身内から聞いた戦争の話
526コメント2015/02/13(金) 14:42
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130. 匿名 2015/02/05(木) 19:36:08
曾祖父は南方の島で大砲攻撃で負傷したけども
なんとか日本へ帰ってこれてます。その後しばらくは元気に過ごしたようです。
祖父は病を患っていたため、身体検査で兵士になることの許可が下りず、そのことであの人は国の役に立てないような男と陰口を叩かれたと聞いています。
祖母の弟は当時二十歳そこそこの青年、
赤紙により家族も泣く泣く送り出したのだけど、当時そのような感情を表すことは出来るわけがありませんよね。
出征する汽車を村の皆で旗を振り、送り出したそうです。
それからそんなに時が立たないうちに祖母のもとに戦死したとの通知があったそう。
村の若者の中で1番最初の戦死者ということで村人が盛大なお葬式を出してくれたそうです。
その写真を見たことありますが、村祭りかと見間違うかのような大勢の人に花輪などなどでした。
そして国から「院」のついた戒名と立派な四角錐型のお墓を建てていただいてます。
その後、祖父母は父に
自分達が死んでも戒名に「院」をつけるな。
墓を建てるときも○○ちゃん(亡くなった弟)より背の高いものを建てるな。
御国のために戦死した者より高い位置にすることは絶対にいけない。
と口を酸っぱくして言ってたようです。
その祖父母も数十年前に亡くなり、「院」のつかない戒名をもらい、弟のお墓の横に背の低いお墓を建て、そこに眠っています。
のんきそうな祖父母でしたが、大変な時代を生き抜いたんだな、その人達に恥じないように生きなければ、と思ってます。
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