忠臣蔵について語りたい!
302コメント2017/12/16(土) 23:51
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253. 匿名 2017/12/15(金) 09:46:25
>>240
浅野家は、城持ち大名で石高も高い、塩田もあって藩の経済は比較的裕福、
しかし、浅野内匠頭は、広島浅野家からの分家の三代目(外様大名の分家)、格式としてはちょっと落ちる。
また、赤穂藩は、大変武芸を重んじる家風。
吉良家は、高家旗本。格式は高いが石高はそんなに高いわけではない。
でも、足利時代から続く名家で、有職故実に通じ、京都にも人脈がある。
武芸というよりは、有職故実・礼法等の指導をしてその謝礼も大きな収入源。
勅使饗応役はとにかくお金のかかるお役目、
幕府からは一文も出ない。
幕府はこういうお金のかかる仕事を外様大名にさせて、
蓄財させないようにしていた。(謀反防止のため)
勅使饗応役2回目の浅野内匠頭は、今回にあたっては、
経費上限の通達を指南役の吉良上野介に対してした。赤穂藩の財政にも限度がある、と。
もちろん指南料も減額。
これに対して吉良は「金があるくせにケチる」と怒り心頭。
最近の研究では、どうやらこのあたりに原因があったようです。
成金金持ちの若造と、お金はないが名門家の老当主、
現代でも、どうあってもうまくいくはずのない組み合わせでしたね。+21
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