世界の「憲法改正の回数」をグラフ化したらとんでもない事態が明らかに
197コメント2017/12/28(木) 10:32
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103. 匿名 2017/12/27(水) 01:27:35
1946年2月13日、ポツダム宣言を受諾し占領下にあった日本。
実はこの間、日本政府が新憲法草案を検討していたことに加え、民間有識者のあいだでも憲法改正草案の作成が進行し、1945年末から翌春にかけて次々と公表されていた。
その代表例は、1945年12月26日に発表された憲法研究会の「憲法草案要綱」であり、天皇の権限を国家的儀礼のみに限定し、主権在民、生存権、男女平等など、のちの日本国憲法の根幹となる基本原則を先取りするものであった。
さらに、1946年になると帝国議会に席を有していた各政党とも相次いで憲法改正草案を発表している。
こういった動きは、民主主義国家として極めて健全なことだと言えよう。+9
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