしゃる方が空気悪くするんじゃないかと思うのですが…
    特に空気悪く思ってる方が多くいらっしゃらるとは思いませんので、430さん自身が気分悪く感じておられるのでしょうから、前に書いたようにイヤなのであれば無理に答える必要はないですよ

    +2

    -8

  • 434. 匿名 2016/08/18(木) 03:19:51 

    >>433
    トピのタイトル読みましょうね。430さんではありませんが……私も貴女が空気悪くしてると思います。だからトピを別に立てられて、「外国人と日本人の初の結婚はいつか?」を納得いくまで語り合ったら如何ですか?と言われているんだと思いますよ。申し訳ないけれどいい加減にしてほしいです。せっかくの良トピだったのに。

    +10

    -1

  • 435. 匿名 2016/08/18(木) 03:34:14 

    >>434

    こちらの意見に賛同されてる方もおられますので、こちらの回答を楽しく読んでおられる方もいらっしゃいますから、冷静に意見がかわせない方、嫌なのにスルーできない方はせっかくのトピの空気悪くしてると思いますのでただのバッシングはおやめください
    トピにあるように歴史についての疑問への回答を書いています

    あ、430でお書きになった内容に対する意見ですが、

    >そもそも結婚って概念は近代まで統一感がないわけですし

    つまり結婚という概念は幅のある捉え方ができるということです

    前の方の335さんが聞かれた、単に日本人がはじめての外国人と結婚した時期についての質問に対し、結婚と国の概念を近現代の社会制度に沿った考え方でのみ限定的に捉える、という考えは幅のある質問に対しては暴論だなとも思いましたので
    質問されている方が近代国家の制度内で結婚の意味を限定して質問されているわけで無い限りは、ということです

    念押ししますが、もし反論が嫌であればスルーしていただいてまったく問題ありませんので

    +2

    -7

  • 436. 匿名 2016/08/18(木) 08:28:09 

    >>329
    妖怪と言えば、座敷わらしも障害を持った子どもの事ではないかと言われています。

    「この子が障害を持って生まれてきたのは、この家や村に降りかかるはずだった災いを一身に引き受けて身代わりになってくれたためだと考えた。だから家や村をあげて大切にした。それが座敷わらしだ。」
     
    あるいは

    「障害のある子どもを育てるために、家族が団結して一生懸命働けば、生活は豊かになるし家庭も円満になる。そこから障害児=座敷わらしとなった。」

    というものです。

    「福子の思想」(ふくごのしそう)というそうですが、これには異論も出されているます。ですが少なくとも江戸時代の日本に、「福子」という概念が存在したことは確かです。

    +6

    -0

  • 437. 匿名 2016/08/18(木) 08:38:53 

    >>391
    京都の岩倉で瀧を浴びたと伝えられる心の病をもった姫とは、後三条天皇の皇女佳子の事ですね。

    「髪乱し、衣裂き、帳に隠れてもの言わず」という状態であったのを、霊告によって大雲寺に籠もらせ「岩倉の滝」に打たれ、「閼伽井の水」(あかいの水)を飲んだことで平癒したと伝えられています。

    それが噂になって、奇跡を願い岩倉詣でをする貴族が増えたそうです。

    これが次第に有名になっていき、江戸時代には四軒以上の「茶屋」(障害者とその家族のために寝床と食事を提供する宿泊施設) があったことが確認されています。

    地域も受け入れて、明治初期にはその収容能力の限界を超えるほどの患者を抱えることになりました。
    岩倉はヨーロッパでも「日本のゲール」(ゲールはベルギーにある精神病治療で有名な街)と紹介されています。

    +6

    -0

  • 438. 匿名 2016/08/18(木) 11:24:48 

    大正時代、こそらへんの道端で障害者の少女が売春しているのを見た男性がショックを受け、社会福祉家への道を歩んだ…という記事を、数年前に日経か読売新聞で読んだんだけどどなたか覚えていませんか?


    それくらい、障害者の人権とか福祉なんてものは昭和30年代くらいまではなかったのでは…。

    +4

    -0

  • 439. 匿名 2016/08/18(木) 11:58:17 

    近代でも、田舎ではまだまだ影の部分が多かったようだよね。
    栃木県の私の亡くなった祖父母(明治末期生まれ)の話では、裕福な家庭には一人くらい「福の神さん」と呼ばれる障害者がいて、大事にされていたそう。


    昭和初期の恐慌の頃には、裕福な商家だった祖父母の家には東北から人買いが本当に少年数人を売りに来たって。
    労働力として何人か買っても、すぐに逃亡してしまうが、一人だけ残った少年の「○○兄ちゃん」に、お嬢さんだった祖母は毎日おんぶされて小学校へ行き、歩いた事がなかったとかよく話していた。

    +8

    -0

  • 440. 匿名 2016/08/18(木) 14:21:13 

    >>435
    435さんこそスルーできないの?昨日見つけて楽しく読んでたけど、何人からも注意されているのに粘着質ですね。
    時代劇で「アナタお国(出身)は?」と言われているみたいに、昔は場所や土地が離れているだけで同じ国内でも、外国みたいな概念があった時代もあるから、正確に外国人と結婚したというなら、やはり明治なんですよ。
    別に外国人と日本人の結婚はいつが初になるのか質問したのは435さんではなくて別の方なんでしょ?その方が「そうじゃないんです」となるなら分かるけど、そうでないなら、いつまでも自分の主張を繰り返すだけの435さんの方が「暴論」ですよ。
    ここまでは、良いトピだっただけに残念です。

    +1

    -0

  • 441. 匿名 2016/08/18(木) 14:31:50 

    >>439
    逃亡して何処に行くんでしょうね?実家には帰れないだろうし。帰っても良心的な親なら売った先に連れ戻すのかな。
    帰る途中で騙されて、また売られたりするのかな?

    +6

    -0

  • 442. 匿名 2016/08/18(木) 14:52:43 

    >>438
    福祉という概念は無かったかもしれませんが、幕末の加賀藩に小野さんという方がいて、その当時加賀藩には大きな亀に銭を当てると福が来るという習慣があったらしく、亀の横で飢えている人がいるのに見向きもされず、人々が一心不乱に銭を当てる様子に絶望した小野さん(当時少年)が「自分はああならない。」と決意して、私財を投じて障害者数名を住まわせたことが、我が国初の福祉の先駆け言われて教科書に載ってます。(個人的には奈良時代にも、江戸時代にもお救い小屋はあったから……そちらが先では?と思いますが……。何かしら定義があるのでしょうね。きっと)

    悪法として勇名な生類憐令でも、実は動物だけでなく弱者保護精神の側面もあるので、ボンヤリとした保護はあったのかもです。

    障害者の件なら、このトピでも丁寧に書いてくださっているものがありますからご参考に。

    社会的地位は、全盲の方はマッサージや楽器の奏者になったりして、特に秀でた人は、京都銘菓おなじみのオタベ(八ツ橋)で有名な八ツ橋検校も
    全盲でしたが奏者として秀でていたので地位や認知度は高いと思われます。この方が献上したことからオタベは八ツ橋と言われるようになりました。

    ノーベル作家の大江健三郎さんの息子さんで指揮者の光さんも障害者ですが、父親の大江健三郎さんが才能を見いだして訓練したところ、凄く正確な指揮をなさるようになったみたいです。(常人では聞き取れない少しの音ズレでも分かるみたいです。すごいですよね)

    +5

    -0

  • 443. 匿名 2016/08/18(木) 15:26:45 

    >>431
    毛利元就の三人の息子は、みんな各々、優秀ですよね。しかも有名な三人は、全員、正室が産んでいるのも当時の結婚を考えれば、すごいことだと思います。
    最も彼らが産まれた段階では、毛利氏は、まだ安芸の国の国人衆の顔役になってきたぐらいですから、自分たちがここまで大大名になるとは少年期の段階では思っていなかったかもしれませんね。
    長男の隆元ですら周防・長門の大内氏に行儀見習いという名で人質に出されていますし。
    三男の隆景は、幼少期から小早川家の分家に養子に入ったり、人質に出されたり、それなりに苦労というか気を遣う環境にいたから賢い人になったのかもしれませんね。秀吉が、天下を狙える人材として本来、陪臣である隆景を買っているところが面白いと思います。

    秀秋も含め、秀吉周辺の親族の不幸さは顕著な気がしてなりません。
    秀次→切腹、秀勝→朝鮮出兵時に病没、秀秋→畳のうえで死ねたけど最後まで裏切者呼ばわりはされていたわけだし…恨みで人が死ぬかはさておき、大谷刑部の恨みは、かなり骨髄に徹していたでしょう。
    なにしろ家康に急かされて、ようやく秀秋が東軍に寝返った直後に襲ったのが、大谷氏の軍勢だったそうですから…。こいつさえいなければ勝ててたと、大谷刑部が考えるのは無理からぬことでしょう。
    大谷刑部の首って、結局、見つかったのでしょうか?
    ハンセン病の症状が進んでいて、この面相を敵方に首として晒すのは忍びないから切腹したらすぐに首を落として隠してくれと、最後に部下に命じたところまでは知っているのですが…。

    +3

    -0

  • 444. 匿名 2016/08/18(木) 15:34:47 

    >>432
    西軍の対象だった毛利輝元に対して、同じ一族の吉川氏は家康側の東軍に内通しており、弁当を食べるのはあくまでもポーズというか、そうすることによって自分たちの後ろの控えている西軍を通さないためだったらしいです。
    というか、もともと毛利本家は別として、毛利一族は関ケ原も含め天下に興味を持つべきではないと考えていたようです。これは毛利元就が天下取りなんて、ゆめゆめ狙っちゃいけない!うちは所詮、成り上がりだから!と、書状に残すなど、繰り返し言い含めていた影響のようです。
    あと、吉川氏は、秀吉の中国攻めの際に自分たち直属の部下を落城させられ、切腹させられていたので、もともと豊臣家には思うところがあったのかもしれません。

    +0

    -0

  • 445. 匿名 2016/08/18(木) 15:37:31 

    >>438
    仰るとおり、無かったのでしょうね。
    だからこそ篤志家が福祉施設や団体を厚意からつくっていったのだと思います。

    +1

    -0

  • 446. 匿名 2016/08/18(木) 15:41:53 

    >>442
    学校の音楽の授業で聞いた「春の海」の作者も、確か4歳で失明して箏曲の道に入ったそうですね。

    +6

    -0

  • 447. 匿名 2016/08/18(木) 16:37:20 

    >>443
    あ、私大谷さんのお墓行きましたよ去年。
    あと、10分くらいの時差で大谷さんと本多(忠勝)さんの御子孫さんともすれ違ったみたいです。

    関ヶ原民俗資料館によると、刑部さんは仰るように部下に首を落とされて、首を埋めてる最中に何故か藤堂高虎がきて(間が悪いな高虎)、部下が「自分死ぬんで!自分の首をもっていってください!だから見なかったことにして!」と発狂寸前で高虎にすがり、あまりの剣幕に引いたのか……間が悪いな自分と思ったのか……うわあメンドクサイ修羅場に踏み込んだ……史上最悪にメンドクサイと思ったのか……高虎は

    「俺は何も見なかった(キリッ)」

    と去ったそうです。
    お墓は普通の道路にありまして、あと関ヶ原って関ヶ原の戦いが印象強いんですが、実は日本初の最大のクーデターである壬申の乱でも有名なんですよね。大谷さんのお墓の近くに乱で敗れた大友皇子が自害(首吊った)した杉木があります。

    元就はエゲツナイ癖に、正室存命の折りは一筋だったり、隆元が急死したら気が触れたかのように良く調べもせずに虐殺に近い殺生したりと……感情の振り幅が意外に激しいですよね。
    また、毛利は隆元には人望があったから民衆が快くお金を貸してくれたけれど、隆元以外は(特に元就)信用されてなかったから資金繰りに困って泣く泣く天下掌握を諦めることになりました。けど結局今も続いているから凄いと言えば凄い話ですよね。

    +4

    -0

  • 448. 匿名 2016/08/18(木) 16:42:21 

    >>445
    結局日本って民間から行政のパターンが多いですよね。戦中は障害児は兵士として役に立たないから殺せ要らないとか凄いこと言われてましたが、あの時代に小学校の校長先生(民間)が必死で抗議して国の力借りずに生徒を避難させたり守ったエピソードがありますが……こういう人に勲章あげてほしいです個人的に。叙勲の基準おかしくないか?たまに思いますから。
    正しいことをすると異常に叩かれる風潮が理解出来ません。正しいことをする人は凄い我慢強いし、自分のしたこと隠すから。

    +6

    -0

  • 449. 匿名 2016/08/18(木) 17:18:41 

    >>443
    この間、細川幽斎様の御子孫の細川元首相の陶器と絵画の展示会行ってきたんで……

    関ヶ原番外編~自分たちも関ヶ原以外で頑張ってました!細川幽斎編~


    関ヶ原開戦50日前、西軍は関ヶ原の前哨戦として東軍方の細川忠興の父である幽斎の居城の田辺城(京都府舞鶴市)を西軍は取り囲む。

    先日、大坂にて忠興の正室であるガラシャの自害を聞いたばかりの幽斎は怒り心頭。
    手勢は僅かではあるが城を枕に討ち死にする構えのため、その戦意の高さは尋常ではなかった。

    若い頃は暴れ牛を素手で殴り倒した剛力の持ち主にして武勇の誉れ高い幽斎は文化にも通じており和歌の師匠として、朝廷や武家にも多く弟子を抱える才人であり、古今和歌集を正しく理解できる当時唯一の人物でもあった。

    当然、西軍側の武将たちの何人かは幽斎の和歌の弟子であるため「師匠殺しの汚名は御免被りたい……第一幽斎に怨みはない。」と、関ヶ原始まる前から崩壊の前兆があった西軍。西軍グダグダである。

    そのうち降伏するだろうとノンビリ構えていたら、流石は暴れ牛を素手で殴り倒した男幽斎。
    なかなか手強かった。

    城を囲むこと早一月……ここで幽斎に死なれたら困る勢力が加わる、幽斎の和歌の弟子である親王が兄の帝を担ぎ出し停戦命令を出したのである。

    前述の通り、幽斎は古今和歌集を正しく理解できる唯一の人物でもあるため、幽斎に死なれると古今和歌集の正しい解釈が永久に失われ、日本の文化が古典が衰退する憂き目に遭う。
    それを避けたい朝廷は「幽斎に死なれたら、古今和歌集がわからなくなるから困る」と何とも微妙に美しくない理由で停戦命令を出したのである。えてして社会なんて何時の時代もこんなものであるから仕方ない(何回か親王が幽斎に説得の手紙を出したが、幽斎が御丁寧な返しながら全く言うことをきく様子がなく仕方なく天皇を担ぎ出すしかなかった。)

    天皇の命令のため両軍は停戦となり、負け戦であるにも関わらず幽斎は平然と田辺城を後にしたという。そして西軍の何人かは「師匠殺しの汚名」を被らずにホッとしていた。どこまでも纏まりがない西軍である。

    そして停戦した日が何と、関ヶ原開戦の2日前。
    当然、田辺城を囲んでいた西軍は本戦に間に合うはずもなく、援軍にと思ったが、大多数の武将の予想を遥かに上回り関ヶ原は8時間で終わってしまったのだった。

    後でわかったことだが……小早川秀秋が裏切った軍勢の数と田辺城に幽斎が足止めした西軍の数とがほぼ同数だったことが判明。

    幽斎がどこまで狙ったかは不明だが、幽斎の足止めを西軍が後少し早く切り上げれば、もしかしたら関ヶ原は西軍が勝っていたのかもしれない。

    そして、天皇の命令があったから開城したのに、何故か幽斎は息子の忠興に「何故開城した!死ななかった!」と意味不明な叱責を受け、こいつとは永遠に理解できないと思ったのか、息子の領地である熊本ではなく、京都の東山に正室と隠居することになる。正室と風流三昧を送りながら幽斎は時々


    (どこで……忠興の子育て間違えたのだろう……。)

    と思ったとか思わないとか。
    子育てはあやまっても細川家は現代まで途中空中分解しながらも名家として続くのであった。

    +1

    -0

  • 450. 匿名 2016/08/19(金) 09:43:01 

    >>401
    このトピ読んでから……男二人組の旅行者がゲイにしかみえなくなってきたwww

    +2

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  • 451. 匿名 2016/08/23(火) 14:51:31 

    >>29

    洗髪は当時、陰陽道が流布していたので、髪を洗うのに適した日を診断してもらっていたのと、お姫様の髪が長い上に分量も半端なく多い。洗って乾かすのに余裕で半日はかかったそう。だからせいぜい月1〜2回程度。

    それではあまりにも髪が痒いから、お付きの女房が1日に何度も櫛で髪をといてたらしい。

    +2

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