僕は「おかえり」と言ってほしかった…「母子家庭」で暮らす子どもの厳しい境遇
477コメント2015/04/05(日) 09:26
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386. 匿名 2015/03/13(金) 10:42:58
小学校入学前に、父が蒸発して母子家庭になりました。
母は、私と兄の為に、午後3時までのパートで生計を立ててました。極貧でした。
服もダサくていじめられたし、住んでいたアパートがボロボロでからかわれました。
それでも、母親は子育ての時間を優先してくれた。
でも、年に一度だけ、職場の慰安旅行で母は1泊し、その日は兄と留守番しました。泣いて泣いて行かないでと懇願したけど、年に一度だけなんだから、と、母は出ていく。たった一晩なんだけど、寂しくて寂しくて仕方がなかった。
ある年、寂しくて友達に電話した。中一の時だった。
母が旅行に行っちゃって、非行に走ってた兄も帰ってこなくて寂しくて。
でもその日以来、その友達は私と付き合ってくれなくなった。
中学校では、先生たちはあの不良の妹か的な目で見るし、家庭環境の悪い子みたいな差別を感じた。
だから一所懸命勉強して、いい高校に行った。兄は中卒で家出したけど。
高校に行ってからは、母は朝から晩までの仕事に転職した。
頑張って働いて、大学にも行かせてくれた。
今、わたしは結婚して専業主婦になって、子育てしています。
兄が道を踏み外したのは、多感な時期に辛いことが重なったからだと思う。同じ出来事が起きても、年齢によって受け止め方が違う。
父親と離れたのが入学前の私と、小学生の兄とでは受け止め方が違ったと思う。
また、母親が忙しくほとんど顔を合わせなかったのは高校生以上になってからだったから、その頃には母親を求める気持ちもなく、全く寂しくはなかった。
まとまりのない文章で申し訳ありません。
ちなみに、母親はほとんどすべての面において一所懸命やってくれたとおもってはいても、その1泊旅行だけがいまだに心のしこりになっています。甘えだとはわかってるんですが。+18
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