ガールズちゃんねる

日本史の中の「この人は可哀想」という人物

359コメント2018/01/24(水) 01:41

  • 1. 匿名 2018/01/09(火) 21:53:14 

    平安時代の花山天皇

    臣下であり親友と信じ切っていた藤原道兼の「一緒に出家して一緒に世を儚みましょう」との言葉に乗ってしまい、勢いで出家。
    しかしながら、道兼は最後の最後の瞬間に寺からちゃっかり逃げおおせており、出家したのは自分だけ。
    気づくとこの世は、道兼とその父親の兼家の思い通りになってしまっていましたと・・・。

    +511

    -5

  • 2. 匿名 2018/01/09(火) 21:53:44 

    岡田以蔵

    +283

    -15

  • 3. 匿名 2018/01/09(火) 21:54:00 

    近藤勇

    +183

    -12

  • 4. 匿名 2018/01/09(火) 21:54:23 

    織田信長

    +33

    -45

  • 5. 匿名 2018/01/09(火) 21:54:49 

    こういうのパッと人物出てくる人すげ~って思います。

    +676

    -5

  • 6. 匿名 2018/01/09(火) 21:55:02 

    歴史あんまり詳しくないけど、パッと浮かんだのは大塩平八郎

    +293

    -5

  • 7. 匿名 2018/01/09(火) 21:55:14 

    松浦しげ子  激動の生涯

    +6

    -3

  • 8. 匿名 2018/01/09(火) 21:55:15 

    安徳天皇
    今でいうと無理心中だよね

    +475

    -4

  • 9. 匿名 2018/01/09(火) 21:55:18 

    >>5
    それな

    +44

    -20

  • 10. 匿名 2018/01/09(火) 21:55:21 


    歴史に名を残すこともなく消えていく

    +450

    -13

  • 11. 匿名 2018/01/09(火) 21:55:29 

    駒姫

    +157

    -3

  • 12. 匿名 2018/01/09(火) 21:55:46 

    どう可哀想なのかも書いてくれるとありがたい

    +528

    -3

  • 13. 匿名 2018/01/09(火) 21:56:06 

    名前だけではなく…
    知識をわけておくれ←

    +744

    -4

  • 14. 匿名 2018/01/09(火) 21:56:18 

    石田三成

    +275

    -12

  • 15. 匿名 2018/01/09(火) 21:56:23 

    >>10
    汚名を残すくらいなら、無名のまま消えていく方が人として花

    +481

    -4

  • 16. 匿名 2018/01/09(火) 21:56:30 

    小野妹子

    いもこ てw

    +18

    -98

  • 17. 匿名 2018/01/09(火) 21:56:42 

    崇徳上皇

    +247

    -6

  • 18. 匿名 2018/01/09(火) 21:57:10 

    側室の女性達

    30歳過ぎたら一生セ○クス出来ないんだよね。
    男を覚えた身体には酷すぎる。

    +590

    -33

  • 19. 匿名 2018/01/09(火) 21:57:19 

    ジャンヌダルク、、、あ、日本史だけ ?ごめん。

    +38

    -13

  • 20. 匿名 2018/01/09(火) 21:57:42 

    細川ガラシャ

    +294

    -5

  • 21. 匿名 2018/01/09(火) 21:57:59 

    義経
    日本史の中の「この人は可哀想」という人物

    +400

    -15

  • 22. 匿名 2018/01/09(火) 21:58:00 

    松平容保。

    +202

    -10

  • 23. 匿名 2018/01/09(火) 21:58:02 

    石田三成。
    関が原で負けたため過小評価されたものの、筋を通したのは三成の方だった。
    歴史は勝者(徳川)がつくるものだから、仕方ないけど。

    +609

    -9

  • 24. 匿名 2018/01/09(火) 21:58:16 

    家光の弟、忠長

    +101

    -9

  • 25. 匿名 2018/01/09(火) 21:58:20 

    弥助

    奴隷として日本に送られてきた
    日本史の中の「この人は可哀想」という人物

    +308

    -25

  • 26. 匿名 2018/01/09(火) 21:59:44 

    KOHH ←NEW‼

    昨日から日本史に参加です!よろしくお願いいたします!

    +276

    -87

  • 27. 匿名 2018/01/09(火) 22:00:21 

    だし
    荒木村重の妻

    +161

    -3

  • 28. 匿名 2018/01/09(火) 22:00:33 

    小野妹子です。
    その、女性っぽい名前だなと思ったので。
    当時は『子』を男性につけるのは普通だったと聞きましたが、『妹』という字とでしたら…。

    という感じです。
    小学生男子は、小野妹子という名前に対して「女子みたいな名前ー!」と言っていたので、可哀想だなと思いました。

    +12

    -116

  • 29. 匿名 2018/01/09(火) 22:00:41 

    白虎隊の少年たち。

    お城は燃えていなかったのに。

    +830

    -1

  • 30. 匿名 2018/01/09(火) 22:00:51 

    会津藩家老 西郷頼母

    +172

    -3

  • 31. 匿名 2018/01/09(火) 22:00:55 

    21歳で死んだ徳川家茂
    大変な立場だったと思う

    +312

    -5

  • 32. 匿名 2018/01/09(火) 22:00:56 

    理由も書いて下さると嬉しい

    石田三成の生涯は、戦国武将としては普通によくある滅亡じゃないかな
    武士の本懐を遂げての死だから、可哀想とは違うのでは

    +23

    -56

  • 33. 匿名 2018/01/09(火) 22:01:15 

    豊臣秀次

    +255

    -6

  • 34. 匿名 2018/01/09(火) 22:02:05 

    >>25
    でも弥助って信長に気に入られて侍になれたしねぇ

    +351

    -2

  • 35. 匿名 2018/01/09(火) 22:02:19 

    A級B級C級戦犯全員

    +321

    -31

  • 36. 匿名 2018/01/09(火) 22:02:20 

    田沼意次

    +94

    -5

  • 37. 匿名 2018/01/09(火) 22:02:34 

    少年使節のなかの中浦ジュリアン

    織田信長の時代はキリスト教に寛容で、ローマに使節で趣いたが、秀吉の時代になり急にキリスト教に厳しくなり、4人の少年使節はそれぞれ主だった活動ができなくなり、蔭で布教
    中でもジュリアンは、60歳で捕まるまで、ボロボロになりながら幕府から逃げながら布教していて
    とうとう捕まってしまい、逆さ貼り付けの刑で壮絶な最後を遂げたという。
    死ぬ間際「私はローマを見た中浦ジュリアンぞ」と叫んだそう。可哀想すぎる
    (ジュリアン以外の3人はキリスト教を捨てたの1人 病気で死んだの二人だが)


    +316

    -5

  • 38. 匿名 2018/01/09(火) 22:03:23 

    >>26
    えらい礼儀正しい青年やなあ(笑)

    +128

    -12

  • 39. 匿名 2018/01/09(火) 22:03:59 

    明智光秀

    +156

    -6

  • 40. 匿名 2018/01/09(火) 22:04:02 

    豊臣秀次 鴨川での残虐な処刑が辛い…
    成宮くんが演じてたのがうまかった

    +264

    -5

  • 41. 匿名 2018/01/09(火) 22:04:10 

    小早川秀明
    裏切り裏切り言われてるけど18才の時に
    目の前で砲撃されたら怖くない?

    お家と時代を間違えた武将だと思う

    +226

    -36

  • 42. 匿名 2018/01/09(火) 22:04:19 

    >>34
    弥助、その後どうなったんだろうね 色々妄想膨らむ

    +197

    -2

  • 43. 匿名 2018/01/09(火) 22:05:11 

    武田勝頼。武田信玄の四男。
    もともとは諏訪家に養子に出されていたのに、諸事情で武田家の当主に。
    ただでさえ「二代目」は難しいうえ、信玄の家臣たちが勝頼を軽んじた。
    長篠の戦い後も一時は盛り返したものの、結局家臣たちの裏切りにあい、勝頼は自刃。武田家は滅亡した。
    全盛時の信長が相手だった事も、勝頼には不運だった。

    +257

    -5

  • 44. 匿名 2018/01/09(火) 22:05:14 

    静御前かな
    生まれてすぐの子どもを殺されてかわいそう
    子どももかわいそう(;_;)

    +350

    -4

  • 45. 匿名 2018/01/09(火) 22:06:44 

    源義経は、明らかに己の判断ミスでしょ

    あの時点で後白河上皇&朝廷側につくか、お兄ちゃんの頼朝側につくか、
    上手く判断して立ち回っていれば、充分に権力と生命をキープすることが出来たのに

    +45

    -40

  • 46. 匿名 2018/01/09(火) 22:07:47 

    平賀源内
    プロペラやエレキテルの原理を解明しないまま実物を作り見せ物にしかできない
    鉱物が出る鉱山を見つけるが藩が理解してくれず資金がなくて開発できない
    最後は自分のアイデアを盗まれたと勘違いして人を殺して獄中死
    自分の才能に振り回され続けた人

    +344

    -1

  • 47. 匿名 2018/01/09(火) 22:08:35 

    >>34
    信長に気に入られたってことはもしかして・・・ヤッた?

    +17

    -22

  • 48. 匿名 2018/01/09(火) 22:09:04 

    諸説あるけど吉良上野介かなぁ。地元じゃ名君だったらしいし赤穂浪士のお話自体が好きじゃないから。

    +217

    -9

  • 49. 匿名 2018/01/09(火) 22:09:06 

    >>41
    当時の18歳と現代の18歳は違うからねぇ

    +149

    -4

  • 50. 匿名 2018/01/09(火) 22:10:54 

    楠木正成

    +50

    -4

  • 51. 匿名 2018/01/09(火) 22:11:08 

    浅井長政の母の阿古の方。織田信長によって捕らえられ、十指を数日の間にじわじわと切断され、死亡した。浅井長政の息子の万福丸は串刺しの刑。

    +316

    -2

  • 52. 匿名 2018/01/09(火) 22:12:17 

    小早川秀秋

    関ヶ原で裏切り者として名を残したけれど、当時19歳。年配の猛将たちに囲まれて徳川には圧をかけられ寝返るしか道は無く、気の毒だなぁと思う

    +146

    -24

  • 53. 匿名 2018/01/09(火) 22:13:33 

    沖田総司

    +51

    -5

  • 54. 匿名 2018/01/09(火) 22:14:10 

    >>8
    可哀相というのなら安徳天皇の母、建礼門院。栄耀栄華を誇る平清盛の娘として産まれ、天皇に嫁ぎ、後の安徳天皇を産むも清盛亡き後平家一門は次第に源氏に追い詰められ遂に壇ノ浦で滅亡。建礼門院も母親や安徳天皇と共に入水自殺を図るも自分だけ助かってしまう。一門の菩提を弔って余生を送ったそうです。

    +241

    -3

  • 55. 匿名 2018/01/09(火) 22:14:12 

    平重盛

    +39

    -1

  • 56. 匿名 2018/01/09(火) 22:14:14 

    常盤御前

    +33

    -4

  • 57. 匿名 2018/01/09(火) 22:14:52 

    駒姫

    +55

    -1

  • 58. 匿名 2018/01/09(火) 22:15:18 

    >>18
    だから何度もスキャンダル起こってるよね
    寺の坊さんと…

    +137

    -1

  • 59. 匿名 2018/01/09(火) 22:15:24 

    藤原定子
    本当にかわいそうな犠牲者
    道長が強運過ぎた

    +138

    -3

  • 60. 匿名 2018/01/09(火) 22:16:45 

    >>48
    吉良さん本人も可哀想だけど子孫も可哀想。吉良さんが赤穂浪士に討たれたあと、武士なのに主人を守りきれなかったとして養子は流刑、吉良家は断絶。
    吉良を斬りつけた浅野家は一度は取りつぶされたけど、その後お家復活してる。納得行かない

    +172

    -4

  • 61. 匿名 2018/01/09(火) 22:16:53 

    藤原定子

    しかたなかったけれどね
    いくら名門の姫でも、後ろ盾の親兄弟を失ってしまっては、後宮で安泰の地位を保てないよ
    彰子&道長が出張ってくる前まではこの世の春だっただけに、斜陽になってからは辛かっただろうなあ

    +167

    -3

  • 62. 匿名 2018/01/09(火) 22:17:03 

    >>51
    そしてそんな風に身内をほとんど殺した秀吉の妾にされる淀の方

    +215

    -3

  • 63. 匿名 2018/01/09(火) 22:17:36 

    秀秋は本当は、豊臣家の跡継ぎになるはずだった。
    ところが秀吉に実子、秀頼が生まれたため、秀吉は毛利家に養子に出そうとした。
    それを聞いた毛利の分家の小早川隆景が「(秀秋はアホだから)それだけは勘弁して下さい」と秀吉に泣きつき、結局小早川家の跡継ぎに。
    まさにたらい回しの人生。

    +151

    -1

  • 64. 匿名 2018/01/09(火) 22:18:02 

    >>52
    小早川秀秋は養子に出された時点でかわいそうだね
    豊臣から追い出されたも同然だから

    +148

    -3

  • 65. 匿名 2018/01/09(火) 22:18:18 

    鳥居スネエモン。

    +23

    -4

  • 66. 匿名 2018/01/09(火) 22:18:32 

    >>47
    そりゃーやってるよね

    +9

    -4

  • 67. 匿名 2018/01/09(火) 22:19:22 

    関ヶ原のとき石田三成は小早川秀秋に秀頼までのつなぎの間に関白にしてやるから味方しろと言った

    +48

    -1

  • 68. 匿名 2018/01/09(火) 22:19:34 

    淀君
    織田信長の妹、お市の方の長女だけど、父親を伯父(信長)に殺され、後々、親の敵と結婚させられる
    最後は息子と一緒に殺される

    +273

    -4

  • 69. 匿名 2018/01/09(火) 22:20:22 

    坂本龍馬
    新しい日本をみることなく暗殺された。

    +127

    -25

  • 70. 匿名 2018/01/09(火) 22:20:35 

    >>26
    日本人以外認めません。

    +20

    -11

  • 71. 匿名 2018/01/09(火) 22:20:52 

    忠臣蔵で有名な、浅野内匠頭

    +5

    -26

  • 72. 匿名 2018/01/09(火) 22:21:14 

    秀吉の妹
    分相応な旦那と平凡な暮らしをしてたのに
    いきなり別れさせられ家康の妻に。
    押し付けられた家康は一応正妻として丁重に扱ったらしいけど
    夫婦としての愛情はお互い芽生えなかったろう。
    歴史に名前だけ残ってるけど
    何を思って生きていたのか。

    +252

    -4

  • 73. 匿名 2018/01/09(火) 22:21:37 

    定子、清少納言から彰子、紫式部あたりを大河にしてほしい
    藤原道長の権勢も交えながら

    +185

    -2

  • 74. 匿名 2018/01/09(火) 22:22:50 

    平清盛
    敵の息子たちを助けたばかりに滅ぼされた
    その逆、敵に助けられた源頼朝は権力を握ると味方だった弟や親族まで殺した。しかし権力争いで義父や妻が子供を殺し、頼朝の子孫は途絶えてしまった。

    +158

    -5

  • 75. 匿名 2018/01/09(火) 22:23:03 

    蘇我氏。日本書紀で悪者扱いされたために、蘇我氏は威張り散らした敗者のイメージが根付いてしまったから。

    +115

    -3

  • 76. 匿名 2018/01/09(火) 22:23:49 

    人質にされていた竹千代

    +29

    -11

  • 77. 匿名 2018/01/09(火) 22:24:32 

    篤姫
    江戸に嫁がされ、旦那は病弱…

    +88

    -15

  • 78. 匿名 2018/01/09(火) 22:24:32 

    お市の方と淀の方は落城請負人
    嫁ぐ家がことごとく滅び落城

    +143

    -5

  • 79. 匿名 2018/01/09(火) 22:25:59 

    源頼朝の娘の大姫
    幼なじみで婚約者の木曽義高を父親に殺された。
    婚約者を殺されてからは、元々病弱だったのがよりいっそう病弱になり婚約者の事を想いながら若くして亡くなった。

    +174

    -3

  • 80. 匿名 2018/01/09(火) 22:26:10 

    平家物語関係なら、平時子かな

    旦那の清盛が着実に出世し、世の頂点までを極めるのを傍で見てきているんだものなあ
    その果てに、都落ち→壇ノ浦での滅亡だもの
    可愛い孫を抱いて入水自殺する瞬間、自分に人生に何を思ったんだろうなあ・・・

    +130

    -4

  • 81. 匿名 2018/01/09(火) 22:26:48 

    >>18
    側室だけではなく、正室も同じです。
    おしとねすべりと言って、30位からは夫と同衾しないものとされていました。
    お産が命がけだった時代には、高齢出産を防ぐ意味合いもあったのです。

    +192

    -6

  • 82. 匿名 2018/01/09(火) 22:28:14 

    大津皇子
    お母さんが長生きしてたら、皇太子になってたに違いないのになあ

    +109

    -5

  • 83. 匿名 2018/01/09(火) 22:28:23 

    豊臣秀次の妻女たち。

    特に側室の一の台は生まれも公家だし、普通に公家とかに嫁いでいれば(貧乏だったかもしれないが)30代の若さで処刑されるようなことはなかっただろうに、下手に武家に嫁いだばかりに。

    +144

    -2

  • 84. 匿名 2018/01/09(火) 22:28:30 

    >>18
    男がいなきゃ女性どうしで…
    とこうなるわけですin大奥

    +163

    -5

  • 85. 匿名 2018/01/09(火) 22:30:15 

    草壁皇子

    +54

    -2

  • 86. 匿名 2018/01/09(火) 22:31:13 

    >>81
    おしとねすべりって大名家だけ?公家では30歳すぎても産んで高齢出産も結構あったと思うけど

    +69

    -1

  • 87. 匿名 2018/01/09(火) 22:31:21 

    ここまで江戸時代率の高さw

    +41

    -2

  • 88. 匿名 2018/01/09(火) 22:32:02 

    えーと、家康の長男、殺されたでしょ

    +124

    -2

  • 89. 匿名 2018/01/09(火) 22:32:10 

    >>83
    なんか政略で
    秀次の元に到着してほんの数日の女性も
    一緒に処刑されちゃったよね

    +131

    -2

  • 90. 匿名 2018/01/09(火) 22:32:20 

    伊東マンショ
    日本史の中の「この人は可哀想」という人物

    +35

    -4

  • 91. 匿名 2018/01/09(火) 22:33:21 

    島左近
    もっとも本人は高い禄で抱えられて、よし太く短く生きるか、と決めたのかもしれないけど
    司馬遼太郎の本の中だったかな、関ヶ原の後、島左近の「死ねえ!死ねえ!」という枯れた声の悪夢を見る者がいた、というくだりが妙に印象深い

    +60

    -5

  • 92. 匿名 2018/01/09(火) 22:33:32 

    >>83
    豊臣は武家じゃなくて公家じゃない?
    姓もらって関白になったんだから
    羽柴なら武家だけど

    +6

    -23

  • 93. 匿名 2018/01/09(火) 22:34:00 

    李方子さん。

    宮家に産まれて、昭和天皇のお后候補にまでなるようなお姫様だったのに、政治的な背景から朝鮮王朝に嫁いだ。
    あの時代を考えると、それがどれ程屈辱的でつらかったか。
    韓国の皇太子との間に産まれた子は変死。軍に殺された可能性が高いとか。

    お人柄からか韓国では「韓国の母」と慕われ、葬儀も盛大だったみたいなのが唯一の救い。
    日本史の中の「この人は可哀想」という人物

    +196

    -7

  • 94. 匿名 2018/01/09(火) 22:34:09 

    杉崎善住坊

    いわゆる、鋸引きの刑に処せられた

    +23

    -4

  • 95. 匿名 2018/01/09(火) 22:35:42 

    >>26
    歴史トピに芸能ネタ書く人必ずいるけどバカなのかと思う
    頭の中ゴシップしかないんか

    +79

    -8

  • 96. 匿名 2018/01/09(火) 22:38:16 

    浅井長政の息子万福丸
    秀吉によって9歳で串刺しの刑

    +192

    -2

  • 97. 匿名 2018/01/09(火) 22:38:39 

    >>88
    信康ですね
    父家康によって自刃に追い込まれた
    武田と内通疑惑のあった母の築山殿も処刑
    織田の指図があったのか、はたまた家康の忖度なのか…
    家康は晩年までこの選択を後悔していたとも言われている

    +114

    -5

  • 98. 匿名 2018/01/09(火) 22:40:21 

    和気清麻呂かな。
    天皇の命を受けて神様のお告げを聞きに行く→お告げ「道鏡を天皇にしてはならない」→その通り伝える→左遷される
    しかも別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)って名前に改名させられてるし…気の毒(°_°)

    +146

    -2

  • 99. 匿名 2018/01/09(火) 22:40:39 

    栄華を極めた果てに墜ちる人に、より一層のあわれを感じるな
    栄枯盛衰理論ということで

    +31

    -1

  • 100. 匿名 2018/01/09(火) 22:41:39 

    行基
    貧しい農民の為に井戸の掘り方とか、豊かな暮らし方を普及させるために全国を渡り歩いていたお坊様。
    国からは人を集めるのを悪しと役人に見付かると酷い時はムチ打ちにあったり虐げられてた。

    でも農民(国民)からの爆発的な人望から、聖武天皇の仏像を作る為に駆り出される。
    そして不眠不休で働き、仏像を完成する前に死亡。
    何となく虐げてたのに利用するだけ利用された感じ・・

    +124

    -4

  • 101. 匿名 2018/01/09(火) 22:42:07 

    遣欧少年使節の4人
    特に 中浦ジュリアン

    基本が補欠参加みたいな立場でローマに行って
    公式行事に参加できず 法王さまには後日、対面
    日本に帰国後は マンショとマルチノが学術研究に軸足を置くエリートなのに対して
    ジュリアンだけは エリートでありながら 現場主義

    最期は 逆さ吊りで処刑される
    「私はローマを見た中浦ジュリアンである」が最期の言葉

    遣欧少年使節で唯一の処刑者なんだよね

    +126

    -1

  • 102. 匿名 2018/01/09(火) 22:42:18 

    飛鳥時代だが大津皇子

    天智天皇の息子。人望があり優秀すぎて継母が自分の息子(草壁皇子)を継がしたいが為に殺された。

    +102

    -4

  • 103. 匿名 2018/01/09(火) 22:42:26 

    >>93
    障害児の支援に力を注がれたので、韓国国民に尊敬され、国葬されたんですよね

    +120

    -2

  • 104. 匿名 2018/01/09(火) 22:43:02 

    東条英機
    天皇陛下を自分の死で守り抜いたとも言えるけど時代の悲劇でもある

    +106

    -22

  • 105. 匿名 2018/01/09(火) 22:44:39 

    >>99
    わかります
    平氏、豊臣家
    盛者必衰の理

    +40

    -1

  • 106. 匿名 2018/01/09(火) 22:45:18 

    幕末 小栗上野介。

    外交に長け、横須賀製鉄所で日本近代化を進めた。
    隠し金があると疑われて残首されるとか可哀相過ぎ。
    偉人なのに。

    +120

    -2

  • 107. 匿名 2018/01/09(火) 22:46:37 

    阿弖流為(アテルイ)。平安時代初期の蝦夷の軍事指導者。
    東北経営に乗り出す朝廷軍と、故郷を守るために戦かったが破れる。
    朝廷側の大将坂上田村麻呂は、敵ながらあっぱれとアテルイの助命嘆願するも、京まで連れてこられて斬首となった。

    +142

    -4

  • 108. 匿名 2018/01/09(火) 22:46:46 

    白梅学徒隊

    +22

    -1

  • 109. 匿名 2018/01/09(火) 22:47:04 

    伊藤博文
    バカな韓国人に殺された
    彼がいれば韓国併合はなかった

    +240

    -10

  • 110. 匿名 2018/01/09(火) 22:47:30 

    >>65
    この人は可哀想過ぎる
    私も真っ先に浮かんだ。
    頑張ったのにあの張り付けの姿。

    +8

    -1

  • 111. 匿名 2018/01/09(火) 22:48:16 

    赤報隊の相楽総三

    +27

    -2

  • 112. 匿名 2018/01/09(火) 22:48:48 

    すり替えられる前の明治天皇

    +11

    -8

  • 113. 匿名 2018/01/09(火) 22:49:11 

    小早川秀秋

    この人元々石田三成に大名クビにされかけた恨み
    しかもその時助けてくれたのは徳川家康(つまり恩人)で
    石田三成大嫌いだったにも関わらず
    空気読まない石田三成に無理やり西軍参加させられ

    それでも自分は三成の言うこと聞かないって態度で
    一切三成の命令聞かずに好き勝手やってたのに
    それでも空気読めない三成に西軍扱いされて
    仕方なく関ヶ原に参戦して
    そこで大嫌いな石田三成に積年の恨みを晴らすために
    最初から東軍に裏切ったのに

    その結果日本史上でも有数の裏切り者扱い

    多少その辺の事情を知れば
    家康は元々命の恩人で三成は自分を殺そうとした相手
    誰でも小早川秀秋でも石田三成に同じことしてたと思うほど
    小早川秀秋の行動は当たり前の事なのに
    ホントに可哀想だと思う

    +99

    -11

  • 114. 匿名 2018/01/09(火) 22:50:27 

    野口英世

    +1

    -10

  • 115. 匿名 2018/01/09(火) 22:51:06 

    常磐御前
    源義経の母親。
    源氏の総大将の夫(源義朝)が殺されて、子供を連れて逃げていたが、自分の母親が捕まり拷問を受けてるの聞き投降。
    義経含む3人の子供の助命の為に、敵方の平清盛の妾になり、女の子を産んだ。

    +118

    -6

  • 116. 匿名 2018/01/09(火) 22:51:22 

    何度も名前が上がってる最上の駒姫
    美少女だと名高く秀次に差し出せと言われ
    最上義光はしぶしぶ承諾
    輿入れしてきたばかりで、まだ秀次にも会っていないのに側室として連座
    あまりにかわいそうで最上義光だけでなく、家康や淀殿も助命嘆願したという
    秀吉がそれを聞き入れて処刑取りやめて出家して尼になるようにと沙汰を出し、早馬を走らせたけど、あと1つの街というわずかな距離で間に合わなかった。
    辞世の句がなんとも悲しい。
    「罪なき身を世の曇りにさへられて共に冥土に赴くは五常のつみもはらひなんと思ひて 罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき」
    (罪なき私の身も、世の中のよこしまな動きに邪魔されているが、みんなともに冥土にいったならば五つの徳目に背いた罪もなくなるだろうと思って、罪を切る弥陀の剣にかかる我が身、どうして成仏できない五つの差し障りなどあるでしょうか、きっと極楽浄土にいけることでしょう)

    秀次事件で連座された妻子と侍女は30人以上
    秀次の首の前で処刑され、遺体は掘られた穴に積み重ねられ埋められ、畜生塚と名付けられた。
    当時の見物人でも見に来なければよかったと言ってくらいの悲劇。

    +156

    -1

  • 117. 匿名 2018/01/09(火) 22:51:42 

    >>35
    私は間違っても東条は可哀想だとは思わない。
    「生きて虜囚の辱めを受けず」とか部下にはいっておいて、自分は自決する勇気もなくふりだけ(本当に死ぬ気なら、仮にも軍人があんな方法はとらない)、陸軍の責任者のくせに、裁判でも自分は悪くない、最初から結論のでているこんな裁判は間違ってるって自分のことばかり。

    昭和天皇が言い訳を一切なさらず、「自分はどうなってもいいから国民を助けてくれるように」ととおっしゃたのとはあまりに対照的。

    それまで散々天皇の名をかたって戦争を正当化してきたのなら、せめて私はどうなっても陛下だけはお助け下さいとぐらいは言えなかったのか。また軍の責任者として、全て私の責任であり、部下には責任はないと言えなかったのか。降伏の時期をあやまって国を滅ぼしかけただけでも許しがたいのに。

    +145

    -18

  • 118. 匿名 2018/01/09(火) 22:57:39 

    >>23
    石田三成が過小評価?全然そんなことないと思う。
    そもそも家康は300万石、三成は19万石で格が違うわけで、経験値も差がある
    それどころか三成は五奉行の中でも格は下の方だったから、ここまで名を残したことがすごいよ

    +61

    -3

  • 119. 匿名 2018/01/09(火) 23:00:36 

    >>18
    側室でも正室でも、30すぎたら一生Hはできない、なんて法律があったわけではありません。
    双方がその気があれば別に構わない訳です。
    江戸時代の平均寿命は、40歳から50歳くらいと言ったところです。30すぎといえばもう老境に入る歳でした。人生80年の現代とは違います。
    ならば、そろそろお慎みなさいませ、というのが当時の女性のたしなみというものでした。
    またこれは女性に対してだけで、男性は体力が続く限りなんの制限もありませんでした。

    +94

    -4

  • 120. 匿名 2018/01/09(火) 23:02:09 

    >>25
    弥助は可哀想というより激動の人生だっただろうなという感じ

    +81

    -1

  • 121. 匿名 2018/01/09(火) 23:04:28 

    ここまで読んで、えー全然可哀想どころか、めちゃ恵まれた人生の人じゃん、
    ・・・と思う人も複数いる
    見方&とらえ方によって、一つの生涯も様々な側面を見せるものだー

    +124

    -2

  • 122. 匿名 2018/01/09(火) 23:05:20 

    >>117
    処刑されなかった岸信介や正力松太郎とかについてどう思われますか?

    +33

    -1

  • 123. 匿名 2018/01/09(火) 23:08:25 

    日露戦争で国際的に尊敬を高めた
    敵国の捕虜の処遇を
    東條が180度ひっくり返した

    戦後、多くのBC級戦犯で将兵が戦後も苦しみ
    処刑者が1000人近かった

    その原因である「戦陣訓」を作っただけでも
    東條の罪は重いよ

    +32

    -9

  • 124. 匿名 2018/01/09(火) 23:08:26 

    >>41
    当時の18歳なんて言ったら家督を譲られてバリバリお家を引っ張って行く年齢よ。
    小早川秀秋は事前に調略されてて、砲撃もなかった説がある。
    関ヶ原は始まる前、家康の調略によってすでに勝敗は決まってた。

    +61

    -0

  • 125. 匿名 2018/01/09(火) 23:09:51 

    >>104
    いやいや、東条英機は、戦陣訓で日本軍の兵士には捕虜になる前に自殺せよと命じておきながら、自分は捕虜になってしまったような情けない男だよ。
    しかも、米軍に捕らえられた際に拳銃自殺を図ったけど、およそ死ぬことは難しい小口径の銃をつかって自殺を装ったもので、これは自分の罪を軽くして何とか死刑を免れようともしていたのが事実。
    本当に自殺するつもりならば、自分の頭を撃ち抜けば良かったのにそういったこともせずにw

    +88

    -8

  • 126. 匿名 2018/01/09(火) 23:10:19 

    >>121
    お姫さまだと可哀想感が増すというか
    勝手に美化されて憐れまれる感じはある。

    +71

    -0

  • 127. 匿名 2018/01/09(火) 23:11:03 

    足利持氏の遺子の春王丸、安王丸

    恐怖政治の足利義教将軍に反乱を起こした父親(持氏)が殺された、その残党に担ぎ上げられるが捕まり義教の命で殺される。
    春王丸が12才、安王丸11才。

    +46

    -0

  • 128. 匿名 2018/01/09(火) 23:12:25 

    A級戦犯容疑で巣鴨に送られた人の中には
    これを保守勢力内で発言力を持つ絶好のチャンス!と喜んで宴会して巣鴨に出頭する人もいたから
    BC級戦犯の過酷さとは比較にならない

    +12

    -8

  • 129. 匿名 2018/01/09(火) 23:12:34 

    >>117
    東条の遺言みてないの?あと無罪主張してたのはA級戦犯にされた全員ね
    あの裁判自体が間違ってるんだから裁判に抗議するのは当たり前でしょ

    +79

    -15

  • 130. 匿名 2018/01/09(火) 23:13:35 

    あーサヨクが乗り込んできて面倒な事になった

    +95

    -12

  • 131. 匿名 2018/01/09(火) 23:14:34 

    義経かなぁ
    判官贔屓だよね
    トピ画のタッキー懐かしい
    ジャニーズの肖像権きつくて当時の義経のHPの画像真っ白だったっけ
    義経ほんとうに可哀想

    +79

    -6

  • 132. 匿名 2018/01/09(火) 23:15:15 

    崇徳上皇については、
    怨霊と化して国家に呪いを吐くのも理解出来るほどに気の毒であるとは思える

    +100

    -1

  • 133. 匿名 2018/01/09(火) 23:16:28 

    >>129
    無罪を主張したと言うけど
    あれは欧米法で最初に言う儀式みたいなもの
    実際は「おれは無罪じゃない」と主張して弁護団を手こずらせた被告がほとんどですよね?
    東条も含めて

    +7

    -12

  • 134. 匿名 2018/01/09(火) 23:17:03 

    「沖田総司」
    なにげに可哀想
    結局何もできずに亡くなったんだから無念だと思う

    +69

    -8

  • 135. 匿名 2018/01/09(火) 23:17:59 

    >>129
    裁判に抗議したのは被告じゃなく
    ブレイクニーら弁護団じゃないの???

    +5

    -1

  • 136. 匿名 2018/01/09(火) 23:18:30 

    滝廉太郎。明治時代の有名な作曲家。
    ドイツ留学中に病を得て帰国、20代前半で志半ばにして亡くなる。

    「留学はもう少し先にしてほしい」という延期願いを出したことのある廉太郎を、
    当時の文部省は「生意気なやつ」とみなし、留学先で病気になった廉太郎に適切な治療を受けさせず、それが命取りになったという説もある。

    +149

    -0

  • 137. 匿名 2018/01/09(火) 23:19:26 

    >>113
    石田三成が小早川秀秋を大名クビにした可能性は低いですよ。
    歴史人という雑誌で読みました。
    https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%BA%BA9%E6%9C%88%E5%8F%B7/dp/B01HIP2UUM/ref=sr_1_49?ie=UTF8&qid=1515507382&sr=8-49&keywords=%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%BA%BA
    日本史の中の「この人は可哀想」という人物

    +20

    -2

  • 138. 匿名 2018/01/09(火) 23:21:26 

    >>133
    これを読んで勉強してください

    それより命乞いして処刑されなくてCIAのスパイになった岸信介 児玉誉士夫 笹川良一 ら他の人間のほうが悪だよ思いますが?
    日本史の中の「この人は可哀想」という人物

    +47

    -8

  • 139. 匿名 2018/01/09(火) 23:21:30 

    阿倍仲麻呂

    中国で出世してしまい日本に帰国する事を熱望するも老人になっても帰れず、やっと帰れると思ったら船が難破。
    結局生涯中国で暮らし、日本に帰ることが出来なかった人。

    +131

    -0

  • 140. 匿名 2018/01/09(火) 23:23:30 

    >>129
    被告の発言は東京裁判中に一度限りですよ

    ただ東条だけは
    弁護側の尋問で
    「天皇の意志に反して戦争を起こすなんてありえない」と口を滑らせてしまったので
    (天皇の責任であると言うような事)
    マッカーサーと検察側が真っ赤に怒り
    再度、東条だけ発言させて
    前言撤回させたんだよ

    +30

    -2

  • 141. 匿名 2018/01/09(火) 23:23:45 

    >>41
    秀秋

    +9

    -0

  • 142. 匿名 2018/01/09(火) 23:24:25 

    マリーアントワネットの息子
    ルイ17世

    劣悪な監禁生活、虐待の末に病気で亡くなりました

    ルイ17世 - Wikipedia
    ルイ17世 - Wikipediaja.m.wikipedia.org

    ルイ17世 - Wikipediaメインメニューを開くβ検索編集別の言語で閲覧ルイ17世ルイ17世(仏: Louis XVII, 1785年3月27日 - 1795年6月8日)は、フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの次男。兄の死により王太子(ドーファン)となった(1791年9月から...

    +146

    -14

  • 143. 匿名 2018/01/09(火) 23:26:04 

    >>138
    パール判事の原典を読んだ方が良いですよ
    ちゃんと日本語訳が全文、出版されてます
    第三者の意匠が入った本は史料ではない

    +39

    -0

  • 144. 匿名 2018/01/09(火) 23:30:34 

    可哀想というか凄い人だと感じたのは、乃木希典夫妻。

    乃木希典は日露戦争における旅順攻囲戦の指揮をとった陸軍大将。
    乃木が指揮した旅順攻囲戦は、日露戦争における最激戦であったため、乃木は日露戦争を代表する将軍と評価された。また、その武功のみならず、降伏したロシア兵に対する寛大な処置も賞賛の対象となり、特に水師営の会見におけるステッセリの処遇については、世界的に評価された。
    乃木に対しては世界各国から書簡が寄せられ、敵国ロシアの『ニーヴァ』誌ですら、乃木を英雄的に描いた挿絵を掲載した。
    また、子供の名前や発足した会の名称に「乃木」の名や乃木が占領した「旅順」(アルツール)の名をもらう例が世界的に頻発した。加えて乃木に対しては、ドイツ帝国、フランス、チリ、ルーマニアおよびイギリスの各国王室または政府から各種勲章が授与された。

    その乃木希典は、明治天皇が亡くなった時、自分が仕えた明治天皇の後を追い、夫人と共に自害したことでも有名。
    乃木夫妻の葬儀は、大正元年(1912年)9月18日に行われた。葬儀には十数万の民衆が自発的に参列した。その様子は、「権威の命令なくして行われたる国民葬」と表現され、また、外国人も多数参列したことから、「世界葬」とも表現されたほどだった。

    +62

    -3

  • 145. 匿名 2018/01/09(火) 23:31:19 

    >>142
    トピタイくらい嫁

    +41

    -4

  • 146. 匿名 2018/01/09(火) 23:34:47 

    >>93
    でも夫婦仲はよかったらしいよ。結局それが一番なんじゃないかな

    +31

    -0

  • 147. 匿名 2018/01/09(火) 23:35:07 

    >>138
    その岸の孫が安倍晋三ww

    +58

    -6

  • 148. 匿名 2018/01/09(火) 23:36:04 

    >>129
    TSUTAYAにでも行って
    新潮社が社運をかけて制作した
    小林監督の記録映画「東京裁判」のDVD を見るところから
    出直した方がいいかも、、、
    5時間ぐらいあるけど

    +1

    -6

  • 149. 匿名 2018/01/09(火) 23:36:37 

    大正天皇。
    幼少時はは少し身体が弱かったようだが、青年期にはすっかり回復し、皇太子時代は各地を巡行している。
    和歌よりは漢詩が得意で、立派な作品を多数残している。大正天皇愚鈍説は後世の創作と言われている。
    気さくな人柄で、庶民との触れ合いも好まれていた。
    その辺りが、父親の明治天皇は気に入らず、元老たちとは対立し、即位後しばらくして御用邸に軟禁され、その後病死(?)した。
    生まれてくるのが少し早かった天皇だったということだろうか。

    +103

    -1

  • 150. 匿名 2018/01/09(火) 23:40:11 

    >>137
    三成は恨みを買いすぎたな
    コミニュケーション下手だとダメだね
    秀次事件に三成が関与してたのかは気になる

    +36

    -1

  • 151. 匿名 2018/01/09(火) 23:42:04 

    >>144
    乃木大将は、日露戦争で二人の息子を亡くしている。
    大将なのだから、息子を安全な後方勤務にすることもできたのに、決してそのようなことはしなかった。
    しかし、息子戦死の報せがもたらされたときは、ランプを消し、部下を遠ざけて泣いていたという。

    +101

    -1

  • 152. 匿名 2018/01/09(火) 23:43:53 

    菅原道真

    天皇から信頼されてるのを妬んだ藤原氏から冤罪をかけられて九州に流された。

    +103

    -1

  • 153. 匿名 2018/01/09(火) 23:49:37 

    >>104
    ネットでは事実の一部を切り取って東條英機が昭和天皇を守ったとかデンパを飛ばしている人がいるけど、事実はこうだから。
    これについては、保守の石原慎太郎でさえ同じことを指摘しているよw

    東京裁判中にウィリアム・ローガン弁護士が
    「天皇の平和の希望に反して、木戸(内大臣)が行動したりすることはあるのか?」
    という質問を東条に対して行った。

    つまり、木戸の行動は天皇の意思のもとに行われていたのではないのか?
    という重大なことになる。

    ところが東条はそれに対して、
    「そういう事例はない。日本国の臣民が陛下のご意思に反して、あれこれすることはありえない。
    日本の高官においてはなおさら。」
    と回答した。

    ということは言い換えれば、
    「今回の戦争や過去の侵略政策は、日本の高官を頂点とする日本国の臣民が天皇陛下の意思のもとに行動した」と発言したのと同じことであり、これが世界のニュースとなって回り、昭和天皇への戦争責任がより追及されることになったのが事実。

    +16

    -8

  • 154. 匿名 2018/01/09(火) 23:50:06 

    >>147
    哀れな日本人

    +1

    -26

  • 155. 匿名 2018/01/09(火) 23:50:35 

    >>29

    白虎隊も悲惨だけど、二本松少年隊の方も悲惨だよ。
    12〜13歳じゃ戦に参加出来ないのに、参加させられて多くの子どもが命を落としたから。

    +117

    -1

  • 156. 匿名 2018/01/09(火) 23:51:14 

    金子みすゞ

    夫が超DV男・放蕩癖
    詩の投稿、詩人仲間との文通を禁止
    どこからかもらってきた淋病を感染させる
    一人娘の親権を強硬に主張、当時は男性の方が優位だった
    結果、26歳で服毒自殺

    +147

    -2

  • 157. 匿名 2018/01/10(水) 00:01:27 

    山中鹿之助
    尼子家臣
    主家の為に毛利と闘い負けても負けても立ち向かった
    若くして戦死
    天よ我に七難八苦を与えたまえの名言を残した

    +52

    -1

  • 158. 匿名 2018/01/10(水) 00:03:06 

    豊臣秀次の正室側室子供たち
    秀吉に子供が生まれたら急に邪魔になって
    処刑とは。
    なんで全く関係ない奥さんたちや幼い子供たちまで残酷なまでに殺したのか。
    だから秀吉大嫌い。
    なにが太閤かと思うわ。
    だからその因果応報で息子と母親淀君も悲惨な最後を迎えた。

    +167

    -3

  • 159. 匿名 2018/01/10(水) 00:04:07 

    薄田隼人正兼重
    兜に香を炊き込んで大阪の陣で戦死した美青年

    +9

    -2

  • 160. 匿名 2018/01/10(水) 00:07:33 

    細川ガラシャ
    父明智光秀の突然の謀反
    嫁ぎ先の細川家は光秀の誘いを断り、ガラシャは山で幽閉された。
    夫の忠興も苛烈な人で、ガラシャと会話しただけで庭師を斬りつけ、ガラシャを城の奥に閉じ込め男と関わらないように監視させた。
    苦難の多かったガラシャはキリスト教徒に。
    関ヶ原前に石田三成が人質を取ったとき、人質になるのを拒み、侍女を逃した後、屋敷に火を放ち家臣に胸を突かせて死んだ。

    ガラシャの辞世の句がとても好き。
    散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ
    (花も人も散りどきを心得てこそ美しいのだ)

    +117

    -1

  • 161. 匿名 2018/01/10(水) 00:10:20 

    武家社会の遊女
    殆どは貧しさから売られた
    花魁太夫になれた妓ですら身請けされず病気になって死んだら投込寺(浄閑寺など)と呼ばれる寺に十把一絡げに埋葬され無縁仏となった

    +70

    -2

  • 162. 匿名 2018/01/10(水) 00:17:23 

    藤原伊周

    権門のプリンスとして、本来ならば自分が朝廷のTOPに立つはずが、父親が急死。
    そしてライバルになったのが、冷や飯喰いのはずがトンデモない強運の持ち主の叔父さんで、この人との政争にあっけなく敗れて左遷。 
    その後は、名家のプリンスとは思えない波乱万丈の体験の果てに鄙地で没するという…。
    (まあ、凄まじく充実した人生といえるかもしれないけれど)

    +33

    -0

  • 163. 匿名 2018/01/10(水) 00:20:23 

    戦前のプロ野球巨人軍の名ピッチャー、澤村栄治。
    甲子園で活躍し、「慶應義塾大学へ進んで大学野球で活躍したい」という希望を持っていた澤村だったが、
    巨人のスカウトは金に物を言わせて澤村の進学希望を諦めさせて、巨人軍へ入れた。
    「一生面倒をみる」と約束したのに、澤村が度重なる兵役で肩を壊し、投手として使い物にならなくなったら、さっさと解雇した。
    その後澤村は無念の戦死。澤村の父は息子をプロ野球に入れたことを死ぬまで後悔していたという。

    +130

    -1

  • 164. 匿名 2018/01/10(水) 00:26:06 

    孝徳天皇
    乙巳の変を起こした中大兄皇子がその流れで即位する事を拒否した為に、中大兄の妹を皇后にして即位したが、都を難波に造ると宣言したのに中大兄が遷都に反対して妹の皇后や先代天皇だった母親や家臣たちを引き連れて、元の都に戻ってしまった為に、からっぽの難波京で失意の中病死した。
    その息子の有間皇子もその後、中大兄に謀反の疑いで処刑された悲劇の皇子。

    +55

    -0

  • 165. 匿名 2018/01/10(水) 00:27:32 

    義経は自業自得だよ。
    武勇には優れるけど、政治力がなく、血も涙もない弟よりも、ずっとついてきてくれた家臣をとった頼朝が悪者にされるほうが可哀想に思う。

    +42

    -6

  • 166. 匿名 2018/01/10(水) 00:30:59 

    >>162
    伊周は女性絡みで花山院に矢を射るなんて馬鹿をしでかしちゃったからな~。二世の馬鹿息子の自業自得って気もしないでもないw

    +23

    -1

  • 167. 匿名 2018/01/10(水) 00:35:15 

    大正天皇の生母、明治天皇の側室、柳原愛子。
    華族の柳原伯爵の令嬢。明治天皇の皇后に子供がないため、典侍として宮中に上がり、皇子を産む。のちの大正天皇。
    明治天皇も柳原愛子のことはそれほど好きではなかったようだった。(一番お気に入りだったのは園祥子)
    生まれた子とはすぐに引き離され、衣食住は保障されるも一生飼い殺し。
    大正天皇は、死ぬまで生母の柳原愛子を否定し続けた。自分は明治天皇夫妻の実の子だと思っていたから。
    大正天皇臨終の時ようやく、皇后の計らいで意識のなくなった大正天皇と柳原愛子の面会が叶った。

    +100

    -0

  • 168. 匿名 2018/01/10(水) 00:38:27 

    >>158
    何人か女の子は助命されてるようですが。
    因果応報が本人に来ないのがね…
    本人は畳の上で死んでますから。
    秀吉もある意味では可哀想な人でもあります。
    農民ではなくそれより下の身分だったという説もありますから、小さくても武家の出であった信長や家康のように権力に耐性がなかったゆえの悲劇というか。
    身内も自分の権力を脅かすように感じられて、誰も信じられないという独裁者が陥りやすい思考になっていたのかも。
    辞世の句「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」
    下層民から天下人へと駈けぬけ続け、地位も金も城も多くの妻たちも手に入れたけれども、アッというまに露のように消えていく。死の床での心の内は寂しく虚しいものだったと想像できます。

    +49

    -2

  • 169. 匿名 2018/01/10(水) 00:43:39 

    >>158
    奥さんは全く関係ないわけではない
    政治的に関係してくる
    だから家康も嫡男と正室の築山殿を殺してる

    +25

    -1

  • 170. 匿名 2018/01/10(水) 00:43:49 

    松姫(信松尼)
    武田信玄の六女、織田信忠の婚約者
    織田・武田の政略結婚とは言え文のやり取りがあり結婚を心待ちにしていた様子
    しかし両家の関係が決裂、婚約は破棄
    その後、婚約者だった信忠が武田領内に進行し実家が滅亡、北条家に落ち延びる
    松姫は無事との情報を得た信忠が京都に呼び寄せる
    ついに対面できると思ったら直前で本能寺の変が発生、信忠も二条城で自刃
    生涯を独身で過ごした

    +59

    -1

  • 171. 匿名 2018/01/10(水) 00:46:27 

    >>170
    あ、織田信忠ってのは織田信長の長男です
    本能寺の変が起きなければ間違いなく織田家を継いでいたはず

    +42

    -0

  • 172. 匿名 2018/01/10(水) 00:50:13 

    マリーアントワネット

    +3

    -22

  • 173. 匿名 2018/01/10(水) 00:52:23 

    駒姫は父親 最上義光の助命嘆願がギリ間に合わずに処刑されたから尚更悲劇感ある。
    家康の正室の築山殿は自分より身分が低い夫だし
    義母からは今川の女ってことで嫌われてたし、
    息子助けようとして無実で殺されたから悲劇どころの話じゃない気がする

    +75

    -1

  • 174. 匿名 2018/01/10(水) 00:54:41 

    >>165
    義経は血も涙もないチンギスハンになりましたから

    +3

    -17

  • 175. 匿名 2018/01/10(水) 00:55:48 

    築山殿の悲劇がトラウマで家康は身分の高い女が嫌いに

    +37

    -0

  • 176. 匿名 2018/01/10(水) 01:11:24 

    内ヶ島氏理
    秀吉と敵対後、和睦にこぎつけ所領を安堵された。
    和睦を祝う宴を開いていたところ、地震に襲われ一族滅亡。

    +18

    -0

  • 177. 匿名 2018/01/10(水) 01:19:15 

    >>68
    叔父信長と秀吉に父親と祖父母と兄を殺される
    (祖母は磔にされ指を毎日一本ずつ切られじわじわ殺され、兄は串刺しの刑、父の頭蓋骨を杯にされる)
    秀吉に養父と母親を殺される
    (自刃だけれど)
    敵の秀吉の妾にされる
    (妹たちは先に嫁がされ1人にされ後ろ盾もない)
    妹の嫁ぎ先に息子と共に殺される
    散々だわ…

    こんなに散々なのに豊臣滅ぼした驕慢な悪女扱いされてますよね、淀殿。
    彼女は周りの人がどんどん不幸になってて、彼女自身は栄華を味わった一面があるからかな。
    秀頼誕生の時期に淀殿付きの侍女たちが大勢粛清、つまり殺されていたりしてますし…

    +54

    -1

  • 178. 匿名 2018/01/10(水) 01:24:57 

    >>170
    映画の清州会議では三法師の生母は松姫だという設定でしたね

    +8

    -1

  • 179. 匿名 2018/01/10(水) 01:37:04 

    >>83
    一の台の父親は菊亭晴季
    征夷大将軍になれなかった秀吉に関白になったらどうかと話を持ちかけたのがこの人。
    しかし娘の一の台が秀次に嫁いでいたので連座で流罪…

    +15

    -0

  • 180. 匿名 2018/01/10(水) 01:38:39 

    >>171
    信忠にハラキリをすすめ、ひとり逃げる織田有楽斎(´・Д・)」

    +19

    -0

  • 181. 匿名 2018/01/10(水) 01:43:08 

    >>158
    秀次は蟄居を命じられただけなのに勝手に自刃したから秀吉はキレたんだよ
    蟄居の前にも何度か秀吉は交渉持ちかけてるからね。それを突っぱねたんだよ秀次

    +23

    -0

  • 182. 匿名 2018/01/10(水) 01:52:41 

    前田利家。
    もし前田家のおまつが徳川家に人質になってなかったら前田家は西軍に付き西軍が勝っていたかもしれない。

    +21

    -1

  • 183. 匿名 2018/01/10(水) 01:55:19 

    最上義光
    駒姫の父親
    徳川と同盟をして上杉を攻めようとするも関西で石田三成が挙兵、徳川勢は関ヶ原へ引き返す、義光は梯子を外された形になり上杉2万5千の兵を7千で迎え撃つ羽目に
    NHKの大河ドラマ、独眼竜政宗にてクレームが出るほど悪役に描かれてしまう
    山形のドン:服部敬雄になぜか徹底的に嫌われ陰湿な謀将としての悪印象を作られてしまう

    +14

    -0

  • 184. 匿名 2018/01/10(水) 01:57:43 

    人物じゃないけど、鳥取の渇え殺しにあった城兵や領民。
    あまりに凄惨すぎたので。

    大雑把な時系列
    1580年7月12日 秀吉の軍勢が因幡鳥取城と丸山城を包囲。
    1580年9月 早くも城内の兵糧が底をつきはじめる
    1581年10月 - 鳥取城に籠城している吉川経家以下城兵や領民らは悲惨な状況に陥いる。
    雑草も取り尽くして牛馬を食べなくてはいけない状況になっていた。しかし、これも食べ尽くすと寒さも加わり飢え死にするものが増えていく。
    城を包囲する羽柴軍に助けを求めるが、羽柴軍はこれを鉄砲などで攻撃し撃ち殺していく。
     この死人や重傷者に城兵や領民が群がりその肉を奪い合うという惨劇が繰り広げられた。

    1581年10月25日
    城将・吉川経家は降伏を決断。吉川経家は切腹となり開放される。
    羽柴軍の兵は、飢えた城兵に食事を与えたが、城兵らは極限まで飢えた状態から一気に大量の食物を口にしたため逆に命を落としてしまう(身体に負荷がかかってそれに耐え切れず…)

    信長公記にはこう記されている。
    「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」

    日本史上に於いて人肉を食したという記録は殆ど見られないが、その例外中の例外が鳥取の渇え殺しである。

    あまりにも凄惨ゆえに、戦国時代や豊臣秀吉を扱ったドラマでも、この戦については割愛されるかナレーションのみで流される事が多い。
    鳥取の飢え殺し (とっとりのかつえごろし)とは【ピクシブ百科事典】
    鳥取の飢え殺し (とっとりのかつえごろし)とは【ピクシブ百科事典】dic.pixiv.net

    鳥取の飢え殺しがイラスト付きでわかる! 天正九年(西暦1581年)、羽柴秀吉が吉川経家の籠もる因幡鳥取城を包囲した作戦。...


    +48

    -2

  • 185. 匿名 2018/01/10(水) 02:21:56 

    >>177
    結果から見れば敵の天下を滅ぼすという最大の復讐を身をもって遂げたとも見れますね

    +30

    -2

  • 186. 匿名 2018/01/10(水) 02:39:14 

    特に70年代のスーパーマンみたいな髪型の人は可哀想だと思います。

    +0

    -0

  • 187. 匿名 2018/01/10(水) 02:42:38 

    >>184
    訂正。
    1580年と書かれてる箇所だけど、正しくは1581年でした。
    失礼しました。

    +8

    -0

  • 188. 匿名 2018/01/10(水) 02:52:31 

    東条英機についての話しがあったけど、石原慎太郎は、『産経新聞』九月五日号掲載の『日本よ』という論文で、次のように東条英機を辛辣に批判しています。

    「私は毎年何度か靖國に参拝しているがその度、念頭から私なりに何人か、あの戦争の明らかな責任者を外して合掌している。」
    「A級戦犯の象徴的存在、かつ開戦時の首相東条英機は、戦犯として収容にきたMPに隠れて拳銃で自殺を図ったが果たさずに法廷にさらされた。
    彼を運び出したアメリカ兵は、彼が手にしていた拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径なのを見て失笑したそうな。
    そうした対比の中で、ならばなぜ大西中将や阿南陸相は合祀されないのか、私にはわからない」
    「あの裁判の非正当性にかまけて我々があの戦争の真の責任者について確かめることなしに過ぎてしまうなら、他國からいわれるまでもなく、われわれはあの戦争という大きな体験を将来にかけてどう生かすことも出来はしまい。」
    「南京大虐殺なるものも…靖國に祭られる者の資格云々と共に我々自身の手で検証されるべきと思うのだが。」
    石原慎太郎が東條英機をコラムで誹謗中傷、産経『日本よ』1-2 - YouTube
    石原慎太郎が東條英機をコラムで誹謗中傷、産経『日本よ』1-2 - YouTubeyoutu.be

    平成17年9月5日産経新聞『日本よ』 雑誌「正論」2005年11月号 水島総『なぜですか、石原さん!』 http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/15147843.html 「東條大将自殺」 http://www2u.biglobe.ne.jp/~choufu/rek...

    +10

    -4

  • 189. 匿名 2018/01/10(水) 03:02:02 

    八百屋お七
    江戸時代のお七というの八百屋の娘。
    お七の実家が火事に遭い、避難先のお寺の小姓とお七が恋愛関係になる。
    しかし、お七の家が元通りになるとお寺の小姓とは、離ればなれになってしまう。当時は自由恋愛が認められられないので、お七はまた火事になれば小姓に会えると信じ、自宅に火をつけてしまう。
    ボヤで済んだものの、放火は重罪なため、お七は火あぶりの刑になってしまうという話。
    ただ、記録が少ないから後付けされた説もあるみたいです。放火はダメだけど、死罪は重いんじゃないかなと思います。


    +3

    -24

  • 190. 匿名 2018/01/10(水) 03:08:44 

    戦後先般受けた人の一部

    +1

    -1

  • 191. 匿名 2018/01/10(水) 03:13:01 

    戦国時代の浅井長政

    奈良時代の大津皇子

    ガチで二人とも可哀想…

    +34

    -3

  • 192. 匿名 2018/01/10(水) 03:16:42 

    三成の友大谷吉継

    +14

    -2

  • 193. 匿名 2018/01/10(水) 03:25:42 

    四条天皇
    近習の人や女房たちを転ばせて楽しもうと試みて御所の廊下に滑石を撒いたところ、誤って自ら転倒し、その怪我が元で崩御。享年12。

    +10

    -10

  • 194. 匿名 2018/01/10(水) 03:42:18 

    >>191
    浅井長政可哀想か?
    自分から織田との同盟破ったのに

    +7

    -8

  • 195. 匿名 2018/01/10(水) 04:00:31 

    珠姫
    毎年のように子ども産まされて(8人)
    若死に
    享年24

    +43

    -1

  • 196. 匿名 2018/01/10(水) 04:09:58 

    穴山梅雪

    +0

    -2

  • 197. 匿名 2018/01/10(水) 04:48:12 

    紀州に髪が長くとても美しい、みやという海女さんがいました。
    あるとき、療養の旅に訪れた文武天皇がみやを見初めました。
    でも海女の身分では妃にはなれない。
    そこで権力者である藤原不比等がみやを養女にすることで、藤原宮子として身分を整えて入内させました。
    宮子は息子(のちの聖武天皇)を産みますが、息子とは引き離されてしまいます。
    宮子の出自が低く、宮中のしきたりを知らないからでしょうか。
    育った環境とは全く違う都での生活のストレスからか、息子と離された孤独からか、宮子は鬱病をわずらってしまいます。
    宮子は長く苦しみ、病が癒え、息子である聖武天皇と再会したのは36年後のことでした。
    この宮子の話は一説にはかぐや姫のモデルとも言われているとか。

    +48

    -4

  • 198. 匿名 2018/01/10(水) 04:59:04 

    >>158
    女子供まで皆殺しにする前例を作ったのは信長。
    それ以前は女子供は助けられてたし、殺したとしても男の子だけだった。
    信長は自分に反抗する勢力は女子供含めて残滅させてきた。
    反抗するとこのようになるぞとの見せしめのため。だからあそこまでの力を持った。
    秀吉は信長を真似している。
    天下をとってからは信長のように甘くはないからとまで言うようになった。
    信長は身内には甘かったが、秀吉は身内にも牙が向いた。

    +75

    -1

  • 199. 匿名 2018/01/10(水) 05:02:28 

    広田弘毅

    +4

    -1

  • 200. 匿名 2018/01/10(水) 05:03:32 

    田中角栄

    +4

    -5

  • 201. 匿名 2018/01/10(水) 05:22:11 

    長屋王
    藤原四兄弟に嵌められ自殺

    +33

    -0

  • 202. 匿名 2018/01/10(水) 05:39:11 

    山背大兄王

    +15

    -0

  • 203. 匿名 2018/01/10(水) 05:41:04 

    千利休

    +19

    -5

  • 204. 匿名 2018/01/10(水) 06:18:27 

    東条は上が助かるための生贄だから

    +6

    -1

  • 205. 匿名 2018/01/10(水) 06:41:01 

    円谷幸吉。前回の東京オリンピックの男子マラソン銅メダリスト。
    「次は金メダル」という周囲の期待の中、新しい上司は円谷を理解せず、次第に軋轢が生じていく。
    上司は「次のオリンピックのため」と円谷の婚約者と単独接触、この縁談を破談に追い込んだ。
    婚約者には去られ、持病も悪化し、精神的に追い詰められた円谷はメキシコオリンピックを前に自殺した。享年27歳。1968年(昭和43年)1月9日のことだった。

    +83

    -0

  • 206. 匿名 2018/01/10(水) 06:43:55 

    宇喜多秀家
    豊臣の忠臣
    関ヶ原逃げて八丈島に流罪
    大坂の陣に泳いでこれなかった

    +6

    -3

  • 207. 匿名 2018/01/10(水) 06:49:30 

    >>158
    太閤さま嫌いな関東人かな

    +6

    -13

  • 208. 匿名 2018/01/10(水) 06:57:06 

    真岡郵便局集団自決事件。
    終戦直後の混乱の中、1945年8月20日、樺太の真岡郵便局の電話交換手の女性職員が、ソ連侵攻を前に集団服毒自殺、9名が犠牲となった。

    +37

    -0

  • 209. 匿名 2018/01/10(水) 07:31:10 

    >>197
    藤原宮子海女養女説はあくまでも梅原猛ら一部の人間が言っているだけで、歴史的には不比等と賀茂媛の実子だときちんと明記しないと。

    +26

    -1

  • 210. 匿名 2018/01/10(水) 07:32:33 

    >>106
    小栗上野介は勝海舟の嫉妬で殺されたみたいなもの。

    +22

    -0

  • 211. 匿名 2018/01/10(水) 07:38:49 

    >>144
    乃木希典は数日間で数万の兵を無駄死にさせました。

    +5

    -5

  • 212. 匿名 2018/01/10(水) 07:43:50 

    >>163
    確か戦地でボールの何倍かの重さがある手榴弾をひたすら投げさせられたんだよね。病気もだけどそれで肩を壊した。
    ボールの代わりに手榴弾って、今思うだけで辛すぎるわ。

    +88

    -0

  • 213. 匿名 2018/01/10(水) 07:54:44  ID:QgArxSNym5 

    >>102
    大津皇子は天武天皇の子ですよ
    天智天皇の息子は大友皇子
    この人も悲惨ですよね

    +10

    -0

  • 214. 匿名 2018/01/10(水) 07:56:33 

    主さんの書いてる花山天皇ってただの色キ○ガイってイメージしかなかったわ。

    自分の即位式の真っ最中に気に入った女房を高御座(玉座)の中に引っ張り込んで行為。
    次々に女に手出して、とあるお気に入りが懐妊中に死んだら突発的に出家するし、とある1人が妊娠中にはその実の娘にも手出して母娘ともに自分の子を産ませてる。

    文化的には才能あったらしいし政治的には政敵が強すぎて恵まれなかったきらいはあるけどなんか、無能な人ってイメージ。

    +34

    -2

  • 215. 匿名 2018/01/10(水) 07:57:08 

    >>147
    そのスパイの孫の安倍晋三もCIAの犬なんですか?

    +3

    -15

  • 216. 匿名 2018/01/10(水) 08:02:55 

    >>158
    子供可愛さに邪魔になって処刑なんてそんな単純な話なわけがない。
    だいたい、その息子の出生にも秀吉は疑念を抱いていたというのに。
    数少ない血縁をこれ以上失って、老齢の秀吉と幼年の秀頼だけでは持たないことはわかってただろう。
    秀頼と秀次の娘を婚約もさせてるわけだから、秀吉としては秀次から秀頼へのスムーズな移行を狙ってたはず。
    そういう大切な時期に秀次も秀次で天皇の医者を呼びつけたり、側室どんどん増やしたり他にも色々やらかしてるわけだから、お互いに不信感がどんどん募っていったんでしょう。
    秀次が勝手に切腹した可能性も指摘されてる。
    あと、周りもいろいろあるからね。
    秀吉を早く退けて秀次の世にしたい勢力、秀次を牽制したい勢力とか
    そういう人たちが不信感を煽るようなことを吹き込んだり。

    +12

    -4

  • 217. 匿名 2018/01/10(水) 08:11:28  ID:QgArxSNym5 

    >>158
    淀殿が我が子可愛さに、秀吉や秀次が邪魔な勢力に吹き込んだんでしょ
    秀次の正室側室子供達は、本当に酷く悲惨なことだと思う

    +21

    -4

  • 218. 匿名 2018/01/10(水) 08:14:24 

    太宰治
    度重なる自殺未遂、薬中、心中…

    +2

    -16

  • 219. 匿名 2018/01/10(水) 08:14:47 

    二十六聖人の話はちょっと衝撃的だったな
    若いキリシタン達が耳切り落とされて長い距離歩かされた挙句処刑って
    秀吉のキリシタンへの憎しみは相当のものだったんだな

    +41

    -2

  • 220. 匿名 2018/01/10(水) 08:35:03 

    >>217
    淀殿が吹き込んだとかそんなん
    三成や家康が暗躍したと言われた方が納得する。
    淀殿は秀次の妻たちの助命嘆願してる。

    +35

    -1

  • 221. 匿名 2018/01/10(水) 08:36:04 

    >>219
    キリスト教の布教は植民地支配への布石でもあったので、
    バテレン追放令は適切。
    キリシタンにより日本人が海外で奴隷として売られて秀吉が激怒したとか。

    +55

    -2

  • 222. 匿名 2018/01/10(水) 08:36:51 

    >>217
    妻子の処刑は秀吉の決断、秀吉の狂気であって周りはみんなドン引きしてるよ

    +49

    -0

  • 223. 匿名 2018/01/10(水) 08:37:30 

    >>218
    付き合って本当に死んだ女性と、遺された正妻とその子の方がかわいそう。

    +15

    -2

  • 224. 匿名 2018/01/10(水) 08:40:58 

    >>115
    その常盤御前の産んだ娘・臈ノ御方。
    清盛の娘だから平家一門で育ち、上臈女房としてお仕えするんだが、
    源平合戦の際には平家一門と共に都落ち。
    姉の建礼門院と同じく壇ノ浦で入水を図るも、助け出されてしまい、後年は一族の菩提を弔う日々。

    胤違いとはいえ、実の兄に追われる気持ちってどんなだったろう・・・
    異父兄姉たちにいびられ続けて都落ちしていたなら、可哀想すぎる・・・

    +20

    -1

  • 225. 匿名 2018/01/10(水) 08:42:29 

    >>217
    そういうただの御家騒動なら最悪な事態になったとしても、秀次とその男児を殺すところで終わりのはず。
    ところが秀吉は秀次の生きた痕跡さえも全て消そうとしてる。秀次の持ってた城も破却してるくらいだから、淀殿どうこうではないでしょう。
    秀吉と秀次の間になんらかの出来事があり相互不信が生まれたんでしょう。

    +29

    -0

  • 226. 匿名 2018/01/10(水) 08:48:17 

    >>191
    浅井長政のどこが可哀想なのか全然わからない。
    同じように戦に負けて死んだ武将は数多いるじゃん。
    浅井長政は娘たちがいなければここまで名前もあまり知られなかっただろうなってくらいの大名かどうか微妙なレベルの家だし。

    +37

    -4

  • 227. 匿名 2018/01/10(水) 09:01:15  ID:QgArxSNym5 

    >>220
    >>222
    >>225
    217です。返信ありがとうございます。
    助命嘆願は淀殿の本心ではなく、自分と我が子の将来のためのイメージアップ、建て前だと私は思っています。
    歴史好きな友人がいないので、歴史話しに花が咲くこのトピ好きです。

    +6

    -2

  • 228. 匿名 2018/01/10(水) 09:04:26 

    可哀想という表現が好きではない
    なんか失礼だと思う

    +10

    -3

  • 229. 匿名 2018/01/10(水) 09:05:13 

    >>227
    建前とかかなりの悪女だな

    +4

    -1

  • 230. 匿名 2018/01/10(水) 09:07:44 

    西郷
    日本史の中の「この人は可哀想」という人物

    +1

    -11

  • 231. 匿名 2018/01/10(水) 09:12:47 

    >>227
    イメージアップするのはいいけど、もし亡くなったらどうするつもりだったんだろう。
    当時若年で亡くなるなんてよくあることだし
    現に鶴松亡くなってるし
    まだ秀頼は幼児なのに
    秀吉にしても淀殿にしてもそれを考えないわけはないと思うが

    +11

    -0

  • 232. 匿名 2018/01/10(水) 09:14:30  ID:QgArxSNym5 

    >>220
    >>222
    >>225
    217です。返信ありがとうございます。
    助命嘆願は淀殿の本心ではなく、自分と我が子の将来のためのイメージアップ、建て前だと私は思っています。
    歴史好きな友人がいないので、歴史話しに花が咲くこのトピ好きです。

    +1

    -4

  • 233. 匿名 2018/01/10(水) 09:16:21 

    武田信玄の長男。

    サイコパス信玄によって本妻と長男を目の敵にされ、愛する妾の子だけ可愛がられ。
    謀反を企てるも失敗し自害。

    愛されたかっただろうな

    +36

    -0

  • 234. 匿名 2018/01/10(水) 09:20:13 

    崇峻天皇
    蘇我馬子一派に殺された
    天皇が暗殺されるという未曾有の事件

    +10

    -1

  • 235. 匿名 2018/01/10(水) 09:20:50 

    女城主直虎


    実は男という悲劇

    +7

    -8

  • 236. 匿名 2018/01/10(水) 09:25:21 

    織田秀信
    三法師

    +4

    -0

  • 237. 匿名 2018/01/10(水) 09:34:05 

    >>205
    遺書のインパクトがすごいよね。
    「⚪⚪おいしゅうございました。××おいしゅうございました」
    って食べ物のお礼をひたすら繰り返したあと
    「幸吉は疲れてしまってもう走ることができません」

    +59

    -0

  • 238. 匿名 2018/01/10(水) 10:07:41 

    >>4
    その織田信長に理不尽な理由で殺された人もたくさんいるよ。
    鳴かぬなら殺してしまえホトトギスと言われるぐらいの人だよ。

    +9

    -3

  • 239. 匿名 2018/01/10(水) 10:22:34 

    樋口一葉も5千円札にもなってるけど、貧乏で生活苦だった。
    小説が評価されはじめた矢先に、24歳で肺結核でなくなってるんだよね。

    +37

    -0

  • 240. 匿名 2018/01/10(水) 10:28:36 

    信長も母親に愛されなかったよね
    尾を引いてそう

    +20

    -0

  • 241. 匿名 2018/01/10(水) 10:30:21 

    >>218
    この年になると
    奥さん大変だったろうなって方に傾くw

    +30

    -1

  • 242. 匿名 2018/01/10(水) 10:43:55 

    >>9
    きもいよ

    +2

    -5

  • 243. 匿名 2018/01/10(水) 10:52:49 

    浅井長政
    後継ぎの男の子が産まれなかった市を追い出しもせずに大事にしていたイイ人なのに…

    +18

    -7

  • 244. 匿名 2018/01/10(水) 10:55:28 

    >>48
    本当それ。
    なんで赤穂浪士が正義の味方で吉良が悪者扱いなのかがわからない。
    そりゃあんな所で刀抜いたら打ち首になるだろーが!!って感じ。

    +52

    -0

  • 245. 匿名 2018/01/10(水) 11:00:41 

    >>226
    横だけどお前浅井長政がなんで信長に殺されたか知られねえの?
    ただ信長にたてついたからだからとか思ってる?

    +1

    -11

  • 246. 匿名 2018/01/10(水) 11:09:26 

    >>84

    ペニバン使われてたんだね… 感慨無量

    +8

    -3

  • 247. 匿名 2018/01/10(水) 11:23:18 

    築山殿は母親じゃなくて、正室

    天下を取った家康は、心の底から女性を信用していなかったんじゃなかろうか。側室は何人もいたけど、築山殿の後正室を迎えなかったので、秀吉に妹を押し付けられた。
    リアリストの家康は、側室には確実に子供もが産まれるように、経産婦を迎えるのが多かった。江戸時代、梅毒は治らないので、遊女に近づくこともなかった。

    +18

    -1

  • 248. 匿名 2018/01/10(水) 11:24:10 

    当子内親王

    10代前半で斎宮になった父帝鍾愛の姫宮
    10代後半で任を解かれた後 落ち目側の藤原氏子息と恋に落ちた
    父帝が猛然と反対したため恋は実らず 17~8歳で出家した
    20代前半で病死

    可哀想

    +6

    -0

  • 249. 匿名 2018/01/10(水) 11:41:12 

    江戸時代、庶民は30過ぎても子供産んでたよ。
    将軍の場合は、健康な跡取りを望むから、お相手は30までということ。女性の母体の安全より、跡取りのことが一番大事。

    +9

    -2

  • 250. 匿名 2018/01/10(水) 11:42:15 

    1985年8月、一連のグリコ森永事件で、あと少しのところで犯人を取り逃がした滋賀県警の本部長が、本部長官舎で自殺した。
    一連の責任を取って、という説もあり、
    全ての責任を押しつけられたことへの抗議、という説もある。
    本部長はノンキャリ叩き上げ組だった。

    +23

    -0

  • 251. 匿名 2018/01/10(水) 11:42:25 

    森欄丸
    有名な織田信長が寵愛した小姓
    織田の重臣森家の三男で美しく、頭がよく気働きが出来武勇に優れていたが本能寺の変で18歳で信長に殉じた
    本能寺の変がなかったら同じ寵愛された前田利家や徳川の井伊直政のように織田家のトップエリートになっていたんだろうな…

    +46

    -2

  • 252. 匿名 2018/01/10(水) 11:58:33 

    桓武帝だなあ
    ドロドロの政治的シチュ&人間関係の中で猛烈に追い詰められていたでしょ

    平安時代って、最初と最後(院政期)の朝廷のドロドロ感が面白い

    +14

    -2

  • 253. 匿名 2018/01/10(水) 12:19:10 

    >>23
    平家もそうだよね。
    源氏が勝っちゃったから悪者にされて散々な言われよう。
    でも本当に卑怯だったのは源氏の方だったんだよね。水上の戦のときは船を漕ぐ人を狙ってはいけないって敵味方双方の決まりだったのにそれを破ってわざと平家の船を漕ぐ人たちを殺して身動きできなくなったところを叩きのめしたって聞いた。

    +34

    -1

  • 254. 匿名 2018/01/10(水) 12:37:55 

    ロマンチックに可哀想な人として…

    ○平清盛の末子 重衡:
    源平合戦敗戦で捕虜となった後、その人柄の素直さゆえに敵将の源頼朝すら助命したいと思ったものの、
    憎悪を買っていた奈良の寺社勢力の圧力により、処刑
    ○平清盛の孫 維盛:
    自分が指揮した合戦での敗戦に対する責任感、どんどん追いつめられてゆく一族の将来を悲観して、
    ただ独りで出家してしまい、ただ独りで入水自殺

    この二人は美形の貴公子として周囲の人々に可愛がられて育ち、
    朝廷行事の際に二人で舞った「青海波」は、まるで源氏物語のようだと評判になったほど華麗だった(@平家物語)

    +28

    -1

  • 255. 匿名 2018/01/10(水) 12:42:17 

    三成はコミュニケーション能力のなさで数々誤解を生んでしまっていたのが可哀想。

    最後まで秀頼に忠義を尽くしていたけど、その秀頼からはうっとおしがられていたとか
    どんだけ不器用なんだと

    +43

    -2

  • 256. 匿名 2018/01/10(水) 13:06:12 

    >>243
    あれ?男の子2人いるよね?
    処刑された万福丸と赤ちゃんで寺にやられた慈丸だっけ。

    +9

    -3

  • 257. 匿名 2018/01/10(水) 13:15:16 

    歴史厨の方々が燃え上がってて気を付けて読まないといけないトピだなあと思う
    文章力すげー

    +44

    -1

  • 258. 匿名 2018/01/10(水) 13:23:31 

    織田信長の妹・お市の方。
    政略結婚で近江の浅井長政に嫁ぐも、後に長政が越前の朝倉氏と結託し信長を裏切ったことから居城の小谷城を攻められ長政は自害。お市の方は息子・万福丸と3人の娘を連れ城から脱出するが、万福丸は秀吉により処刑。本能寺の変で信長が世を去ったあと、重臣・柴田勝家と再婚。1583年勝家が秀吉と
    賤ヶ岳で戦い敗れる。居城・北ノ庄城に戻るもののすぐに秀吉軍によって包囲される。前夫の長政同様、勝家も城から娘を連れて脱出する様にお市に促すが、彼女は首を横に振りあなた様にお供いたします。と言って娘たちを逃したあと勝家と共に天主に登り別れの盃を交わしたあと愛する夫・勝家の手にかかりあの世へ旅立つ。

    +24

    -3

  • 259. 匿名 2018/01/10(水) 13:32:23 

    >>245
    朝倉という浅井の恩人に信長が戦を仕掛けて、板挟みの苦悩の末に浅井は朝倉について、だったよね
    ただ信長は謝れば許す、マナーは弁えてる男だったから、万福丸の処刑方を見れば浅井家もなんか信長も許さざる裏切りを行っていたからとは思う
    万福丸は織田と浅井の同盟の証で祝福されていた子供だった
    それ故浅井への恨み怒りが雑ざり万福丸への思いはお家ごと逆転したんだろうね

    +11

    -3

  • 260. 匿名 2018/01/10(水) 13:42:03 

    あと源頼朝からの習いで滅ぼしたお家の嫡男は絶対に生かしておかないという
    周囲への見せしめの意味も万福丸の処刑にはあった
    万福丸も背負わされた子だった
    やっぱり浅井万福丸だな、日本史で可哀相って思い出してしまうのは…

    +35

    -0

  • 261. 匿名 2018/01/10(水) 13:44:40 

    豊臣秀次の一族。
    確かまだ秀次に会ってすらいない側室になる予定だった姫まで殺されたよね?

    +29

    -0

  • 262. 匿名 2018/01/10(水) 14:09:52 

    本土から開拓するために慰安に用いられたアイヌの女性

    +5

    -7

  • 263. 匿名 2018/01/10(水) 14:14:37 

    >>27
    大河ドラマで桐谷美玲がやってた役だね。
    処刑される場面で泣いた。

    +15

    -1

  • 264. 匿名 2018/01/10(水) 14:40:12 

    人見絹枝。日本人女性初のオリンピックメダリスト。800メートル走で銀メダル、1928年アムステルダムオリンピックにて。
    その後の人見絹枝は、自身の練習、世界各地での転戦、後輩の指導、講演会、競技資金集めにまで忙殺され、身体を壊してしまう。
    アムステルダムオリンピックの3年後、24歳の若さで亡くなった。

    +27

    -0

  • 265. 匿名 2018/01/10(水) 14:41:23 

    源頼朝の娘、大姫
    義高との話は悲恋だよ。

    +20

    -0

  • 266. 匿名 2018/01/10(水) 14:52:12 

    山川登美子。
    明治時代の歌人。短歌の上でも、恋の上でも、与謝野晶子のライバルだった言われている。
    親兄弟のすすめる縁談により結婚するも、夫とは間もなく死別。自身ものちに同じ結核で亡くなる。享年29歳。
    登美子は療養中に書きためた短歌がたくさんあったが、当時は亡くなった結核患者の持ち物は全て焼却処分するのが慣例だった。感染を防ぐために。
    もし、それらが残っていたら与謝野晶子以上の歌人であっただろう、という人もいた。

    +30

    -0

  • 267. 匿名 2018/01/10(水) 14:54:51 

    >>230
    敗戦の途中もうここでよか
    っていって自刃したんだよね
    部下に首を切らせたんだっけ?

    +1

    -0

  • 268. 匿名 2018/01/10(水) 15:06:39 

    徳川家康の子結城秀康
    正妻築山殿の子ではなく
    生まれた時家康にギギ(魚)に似ていると疎まれ養子に出され長男信康の死後も徳川家に戻されず弟の秀忠が継いだ
    1大名として終わったが名君の誉れ高く家臣領民に慕われた

    +27

    -1

  • 269. 匿名 2018/01/10(水) 15:07:10 

    >>262
    早く祖国の兵役の義務を果たしなさいね
    つまんないこと言う暇あるなら

    虚言癖は血だから、治らないかもだけど…

    +11

    -3

  • 270. 匿名 2018/01/10(水) 15:09:03 

    >>201
    わたしも長屋王に1票
    死んだ後まで長屋王の祟りとか言われて、藤原家の相次ぐ不幸の元凶扱い
    現在でも、邸宅の跡地に建てられた百貨店が破綻したのも祟りって言われてたし

    +31

    -0

  • 271. 匿名 2018/01/10(水) 15:12:17 

    高杉晋作
    詩作の才能にも溢れた幕末の志士
    おもしろき事も無き世をおもしろく
    などの名言もあるが20代の若さで病没
    存命だったなら新政府を担う一人になっていたかと思われ

    +28

    -1

  • 272. 匿名 2018/01/10(水) 15:13:07 

    結城秀康は、側室の子供。家康は自分の子供ではないと思っていたらしい。

    +13

    -0

  • 273. 匿名 2018/01/10(水) 15:15:43 

    滝沢馬琴は息子が病弱だったため終生働いた
    後年失明してからも嫁に口述筆記をさせて執筆活動をして家計を支えねばならなかった
    のんびりとした老後は叶えられなかった大作家

    +21

    -0

  • 274. 匿名 2018/01/10(水) 15:18:15 

    武田信玄だっけ?
    おそろしく強かったのに、病死してしまった武将
    病気にならなかったら、天下取ってたって言われてたんでしょ?
    堤防造ったり、知恵も行動力も優れてたとも聞いた

    +17

    -6

  • 275. 匿名 2018/01/10(水) 15:19:25 

    >>252
    その後何かあるたび桓武帝の呪いの厄除けだの怨念を鎮める儀式だのしてるもんね
    桓武帝を嵌めた心当たりありすぎだったんでしょうね

    +19

    -1

  • 276. 匿名 2018/01/10(水) 15:22:46 

    北条政子
    結果男子全て政争で亡くした

    +11

    -4

  • 277. 匿名 2018/01/10(水) 15:26:44 

    織田信勝もある意味かわいそう
    適性ないのに信長の息子に生まれたばかりに重責背負わされては無能呼ばわり
    実際、ドラ息子だったのかもしれないけど、違う家に生まれていれば合わない仕事しなくて済んだかも

    +10

    -0

  • 278. 匿名 2018/01/10(水) 15:48:39 

    >>244
    全く同感です。何故あんなに忠臣蔵人気あるのか不思議。赤穂浪士たちが英雄扱いって…私には盛大に逆ギレしたって話にしか読めなくて、美しい話でもない気がするんです。

    堪え性なく先に手を出したのもそっちだし、相手に致命傷与えられないほどの剣の腕前。刀ふり上げりゃそりゃ打ち首にもなるだろうし…。

    +37

    -1

  • 279. 匿名 2018/01/10(水) 15:50:34 

    細川ガラシャは可哀想とは違うんじゃないかな。信仰上、ある意味望んで潔く死んだ部分大きいから。

    +18

    -2

  • 280. 匿名 2018/01/10(水) 16:00:21 

    >>48

    明は秋な…。

    +1

    -0

  • 281. 匿名 2018/01/10(水) 16:30:42  ID:lZyGVDHAGB 

    >>252
    それより同父母弟の早良親王と異母弟の他戸親王とその母親の井上内親王の方が可哀想


    +11

    -0

  • 282. 匿名 2018/01/10(水) 16:31:16 

    源平の戦いで母親と一緒に入水した安徳天皇

    +16

    -0

  • 283. 匿名 2018/01/10(水) 16:50:34 

    相馬藩かな。伊達が奥州筆頭とか思われてて可哀想。頑張ってたのに影薄い藩

    +7

    -1

  • 284. 匿名 2018/01/10(水) 16:58:48 

    かわいそうなのはやっぱり岡田以蔵だな…。一言、かわいそうだよ。

    +6

    -2

  • 285. 匿名 2018/01/10(水) 17:15:46 

    >>117昭和天皇陛下もお嫌いだったはず。

    +6

    -0

  • 286. 匿名 2018/01/10(水) 17:47:27 

    >>259
    浅井長政は織田が家臣扱いするのが気に入らなかった。
    織田と同盟結ぶ前に浅井長政は六角氏から家臣の娘を正室に娶ったけど、離縁して送り返して戦を起こしてる。
    それと同じようなことをした。
    父親が弱腰外交で家臣から追い出されたから、浅井長政は領土拡張をしたかった。
    織田はそれを封じた。

    +4

    -0

  • 287. 匿名 2018/01/10(水) 17:49:35 

    >>279
    可哀想なのは父親の謀反とそれによる幽閉じゃないの?
    細川ガラシャを殉死扱いして祭り上げて宣伝したのはキリスト教宣教師

    +7

    -1

  • 288. 匿名 2018/01/10(水) 17:52:06 

    >>282
    安徳帝は、何の理解も恐怖も無いままに、波の下の都に向かったんじゃないかな
    全盛期の「平家に非ずんば」時代を体験しながら壇ノ浦に沈んだ人達は、哀しすぎる
    よく怨霊となって祟りを成さないものだ

    +9

    -1

  • 289. 匿名 2018/01/10(水) 18:00:39 

    >>243
    追い出すわけないじゃん
    子どもが生まれる生まれないの前にお市と夫婦であることは織田との同盟という意味があるから、お市を追い出したらそれは同盟の破棄。
    お市は同盟のために浅井に派遣された織田の外交官みたいな存在だからね。
    もし、戦になったら人質にも早変わり。
    戦国時代の正室とはそういうものだよ。
    お家どうしの結びつき。
    もし、子どもが生まれなかったら側室が産むのが役目。
    まあ、浅井長政が死ぬ直前まで子供が産まれていたから仲は良かったのかなと思うけど。

    +13

    -0

  • 290. 匿名 2018/01/10(水) 18:06:13 

    >>288確かおばあちゃんから、海の下の都に参りましょう…みたいなこと言われたような。溺れて死ぬのは苦しいだろうに。

    +17

    -1

  • 291. 匿名 2018/01/10(水) 18:07:49 

    >>256
    万福丸と万寿丸だね。
    この2人はお市の子かどうかはっきりしてない。
    お市の方の婚姻時期に諸説あるから、側室の子の可能性もある。
    万寿丸はお寺に匿われて、出家し住職になって生き延びてます。
    >>260浅井が描かれてた大河ドラマの江で万福丸が思いっきり無視されてたの腹立ったわ。いなかったかのようにされてたし。

    +18

    -1

  • 292. 匿名 2018/01/10(水) 18:26:44 

    >>290
    おばあちゃんの二位尼に抱かれて海の底にも都がありましょうと言われて入水
    お母さんの徳子はプカプカ浮いちゃって敵兵に助けられた

    +10

    -1

  • 293. 匿名 2018/01/10(水) 18:30:00 

    吉良こうずけのすけが一番かも。
    戦や政争で死んだなら武士だから仕方ないけど、頭のオカシイやつに絡まれて逆恨みで成敗され、家系は途絶えるし、日本中に大悪人として誤解されてしまう。

    +23

    -0

  • 294. 匿名 2018/01/10(水) 18:38:45 

    式子内親王
    親族への呪詛を疑われて出家

    +3

    -1

  • 295. 匿名 2018/01/10(水) 19:11:04 

    山本権兵衛。
    二回組閣したけど、第一次は震災後の組閣で課題山積みだったし、ジーメンス事件、虎ノ門事件の影響で、引責する形で退陣してるから。本人は悪くないのに不憫だなあと。
    既出だったらごめん

    +1

    -0

  • 296. 匿名 2018/01/10(水) 19:11:26 

    白虎隊の自決した若者たち。

    +23

    -0

  • 297. 匿名 2018/01/10(水) 19:27:48 

    平将門
    貧しい農民の味方の清らかな方
    謀反を起こしたのは都の政治が腐敗し貧民から年貢を搾り取り自分たちだけ贅沢三昧をする朝廷を潰したかったから
    正義の味方なのに怨霊だの謀反を起こしたのとかわいそうだと思う
    平将門は立派な武将です

    +25

    -0

  • 298. 匿名 2018/01/10(水) 19:37:50 

    織田信長の妹のお市様。

    +3

    -0

  • 299. 匿名 2018/01/10(水) 19:44:22 


    伊勢姫かな。

    上杉謙信の元へ人質として送られてきて、日々過ごすうちに謙信と恋仲になったんだけど、そのことをよく思わなかった謙信の家臣らから仲を反対され、
    その事に嘆いた伊勢姫は寺に出家するんだけど、その後自殺してしまったんだよね。

    +6

    -0

  • 300. 匿名 2018/01/10(水) 19:47:07 

    千姫

    +6

    -1

  • 301. 匿名 2018/01/10(水) 19:47:17 

    >>26
    ちょっと何を言ってるのかわからないwww
    いろんな意味でw
    でも一応+押しときましたよ!

    +3

    -5

  • 302. 匿名 2018/01/10(水) 19:49:04 

    赤穂浪士に対する人気は、
    当時の庶民のお上に対する不満を吸い上げる形で完成したんだろうなあ
    事件の後、すぐに戯曲化されて上演されたんだっけ?

    +17

    -0

  • 303. 匿名 2018/01/10(水) 20:03:16 

    源義朝かな。
    平治の乱で敗走し、家臣の舅の所に身を寄せるも、
    恩賞目当ての舅と、その息子に殺される。
    湯殿にいたので丸腰、「せめて木刀一本なりとも
    あれば」と、無念の言葉を残したとの話があり、
    今でも義朝の墓には、木刀を模した板が
    供えられている。
    親殺しとか、生前は色々あったけど、
    この殺され方は気の毒だと思う。

    +17

    -3

  • 304. 匿名 2018/01/10(水) 20:06:01 

    生き仏の話知ってる人多いと思うけど、知った時は衝撃だったな。

    生きたまま土の中に入り、生き絶えるまでお経を唱え続けるやつ。
    ミイラになりやすいように、漆飲んだりするんだよね。
    あまりにも過酷なので、本能的に?穴から出てきてしまう人もいるらしいけど、「もし穴から出てきたらまた土の中に戻してほしい」って周りに言っておくんだってね。

    +17

    -0

  • 305. 匿名 2018/01/10(水) 20:10:07 

    平成の天皇と違って、昭和天皇は戦争の件があるから、いくら天皇とはいえ、好きじゃないな。
    国のために何人の命が消えたのよ。

    +4

    -23

  • 306. 匿名 2018/01/10(水) 20:10:43 

    今川義元 桶狭間で信長に討ち取られ、弱い武将と評価されているが、優れた領国経営を行い。海道一の弓取りと称号された武闘派の名将であった。

    +15

    -0

  • 307. 匿名 2018/01/10(水) 20:17:20 

    >>304
    即身成仏かな
    水分摂らないよう木の実食べたりするんだよね

    +14

    -0

  • 308. 匿名 2018/01/10(水) 20:20:11 

    榎本武揚 幕臣として、新政府に最後まで抵抗したが。降伏後、優れた才能をかわれて新政府の大臣を歴任したことから、福沢諭吉からさんざん批判され、その後の歴史家から過小評価された。私は、日本史で最も個人的に好きな人物だけど。

    +9

    -1

  • 309. 匿名 2018/01/10(水) 20:30:00 

    新海道善入道

    長曽我部を散々苦しめ、阿波侵攻を食い止めていた武将。

    それに懲りた長曽我部に和睦交渉を持ち掛けられ、それに応じた。

    しかし、その和睦は偽りで長曽我部のとの宴を終えた後、館の影に潜んでいた長曽我部軍に斬殺されてしまった。

    今でも丈六寺というお寺に、その時の血が付いた手形が残っているよ。

    +3

    -1

  • 310. 匿名 2018/01/10(水) 20:32:45 

    倭健命(ヤマトタケル)だなー
    古事記読む限り、親である景行天皇に愛されなかった
    (日本書紀では溺愛されてる謎)

    +11

    -0

  • 311. 匿名 2018/01/10(水) 20:53:49 

    >>310
    日本書紀には、
    「兄を殺して八つ裂きにしたため、親である
    天皇から疎まれた」という記述がないもんね。
    「他の兄弟が尻込みする中、自ら天皇に従って
    各地の反対勢力を討伐に行った」となってる。

    +1

    -0

  • 312. 匿名 2018/01/10(水) 21:06:52 

    >>288
    耳なし芳一では成仏していないからね
    栄耀栄華の後に海の藻屑と消えた無念

    +6

    -0

  • 313. 匿名 2018/01/10(水) 21:08:22 

    平敦盛
    敦盛草は若くして討死した彼の母衣が語源の愛くるしい野草

    +7

    -0

  • 314. 匿名 2018/01/10(水) 21:13:18 

    木曽義仲と巴御前

    +8

    -1

  • 315. 匿名 2018/01/10(水) 21:16:49 

    即身仏は、そのままだったら決して仏教界の上位に出世できない庶民・貧民出自の僧が、
    世の中から拝まれ崇められ讃えられる立場へと達することができる唯一の方法  
    …だと聞いたな

    +8

    -1

  • 316. 匿名 2018/01/10(水) 21:35:32 

    >>211
    心意気は素晴らしいけど結果は残せなかった残念な方だよね。

    +2

    -0

  • 317. 匿名 2018/01/10(水) 21:36:51 

    >>21
    頼朝のが100倍気の毒だと思う。

    +3

    -4

  • 318. 匿名 2018/01/10(水) 21:40:10 

    黒田官兵衛

    +0

    -1

  • 319. 匿名 2018/01/10(水) 21:50:05 

    >>304

    即身仏だよね。
    かわいそうというか、その決意がすごいと思う。
    長年即身仏になることだけを目指して、普段口にするものも木の実とかミイラになりやすいものだけだったとか。即身仏になるための修行って凄まじいんだよね。
    それだけのことをして自分の身をもって人々を救いたいって気持ちがあったんだもんね。

    +21

    -2

  • 320. 匿名 2018/01/10(水) 21:54:21 

    >>305
    歴史の勉強しなおした方が良いよ。

    +12

    -1

  • 321. 匿名 2018/01/10(水) 23:08:35 

    浅井長政もお市の方も可哀想
    板挟みだったし

    +7

    -0

  • 322. 匿名 2018/01/10(水) 23:16:08 

    >>315
    即身仏はひとりでなることはできない。結構周到な準備と、弟子や信徒の助けが必要だ。
    死後に崇められたいなんて現世利益的な発想では、まずあの荒業は続けられない。
    また、そんな生臭坊主を助けたいと思う弟子や信徒などいない。
    即身仏になられたのは、いずれも現世で高僧と尊敬されていた人たちだよ。

    +14

    -2

  • 323. 匿名 2018/01/10(水) 23:18:13 

    八甲田山雪中遭難事件で犠牲になった、200名近い青森隊の兵士や軍人たち。

    +15

    -0

  • 324. 匿名 2018/01/10(水) 23:20:16 

    >>18
    こんなレスに+500も付くなんて

    +4

    -0

  • 325. 匿名 2018/01/10(水) 23:20:44 

    >>18
    私みたいな30過ぎて処女の方が可哀そうだ

    +7

    -0

  • 326. 匿名 2018/01/10(水) 23:27:25 

    人柱になった人たち。
    日本史の闇の部分なので、現在はほとんど語られないが、江戸時代頃までは、大規模建築、大規模土木工事にはよく行われていた。
    神さまに捧げる人柱なので、若くて美形のこが選ばれた。

    +22

    -0

  • 327. 匿名 2018/01/10(水) 23:39:13 

    >>324
    がるちゃんの欲求不満BBAがプラス押してんでしょ

    +3

    -2

  • 328. 匿名 2018/01/10(水) 23:40:06 

    日本史の括りじゃないかもしれいけど。

    関サカエさん。

    初の神風特別攻撃隊「敷島隊」隊長 関行男大尉のお母さん。

    夫に先立たれ、一人息子の関大尉が戦死し、泣くことも許されず、マスコミに「軍神の母」と持ち上げられてしまった。
    戦争が終わると周囲は途端に冷たくなり、「息子を犬死させた鬼のような母」と村八分にされ、石を投げられながら、極貧の中で生活していた。
    そんな中で関大尉の妻には再婚を強く勧めたという。見兼ねた人の世話で小学校の用務員になった。
    生徒たちはその働きぶりから「日本一の用務員のおばちゃん」と呼び、すごく慕っていたという。
    昭和28年にひっそりと用務員室で亡くなった。生前の口癖は「せめて行男の墓を作ってほしい」だった。

    私の地元、愛媛県西条市の誇りです。

    +32

    -0

  • 329. 匿名 2018/01/10(水) 23:41:34 

    >>255
    三成は自分=豊臣と思ってた節があるから
    嫌われたんだろうね
    決して悪い人ではないけど、客観的な視点がなかったのかも

    +5

    -0

  • 330. 匿名 2018/01/10(水) 23:53:39 

    >>314
    誰の小説だったか忘れたけど
    巴御前も勇猛果敢に戦って負け戦になり
    最後に馬上でここで別れようって別々に逃げ落ちたんだよね
    義仲は亡くなったけど巴御前の行方はわからずじまいだったような
    無事に生き延びたんだろうか?

    +8

    -0

  • 331. 匿名 2018/01/11(木) 00:00:29 

    >>321
    娘の初や江も姉と夫の板挟み
    孫の千姫も板挟み
    板挟み家系

    +10

    -1

  • 332. 匿名 2018/01/11(木) 00:01:42 

    秀吉に利用されるだけされてポイされた三法師
    信長死後破滅した織田家のみなさま

    +5

    -0

  • 333. 匿名 2018/01/11(木) 00:04:41 

    信長の叔母おつやの方
    幼い息子の後見で女城主に
    再婚して武田に寝返ったので信長の怒りを買い逆さ磔にされ処刑

    +10

    -0

  • 334. 匿名 2018/01/11(木) 00:07:05  ID:lZyGVDHAGB 

    戦時中の広島市民と長崎市民

    +12

    -1

  • 335. 匿名 2018/01/11(木) 01:56:56 

    源氏が勝ったから平家が悪く言われたのではない。
    平家は武士の出てありながら、行いが貴族になってしまっていた。土地の権利を認めてもらうのが悲願の武士達が、源頼朝を神輿に担いで戦った。
    頼朝は娘を朝廷に嫁がせようとして、鎌倉武士達の反感をかった。道長や清盛と同じ事をしようとしたとして。

    +6

    -0

  • 336. 匿名 2018/01/11(木) 02:12:47 

    娘を朝廷にってのは力持ったらだいたいの家がやるんじゃないの?
    徳川もそうだし

    +6

    -0

  • 337. 匿名 2018/01/11(木) 02:47:22 

    鎌倉武士は、新しい政権を打ち立てたばかりだったので、朝廷と距離を置く事を望んだ。
    徳川は秀忠の娘を朝廷に嫁がせたが、産まれた子供は女の子で、幼い頃天皇に即位し、若くして譲位している。
    徳川は朝廷や公家から正室を迎えたが、跡継ぎは側室が産んだ子供達だった。朝廷が政治に携わるのを遠ざけていた。

    +5

    -0

  • 338. 匿名 2018/01/11(木) 04:15:09 

    >>245
    >>321
    浅井長政自身は朝倉を重視はしてなかったらしいからなあ…。
    家臣に祭り上げられて父親追い出してクーデターみたいな形で当主の座についたわけだし
    結局同じようなことをされたわけだよね
    織田に不満持った家臣が父親をまた引っ張り出してくるという

    +3

    -0

  • 339. 匿名 2018/01/11(木) 10:05:57 

    娘を入内させるってのは、数百年の実績を誇る必勝パタンだものね
    石橋を叩いて渡るタイプの源頼朝が、様々な施策を打って出る中でこのパタンも用いるのは当然かもしれない

    +4

    -1

  • 340. 匿名 2018/01/11(木) 12:55:54 

    数百年の実績は、飛鳥、奈良、平安時代。
    鎌倉幕府は、初めての武家政権。
    この時代、土地は藤原氏によって私物化されていた。武士は自分達で耕した土地の権利を認めてくれる、鎌倉幕府を支持した。
    三代将軍実朝も、朝廷に接近したため殺害された。鎌倉幕府は、源氏のものではなく、武士のもの。北条政子は、その事を良く知っていた。

    +3

    -0

  • 341. 匿名 2018/01/11(木) 13:13:57 

    平将門が関東に自分達の政権を作ろうとしたのも、志は同じだよね。
    戦うのも、耕すのも武士、農民なのに全部吸い上げる貴族。平安時代は、戦うのも、警備するのも貴族が武士にやらせていて、さげすんでいた。

    +6

    -0

  • 342. 匿名 2018/01/11(木) 14:52:27 

    >>302
    娯楽化に撤したおかげで四十七士を昇華できた、まあ料理する専門家としても
    作りがいあったんだろう
    実際起こったことにしてはドラマになる要素に溢れている
    ファンも多く、浪士の絵を集めてるコレクターもいるのを見ると、今でいうアイドル化までしてたと思う

    +3

    -0

  • 343. 匿名 2018/01/11(木) 15:01:50 

    >>271
    自分を争う女の喧嘩を愉快wと見守る男を可哀相とはとても
    顔がよく、体が弱く剣がたつのはわかるけど、性格悪すぎるだろ

    +5

    -1

  • 344. 匿名 2018/01/11(木) 15:42:57 

    >>341
    労働せずにサロン開いて優雅にするのが貴族だものね〜
    土地は自分たちのもので住ませてやってるという感覚だから吸い上げて当然という感じ

    +3

    -1

  • 345. 匿名 2018/01/11(木) 19:25:52 

    八重姫と千鶴丸
    源頼朝の最初の妻と息子だったけど、千鶴丸は生まれてすぐに祖父(八重姫の父)に殺され
    八重姫もその後自殺した。

    +5

    -0

  • 346. 匿名 2018/01/11(木) 19:28:08 

    >>273
    嫁もなかなか可哀相。
    夫は早死に、気難しい舅の馬琴に嫁として仕え、働きづくめ。
    馬琴が失明した後は口述筆記。
    馬琴の文章はただでさえ美麗調で言い回しが難しいのに
    彼女は当時としては普通の、読み書きできない女性。
    最初の頃はあまりの困難さに
    馬琴と共に泣いたこともあったらしい。
    それが最後には立派に完成させるまでいくんだから凄いよね。

    +10

    -0

  • 347. 匿名 2018/01/11(木) 19:32:25 

    宝暦治水事件

    江戸幕府が薩摩藩の財力などを削るため、無関係の美濃の治水工事を命じた。

    工事中は幕府による嫌がらせもあり、財政負担も大きく(かかった費用は自腹)大勢の薩摩の人々が命を落としました。

    +7

    -0

  • 348. 匿名 2018/01/11(木) 19:34:23 

    初姫
    徳川秀忠の四女
    京極高次の息子に嫁いだけど仲が悪いまま29才で早死に。
    夫は臨終の知らせを聞いても動じることなく相撲見物をしていた。

    +6

    -0

  • 349. 匿名 2018/01/11(木) 19:37:05 

    義経も赤穂浪士も判官贔屓の庶民に人気あったんだね

    +5

    -0

  • 350. 匿名 2018/01/11(木) 19:39:11 

    >>343
    そうなんだ
    20代の若気の至りの極致だね
    イケイケ時期を過ぎていたらどうだったんだろうとも思う

    +4

    -0

  • 351. 匿名 2018/01/11(木) 19:39:53 

    >>348
    なんちゅう夫や

    +7

    -0

  • 352. 匿名 2018/01/11(木) 21:38:29 

    九条武子。戦前の社会事業家にして歌人としても有名。
    京都の名門西本願寺大谷家に生まれる。教養深い絶世の美人で、大正三大美人に数えられる。
    大正天皇皇后の弟と結婚。二人とも長身にして美男美女、教養高く、名門出身と、絵に描いたようなカップルだった。
    しかし夫婦仲は当初からあまり良くなく、程なく別居生活に入る。
    別居生活中、武子は教育事業、社会福祉事業に精力を注いだ。短歌や絵も多く残している。
    関東大震災後の救助活動の過労から敗血症を発症し、40過ぎで別居生活のまま亡くなる。
    現代ならとっくに離婚案件でしょうが、当時は体面上許されなかったようです。

    +6

    -0

  • 353. 匿名 2018/01/12(金) 02:03:44 

    >>348
    将軍家からもらったお姫さまをそんな風に扱うなんて強気だよね
    おかげで初姫の葬式で徳川から締め出されたらしいじゃない

    +8

    -0

  • 354. 匿名 2018/01/12(金) 12:21:28 

    >>344
    大化の改新で公地公民

    +0

    -0

  • 355. 匿名 2018/01/12(金) 12:28:19 

    >>354
    国の物の土地を、荘園という名前で好き勝手やってたのが藤原氏なんでしょ

    +2

    -0

  • 356. 匿名 2018/01/23(火) 17:23:07 

    >>25
    奴隷として送られてきたんじゃなくて、奴隷として連れて歩いてたのを織田信長が見て「譲ってくれ」と言ってもらい受けた。その後、ヤスケ、と名前を与えて家臣として他の人達と同じように分け隔てなく接したということが判明したとテレビで紹介されてたよ。

    +5

    -0

  • 357. 匿名 2018/01/24(水) 00:25:19 

    >>16

    子、曰く の子だよ

    元々“子”は「先生」「師」って意味

    それが高貴な女性に尊敬を込めて子を付けて呼ぶようになり、手紙等で子をつけて差し出すようになり、昭和になり庶民に子が付く名前が流行った

    本来自ら◯◯子です、とか名乗る方が変

    漢文習ったならおおよそは理解できてるはずだけど

    +1

    -0

  • 358. 匿名 2018/01/24(水) 01:13:57 

    >>184

    私の先祖は因幡にいながら、豊臣側でした

    家臣が豊臣に降参した当主に腹を立てて当主を追い出し、城主がいないのはまずいからと懇願されて(大義名分を押し付けられ)吉川経家が城入りした

    その吉川経家は死ぬ覚悟で自分の棺を作って城入りしてる(負ける事が分かっていた)
    籠城にあたっては、豊臣が市場の何倍もの高額で周辺地域の農作物を買い取り、馬鹿な一部の臣下や城の勤め人がそんな高額で買い取ってくれるならと金に目がくらんで備蓄米や備蓄品を最低限残して売ったんだよ

    売らなくても籠城が長引いただけの話だけど、この飢え殺し、かなりの準備と知識がなければなし得ない程鳥取城は守備に長けた城
    だからこそここまで本気で完璧にやられたんだと思う

    吉川経家はとても出来た人で人望も厚かったから本当におしい人を亡くしたと思う

    +1

    -0

  • 359. 匿名 2018/01/24(水) 01:41:27 

    >>310

    そこは日本武尊と書いて欲しいかな

    倭って凄く嫌な字

    +0

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